死は常に生を見つめている 3

 一年棟に続く廊下を歩きながら、僕は窓ガラスからみえる景色を眺めた。中庭のベンチでは男女がはしを片手に談笑しており、仲睦まじい昼休みを過ごしている。視線を戻せば、前方からやってくる二人組が僕の姿を捉え、しれっとつないでいた手を離した。

 今どき珍しい光景でもない。男女で交際している二人組など、校内を探せばいくらでもみつけられる。ことこの学園に限って言えば、少数派なのは恋人のいない生徒の方かもしれない。

 カップルが他より多く感じるのは、間違いなくあの制度によるものだ。


 Lilium Lancifolium System――通称『リラシステム』。

 オニユリの花言葉のひとつ、富と誇りになぞらえて名付けられたらしいその制度は、簡単に言えば『市公認の相性診断アプリ』である。


 もともと『リラ』は、少子高齢化や生涯未婚率の上昇などといった課題を受け、さらにこの荒咲あらざき市を活気づける目的のもと配布された一般的なアプリであった。もちろん同じようなマッチングアプリは多い。それら競合に比べれば、リラは見劣りする。誰も注目することはなかった。

 しかし、普及率は近年になって急激に勢いをつけ、ついに成人のみという垣根をこえ学生にまで配布されるようになった。それも『市の公認』という看板を掲げて。市が中心となり、複数の機関が共同運営するようになって、この地域ではブーム――否、半ば義務のようなカタチになりつつある。

 ここ『荒咲高等学園』は、その最たる例だ。


 つまり――未成年向けのマッチングアプリが実験的に導入された、最初の学園である。



 見る限り、このシステムは上手くいっているようにみえる。この学園は明らかにカップルの数が多いし、アプリを使ってつながれば互いに妙な気恥ずかしさを覚えていても近づくきっかけができる。『リラ』は順調に学生たちのキューピッドという地位を築いている。

 ――もちろん例外はあるけれど。



 『リラ』の機能は大きく分けてふたつある。


 ひとつは、特定のだれかひとりと、互いに同意の上で相性診断する機能。

 IDを送りあって、互いに承認すれば、決めた相手とだけ相性診断することができる。具体的には、インストール時に入力した趣味・志向、性格や誕生日をもとに数値として算出される……らしい。


 ふたつめは、匿名で好相性の相手を探せる検索機能。

 IDもユーザーネームも見えないが、自分と相性の良い相手がどれだけ存在するのかを調べることができる。匿名ゆえに互いの同意は必要ないし、見る分には相手に通知がいくこともない。要は掲示板だ。この機能で気になる相手を見つけたのなら、まずはこちらからメッセージなり何なりを送って承認をもらわねばならない。


 相手の詳細が判明するのはあくまで互いに承認しあって『新たなお相手』となった場合のみ。

 市が常に監視をつづける、安心安全のきっかけの場。従来までの、本来の利用方法から逸脱いつだつしたユーザーが混ざっていたものとは違う。怖さや危険が排斥され、蛇足の機能も削っており、使用者にはそれこそ占いアプリのように扱うものも多い。へたに本気ではなく、かといっておふざけでもなく。あくまで指標として相手を探せる敷居しきいの低いツール。

 それがこの『リラ』が発展した所以ゆえんだった。


「……ふん」


 ユーザー一覧を眺め、僕は興味なさげに鼻をならした。

 『リラ』の機能のひとつ――他人との相性数値が並ぶ『相性掲示板』が、降順で表示されていた。

 一番うえ、つまり今いるユーザー全体のなかで最も相性がいいのは、十八パーセントの女性だった。そこらを歩いている男子をつかまえてもこんな低い数値が最高の生徒はいないだろう。「あなたと好相性の女性は存在しません」とでも言われている気分である。事実そのとおりなのだけど。

 ため息もつきたくなる。この相性診断が原因で距離を置かれることだって一度じゃない。

 『リラシステム』が裏目に出たケース――その筆頭が僕だった。




◇◇◇




「おーす」


 教室に入ると、窓際の席から声がかかった。

 僕のひとつまえの席を勝手に占領していた霧島きりしまソウタが、叱られてきた級友に手をあげる。


「おはよ」

「もう昼だっつの。どうせ今日も有臣に散々言われてきたんだろ?」

「そうだよ。もっと『リラ』を使えって小言付きだ」


 買っておいた昼飯のパンをかばんから取り出し、もそもそと食べ始める。

 ソウタはリハビリの二年間を終えてはじめてできた、数少ない男友達である。好相性の生徒なんか何人でもいるし、容姿も清潔で人気がある。にもかかわらず頑として恋人をつくらない変わりもの。ベクトルは違うが、妙な親近感を覚えていた。

 正直なところ、僕にとって彼の存在はとても大きい。二年間の隔離生活、対人スキルが欠けている自分がやっていくには辛いものがあったけれど。この陽気なヤツが話しかけてくれて、高校生活を比較的ふつうにスタートできたのだ。そういう意味では感謝してもしきれない。


「『リラ』ねぇ……また変なとこに入っちまったな、オレ」


 とまあ、そんな彼だが。すでに昼を食べ終えたらしく、紙パックジュースをズロロロ……とならしてうな垂れ、今はこれでもかとだらしない姿をさらしていた。

 人によっては恋人づくりに欠かせない代物。また別のひとによっては気になる相手との相性を確かめる占いアプリ。もはや日常生活に欠かせないものへと昇華されているソレについて思案しているようだ。

 今日はよくこのアプリに縁がある。なにかの前触れかも知れないと思いつつ口をひらく。


「気持ちはわかるよ。僕みたいに裏目に出て恋人ができないケースも、君みたいにしょうに合わないケースもある。でもそれは」

「お偉いさんも想定済み、ってんだろ。だからこその試験導入だ。お陰で狭き門がちょっと広がったのは嬉しい限りだけどよ、それってつまり『被験者もっと増やそうぜ』ってことだろ」

「そうだよ」

「おれたち、モルモットだったんだな」

「そうだよ」

「その中で素直にアプリを楽しめない俺たちは、言ってみれば劣性遺伝子なんだなぁ」

「そうだよ」

「……ひどくない? 何も考えず返してない? ってかなに見てんの」


 適当に返事している僕を見あげ、怪訝な顔をするソウタ。そちらに画面をみせる。


「んーなになに……『リラシステムに致命的な欠陥――』」


 気怠げだった顔が、文章を理解するにつれ驚きに変わっていった。わかりやすくネット界隈を騒がせている記事に興味をもったようだ。身体を起こして食い入るように画面を見つめた。


「待てこれ、ウチの学園じゃねえか」

「となりの第二学科だね。理数科だ」


 しばらく無言になる。僕は咀嚼そしゃくしながらゆっくり記事をスクロールしていった。


 不特定多数のアプリ使用者が、素性不明のユーザー複数と強制的にマッチングされ、通知があふれかえったという。二十四時間、監視を徹底しセキュリティを強化してきたにもかかわらず発生した異例に、『リラ』の今後を憂う声も。この不具合は試験的に導入が進められている荒咲高等学園でも散見されている――。


「数々の不正なアカウント、狙いすましたような一斉送信……不気味なこともあったもんだな」


 読み終えたソウタが難しい顔をした。

 僕は何とはなしに頷く。


「僕は逆に安心したけど。何にだって、不完全さは必要でしょ。むしろ人間味が感じられていい」

「それは『リラ』を使ってないヤツの意見じゃねえの」


 正論でした。

 使ってるひとからしたら「怖い」が一般的。火事を対岸から眺める僕が少数派なのは自明でした。


「昨日の昼、か。ぜんぜん気づかなかったなオレ」


 端紙さんの家をあとにして一時間半ほど、か。携帯を開きはすれど、アプリを立ち上げることなどまったくしていなかった。見たところ、学園内でもそこまで大きな騒ぎとなっている様子はない。きっと、この記事はこれから広まっていくのだろう。今知ったソウタのような生徒はこれから増えていく。

 ……あずかり知らないところで事は起こっている。それをいち早くキャッチできる者は、案外すくない。

 それについては仕方ないことだと思う。流行っているといっても、常に『リラ』を開いている生徒は少数だろうし、これといって恩恵を受けていない、それどころか被害をこうむったこともある生徒にとって、それこそこの事件はどうでもいいものなのだから。



 だけど、忘れてはいけない。

 そう――事はリアルタイムで起こっている。

 

 記事が世間の珍事を遠い場所でにお出来事のように伝えるなか、目に見えた変化のない日々……。

 何気ない日常。

 味気ない毎日。

 平凡で退屈で憂鬱な一日の繰り返しに隠れた些細な違和感は、見えないだけで刻々と迫っていた。

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