第7話 100億円をもつ理科教師

無い島に季節は無さそうだ。

だって、何も無いんだもの。

空だか海だかわからない、グネグネした空気は、不味くもあり、美味くもある。

僕との境界線はあるような無いような。

グレーの大地はだだっ広く、グレーがかった空間のせいで遠方はくすんで見える。


浜辺は無いが、グレーの角っこに立つ、グレーがかった男がいた。


「無い島の住人ですか?」


「仕事に疲れ果て、気が付いたらここに立っていました。」


「何のお仕事をされていたのですか?」


「中学校の理科教師です。」


「何かお辛いことでも?」


「私は何不自由無く、生きてきました。実家が資産家で、私の通帳には100億円が入っていました。信じられないかもしれませんが、幼い頃から自由を手にし、欲しいものは何でも買えました。別に勉強なんかしなくても、働かなくても、人生を何回でもやれる程のお金があるので、何のプレッシャーもなく、だらだらしていました。」


「そんな人と出会えるとは!僕と友達になってください!」


「いいですよ。このご縁は大事にしたいところですが、ここにいる私には何もありませんから。」


「100億円は?」


「ある日気付いたのです。100億円があっても、つまらないと・・・。普通の人、庶民はお金が無くて働くんですよね。死ぬまで・・。自分のやりたいことを犠牲にしながら、自分のため、家族のため、社会のために働くのですよね。働きアリのように。過労死という言葉は、私は意味が分かりませんでした。働き過ぎて、精神を病み、自ら命を絶つ人も少なくないとは・・。」


「で、100億円は?」


「私は、働くことを決意しました。やらなくてもいい勉強を始めました。そして、どうせやるなら、巷でブラック企業と呼ばれる、働きづくめになれる場所を探しました。最終的には中学校の教師になっていました。」


「ほうほう、100億円は?」


「人生の余暇を全て失い、仕事に尽くしてもいいと思っていました。甘かったです。お金は腐る程あるので、稼ぎたい欲求はゼロです。人のために生きるという目標を達成しようとありとあらゆる仕事を職場で請け負いました。学校の先生なんだから、授業が全てだと考えていたのですが・・。校内の校務分掌と呼ばれる雑務、生徒指導や保護者、地域住民クレーマーとの対応、同僚や管理職との摩擦が山のようにあります。そして、部活動は毎日17時以降、休日も指導で休みの無い日が続いています。それも仕事と割り切って楽しんでいたのですが、そうすると本業と考えていた授業の準備が疎かになります。生徒のために働きたいという思いが簡単に打ち砕かれました。」


「そうなんですか~、100億円は?」


「でも、これこそが、お金が無い庶民が体験しているジレンマなのだと気が付きました。働いても働いても余裕が生まれない。社会の奴隷になり、自分の人生を憂う人々。私はこれになりたかったのです。100億円あっても叶えられない夢はこれだったのです。これこそが、私が求めたことだったのです。」


「じぁあ、なぜ無い島に来たのですか?」


「教師にありがちな、現実逃避行為です。#教師のバトンというSNSで職場の不満をぶちまける発信が流行っています。それと同じです。無い島で、自分の仕事について憂う自分も、理想としていた自分なのです。あーあー不満だらけ、今すぐにでも転職してやる!という心理状況を体験できることも、私にとっては夢の一つなのです。宇宙飛行士が最近浮かない日がないなぁ。地面に立ちたいなぁと思えるのは彼らだけなように・・。」


「100億円は?」


「寄付しました。通帳にそんなもの入っていたら、この仕事を楽しめませんよね。」


世の中には変わった人もいるものだ。


昔、私の父が、ガンで病に伏したとき、死ぬギリギリまで働きたいとずっと言っていたのを思い出した。遊びたいとは一言も言わなかった。自分の人生を狂わすほどの仕事は、もしかしたら、遊び以上の何かがあるのかもしれない。


グレーがかった100億円を寄付しちゃった理科教師は、海だか空だか分からないグネグネした空間に飛び込んだ。


きっと、ブラックな教職現場で苦しみ楽しむことを選択したのだろう。




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