ヤンデレへの余命宣告
ヤンデレは本質に先立つ
これまでに私は2つのヤンデレ評論・考察を執筆してきた。そのいずれにも共通する前提認識は、「ヤンデレ市場は未熟である。なぜなら、マニアでなくても挙げられる代表的存在に欠けるからだ」というものだ。
そう、ヤンデレというのは総合的なキャラ指標であって、ツンデレやクーデレなどの類似する概念との在り方が大きく異なる。
であれば、プロ・アマを問わず、日々切磋琢磨し、よりイデアに適うヤンデレ像を表出すればいいはずである。
しかし、拙論『<ヤンデレ>という文化資本』でも検討したように、定義が非常に曖昧な存在である。
さらに問題なのは、代表的存在に欠けているからこそ、ヤンデレという総合物に対し、いくつかのタイプに分類することが出来る、という特異性があるのだ。
今回は、その細かなタイプを見つめ直すと共に、改めてヤンデレ像を捉え直す、もしくは打破してしまうのを目的とする。
インターネット情報は往々にして資料的価値が問われるが、繰り返すように、ヤンデレにはその代表的存在に欠けるがために、漠然と我々が抱いていると思われるヤンデレ像をそれらから頼る必要がある。
さて、ネット記事でよく見られる分類をまずは順を追ってみる。
①依存型
自分に自信がもてず精神的に自立していないので、恋人がいないと文字どおり何もできない状態となる。また「好き」の気持ちは残っていなくても、2人の関係性にしつこく執着してしまう。
1人になるのが怖いので、振られそうになると未練がましく追いかけてきたりする。恋愛していないと自分らしく生きられないと思っている。
「いつでもあなたと一緒にいたい」と思っており、何をする時でも、時間を共有したいタイプで、頻繁に電話やメールなどが来たり、束縛に近い確認行為が多い。
基本的には、相手のいいなりで、受け入れしやすく、嫌われたくない気持ちから、尽くす傾向にある。
「相手のためなら何でもしちゃう」タイプで、一途ではあるが、嫌われたくない気持ちから、総受け入れしやすく、相手が世界の中心。
②崇拝型
彼氏や彼女を神様のような存在に考え、報われたい願望が強い。相手の好みの服装や髪型などをとことん研究して、気に入ってもらえるように努力する。
崇拝している対象者のために、役立つことが、大きな喜びとなるので、自分を犠牲にしても構わない考え方。
人気アイドルを慕っている、熱狂的なファンに類似し、自分にこれっぽっちも魅力がないと思っているため、自分にないものをすべて持っている相手が心底うらやましくなり、彼氏を王様、彼女を女王様のようにあつかうことで「主従関係」を構築。
③独占型(束縛)
相手のすべてを独り占めしたいと願う、やや攻撃的なタイプで、恋人を自分のステータスだと勘違いしてしまうので、少しでも他の人が近寄ってくると、敵意が湧く。
少しでも会えない時間があると、浮気を疑ってしまうので、必要以上に相手を束縛してしまう。
対象者は、「私だけのもの」という考え方でもあり、家族や友人にすら、嫉妬や束縛が激しいのが特徴。
異性との関わりが許せない気持ちが強いだけではなく、同性に対してもやきもちを焼く。行動を支配して、自分の言いなりにさせたい傾向も。
④妄想型
相手の良い所だけを切り取って、自分の想像をふくらませ、理想と現実のちがいにはっと気づくと「どうしてそんな行動を取るの?」と相手を責めることもある。
求めるハードルが高くなりすぎてしまうので、自分の理想どおりに相手が動かなかったときに、裏切られたような気持ちになってしまう。
⑤無害型
対象者に対して、特にアクションは起こさない。好きな気持ちや、構って欲しい想いは持っているが、相手に伝えるのが苦手なのが特徴。
言いたいことを言えないタイプなので、嫉妬や不満などを溜めこみやすく、病みやすいため、リストカットなど自傷行為をする場合もある。
⑥暴力型
狂気的になり、口調が怖いのが特徴的で、暴言だけではなく、時には暴力などを振るう場合もある。「相手を逃さない」気持ちが強く、身の危険を感じる場合もあるので、注意が必要とされる。具体的には、包丁を持ったり、無理心中を考えるケースなど。
好きな人と穏やかな関係が築けないのは、幼いときに父母から愛されなかった・親族から虐待されていたなど、何らかのトラウマが関係している場合も。
⑦孤立誘導型
好きな人と2人だけがいい、他の人は邪魔と信じて疑わないタイプ。好きな人の周りにいる人は、すべて「2人の関係に水を差す存在」だと思っているので、恋人の親や兄弟・友達すべてを排除しようとする。エスカレートすると悪い噂をわざと流して「周囲から孤立させる」ことも。
手段は様々で、学校や職場でわざと孤立させるような行為をしたり、自分で裏工作をして、相手を苦しめる。
目的は、「自分に依存してもらう」ためであり、自己中心的で、最も危険なタイプだが、表面上ではとても良い人を演じており、裏では自分の欲望のままに非常識な行動を行う。
⑧ストーカー型
好きな人のことはすべて知りたいと、欲張りになってしまうタイプ。ターゲットのことを考えて、頭がいっぱいになり、会えない時間があると「何をしているのかな?」と気になってSNSをチェックしたり、しつこく電話をかけたりする。
ひどい場合には会う約束もしていないのに仕事場に突然押しかけたり、浮気の可能性をうたがって尾行したりすることも。
こういった8つのものが主たる分類だが、読者が思い描くヤンデレはいずれかのタイプか、もしくは複合的なものであっただろうか。
しかし、先述した拙論でも述べたが、定義論で狭めるならば、ヤンデレと「メンヘラ」「ストーカー」は近いしものでありつつ、物語の上での役割は異なるのである。
例えば、④妄想型などは、⑧ストーカー型であるための原理と我々は考え、いくつかの学説はそれを裏付けている。
⑤無害型においてはまさしくメンヘラであり、①依存型においては、以下のタイプ全てを内包する可能性さえある。
したがって、この分類は意味を成していないと思われるのだ。
ではなぜこうも分類が多岐にわたっているのか。それはやはり冒頭に明言しておいたように、代表例が無いために、「ヤンデレって何?」と聞かれた際に、私が試みた考察などではなく、日常会話での返答においては、いくつかの事例を挙げざるを得ない、というのが実際のところだろう。
であれば、マイナーであるはずの概念であるヤンデレに「誤解」を招くのは致し方ないのである。
ここで誤解、という表現を用いたのは、『(私の中の)定義』と違うからではない、現実と虚構表現との差異が明確になっていないからである。
何度も恐縮だが、拙論『<ヤンデレ>という文化資本』で、メンヘラとヤンデレの意味と使用例は異なっていることに触れたが、それのみならず、ヤンデレ作品を享受する我々は改めて「(デート)DV」について検討したことがあっただろうか。
『ドメスティックバイオレンス(DV)』は家庭内暴力であるから、今回は取り上げない。というのも、ヤンデレの対象は一般に片思い相手、もしくは恋人であるからである。
それ故にここでは「デートDV」に限定して考えてみることとする。
配偶者間や恋人などの親密な間柄で起こる暴力をドメスティック・バイオレンス(DV)といい、その中でも恋人同士の間で起こる暴力は、「デートDV」と呼ばれる。
殴る・蹴るの暴力だけでなく、どなる・おどす・交友関係を細かくチェックし行動を制限するなど、相手を自分の思いどおりに支配しようとする行為も「デートDV」である。
そう、嗜好の面では私たちは「ヤンデレ(メンヘラ)」と表現し、実際上での加被害においては「デートDV」と表現し、それを法的に対処する。
「内閣府男女共同参画局」のホームページにはデートDVについて、加害者と被害者の両方の視点で分かりやすく指摘されている。
『恋人のことを、自分のものと思っていませんか?』
『恋人って、いつもあなたを幸せな気分にさせてくれる存在?』
このような標語に始まり、心当たりがないか諭すような内容であるが、興味深いのは今こうしてヤンデレの分類をおさらいした我々にとってすれば、あたかもヤンデレが完全なる悪であると思ってしまうほどに、既視感を覚えるのだ。
○加害者側
『「好きだから、気持ちを通じ合わせたい」「一緒にいたい」というのと、「自分の思いどおりに動いてほしい」「独り占めしたい」と相手をコントロールしたり、「自分のモノ」として扱うのは違うことです。
相手をコントロールしたり、「自分のモノ」として扱ったりすることは、交際相手に対する「暴力」、いわゆる「デートDV」にあたります。』
○被害者側
『あなたにとって幸せってどんなこと?その幸せは、自分で選んだものでしょうか?自分のことは自分で決めていいのです。
嫌なことは、「NO」と言ってもいいのです。あなたの感じている「怖い」や「つらい」 は、もしかすると交際相手からの暴力、いわゆるデートDV かもしれません。
あなたには幸せに生きる権利があります。
あなたのこころやからだを大切にできるのはあなた自身です。暴力をふるわれていい人などひとりもいません。
時には相手から離れることも選択肢の1つです。別れることに相手のOKはいりません。』
これらからも分かるように、冒頭のテーゼ「ヤンデレ市場は未熟である。なぜなら、マニアでなくても挙げられる代表的存在に欠けるからだ」の現状的回答はこうです。
【ヤンデレ市場は未熟である。なぜなら、マニアでなくても挙げられる代表的存在に欠けるからだ。
というのも、現実的にヤンデレ的な人物は糾弾されるべき人物であって、それをメインテーマとして商品とするのは、デートDVを助長することに繋がりかねない】
つまり、マイナーなコンテンツであるヤンデレを維持するには、教義をあえて確立させず、様々な事例のみで共通性を見出し、総合的な世界観を共有する他ないのだ。
同ホームページには、「安心できる関係づくり」の項目に、以下のようにある。
『意見が違ったとき、安心して互いの意見を伝え合い、相談できる。
2人の時間だけじゃなく、自分や相手のプライベートな時間も大切にできる。
嫌なことについては、「NO」と言える。相手が嫌がることはしない。
2人の関係が、「上-下」、「主-従」の関係になっていない。』
これらをクリアした場合、もはや当初に列挙した分類は意味を消失し、それに伴ってヤンデレは死ぬ。
これは、ヤンデレの統一的存在・コンテンツはもはや現れることはないという、預言でもある。単なる予言ではなく、ヤンデレが生きていた時代の預言者として私は本稿を残しておきたい。
現在のように、「それはどちらかと言えばメンヘラであって、ヤンデレとは言い難い」という反駁の余地こそ、分類による束縛であり、その束縛が解消されるほどの存在・コンテンツの到来、すなわち圧倒的回答が提示されたとき、ヤンデレはめでたくシンボライズされると同時に一挙に形骸化し、その意味を失う。
この現象は、メンヘラが良い意味で用いられていないことからも容易に想像がつくだろう。
まさにヤンデレを享受できるのは、「二人きりの世界」の中のみであったのだ。
それが慣習のもとに投じられたとき、異常かつ問題ある存在として、ヤンデレ愛好者であったとしても、非難を投げかける。私たちが現在、知っているヤンデレは、このような盤面において生き長らえているのである。
惜しむらくは、ヤンデレの先にある、それらを克服した属性・コンテンツを、現状のままでは知ることなく、大量消費社会に埋もれ消えゆくことである。
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