<地球・試着室・繫がる>
「だるま女の話って、知ってる?」
「……知らないけど、多分昼飯食べながらする話ではないと思う」
笑いながら話しかけてきた
彼女と付き合い始めてからもう三ヶ月が経つ。
気の合う僕らは大きな衝突をする事もなく概ね順調に関係を続けているのだが、一つだけ困ったことがあった。
それは彼女が重度の都市伝説オタクで、デートの会話や夜の電話なんかで二回に一度は都市伝説話を振ってくることだ。下水道のワニとか、日常から離れた場所の話だけならまだいい。「隙間女」とか「世界中の人の夢の中にだけ出てくる男」の話をされた日には、もう眠れなくて仕方なかった。正直にそう話したら彼女は笑い転げて謝ったが、次の日には「ベッドの下の男」の話を無邪気に話してきたので、僕は彼女のその癖を注意するのを諦めることにした。あやしい話の癖を除いては、彼女はとても魅力的なひとだった。
今日のデートでも、彼女はだるま女なる都市伝説の話を持ってきたようだ。
「90年代の、日本のとある洋服店での事なんだけど」
結はいつものように僕の注意に構わず話を続ける。
「その試着室で着替えてた女性が行方不明になったらしくて」
「試着室で?」
「そう。神隠しに遭ったみたいに、突然」
彼女は話に本腰を入れるように、両肘をついたままこちらに身を乗り出した。動きに合わせてテーブルの皿がずれて、彼女の耳の赤いイヤリング—僕が誕生日に贈ったものだ—が揺れた。
「数年後に、その彼女と知り合いだった男性がある国に遊びに行った時、サーカスに誘われてね。そこで信じられないものを見たの」
「……信じられないもの?」
嫌な予感を抱きながら、僕は聞き返す。
「見せ物の一つとして檻に入れられたまま出てきたのは、手足を切り落とされたその女性だった」
「……」
「ボロボロで廃人同然で、もう日本に居た頃の面影は無かったらしいよ」
「拐われて……サーカスに売られて……ってことか」
「そう。警察がその試着室を調べたら、床に落とし穴が開いてて地下室に繋がっていた」
「洋服屋もグルだったの?」
「そうそう。他にも何人かその服屋で行方不明になってたけど、捜査が遅れたんだろうね」
「……非道な事件だね」
「そうね…………じゃ、服買いに行こっか」
「今の話した後で服屋さん行くの?」
食事と会話をひとまず終えて、僕たちは洋服店に向かった。
「いらっしゃいませー」
自動ドアをくぐると店員さんが出迎えてくれた。僕も結も初めて来たその小さな店は、明るくお洒落で良さそうなところだった。……何しろ僕は女性ものの洋服やモードには詳しくないから、雰囲気でしか判断できないのである。
先程の結の話を思い出しながら、僕はこっそり内装を見回した。つい数年前に出来たらしい、壁や床はまっさらに綺麗で、怪しい地下室など無さそうだ。店員さんは物腰柔らかで対応も丁寧で優しく、人身売買に関わっている人のような底暗さは微塵もなかった。
まさか結がこの店で誘拐されることはないと思ったが、僕は一応試着室のカーテンも開けて見てみた。異常はないように見えたが、戻ろうとしたとき床の端っこに黒い筋があるのに気付いた。顔を近づけてみると、床にヒビが入っている。地震か何かで入った亀裂だろうか。そのわずかなヒビは左上の角を深く割った後、斜めに走り、右下の角へとジグザグに繋げるように走っているのだった。
「何してんの、変態」
蹲ったまま振り返ると、洋服を何着か持った結が立っていた。
「……いや」
「さっきの話気にしてんの?やさし〜」
彼女はそう言いながら僕の脇を通って試着室へと入った。床に奇抜なヒビの入った試着室へ。
「大丈夫ですか?」
「……いえ、大丈夫です、すみません」
いつの間にか店員さんが心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「彼女さんですか?」
「えぇ、まあ」
他の客が来ていないからか、店員さんは結のついでに僕とも会話をするつもりらしい。これ幸いと、僕は先程の発見について尋ねることにした。目の前のカーテンの向こうからは衣擦れの音が聞こえてきていた。
「あの、そこの試着室の床のヒビって」
「ヒビ?……ああ、この前の地震で出来たものですね」
「地震ってもしかして、一週間前の」
「それですそれです、結構揺れましたよね〜」
最近この地域では特に地震が多い気がする。ほとんどは震度1とか2とか軽いものだが、一週間前に起きたのは4くらいの大きなものだった。地震直後に結から電話がかかってきて、こちらの安全確認をしたかと思えば地球の核に棲む怪物の話を30分くらい聞かされたからよく覚えている。
「何か断層の活動とか何とか、最近よく聞きますよね」
「そうですね〜、怖いですよね本当に。対策しとかないと」
店員さんと話しながら、僕は試着室のカーテンを見つめた。試着にはまだ時間がかかるらしく、柔らかい布が擦れる音が断続的に聞こえてくる。その音の中に、だんだん腹に響く低い音が混ざってくるように感じた。それは間違いなく試着室の中から、いや、僕の足元、それどころか床全体から響いてくるようだ。
「……何か音しません?」
「……しますね……」
店員さんも不思議そうな顔をしていて、音は僕の思い込みではないのだと確信する。店員さんはわざわざ断りを入れてバックヤードへ向かった。音は大きくなってきていた。音どころか、確かな振動が身体に伝わってくる。
……地震だ。
「結」
「ん。何か揺れてるね」
結の呑気な返事を聞いて、僕は揺れに耐えながらカーテンに手をかけた。開けようとした時、どんと大きな衝撃が下から僕らの身体を貫いた。僕はたまらず床に転がった。結の悲鳴が聞こえたような気がした。まるで巨人が目の前に足を踏み出したような、惑星の鼓動の一拍のような、そんな強烈な音と衝撃があった。
「……結!」
返事はなかった。僕の鼓膜が麻痺してしまったことを期待しながら僕は試着室の中を見た。結の姿は無かった。床には大きな穴が開いていた。まるで試着室の中の人間を落とすためにわざと開けられたような穴だったが、その粗雑な面は明らかに人間によるものではなかった。僕は呆然と穴の中を見下ろした。地下室に繋がっているというにはあまりに深く暗かった。こぉぉぉ、という風のような音がその奥から聞こえる。ぬるい感触の風が頬に伝わってくる気がした。その時僕は、結にはもう一生会えないのだと確信した。穴の縁には、彼女の真っ赤なイヤリングが二つ残されていた。(了)
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