第4話 繋がらないスマホ

「お逃げください、王子! 早く!」


 緊迫したレノマールの声が、俺の部屋に響く。

 あとで考えると、俺はすぐに廊下に出て護衛兵を呼んで来るべきだった。


 だが、俺は動けなかった。


 レノマールをおいて逃げられない、とかかっこいいもんじゃなくてさ。ビビッて固まってたんだ、単純に。情けない話だけど。


 全身黒ずくめの刺客は、確実に俺を狙っていた。


 立ち尽くす俺に向かって、音もなく動く。


「危ない!」


 レノマールが叫んだ。

 俺を庇う様に立ちふさがる。

 刺客はうっとうしげに長剣をかざした。


 一瞬の出来事だった。

 

 レノマールがスローモーションで倒れていく。

 ひどく赤い血があたりに飛び散った。


「レノマールッ!」


 俺はバカみたいに叫んだ。

 その声を聞きつけて、護衛兵が駆け込んで来る。

 

 刺客は、軽く舌打ちすると窓からすらりと飛び降りた。

 護衛兵がどたどたと追いかけている。

 現実感がないまま俺は、ただそれを見送っていた。それよりも――。


「おい……しっかりしろよ、レノマール」


 すでに顔色が普通じゃない。出血多量ってやつか? 


 こういうときは慌てずに。救急車って何番だっけ?

 でもここ日本じゃないし。でも携帯通じるし。

 

 ヤバ、手が震えてる。鼓動がうるさいぐらいに、胸の内側から鳴り続ける。


(どうしよう……っ……!)


 こんな風に人が死ぬなんて、俺の許容範囲を超えてるってば!

 頭が真っ白で、たいした処置が浮かばない。


 王子、とレノマールは苦しげに息を吐いた。


「初めから立派な人なん、て……いないんです……貴方は下らない人間なんかじゃない……どうか」


 俺の服をつかむ、強い力。


「どうか……立派な王子、におなり下さ……い」


 そしてレノマールの身体から、力が抜けていく。


 バカな。そんなバカなことがあるかよ? 俺の唯一の真実を知っている人間が、死んでしまうなんて――そんな!


「レノマール」


 声がかすれた。突然過ぎて――涙も出ない。


 それから明け方まで、お城のなかは大騒ぎだったらしい。

 らしいってのは、俺はずっと部屋に閉じこもっていたから。

 どんなに大変な事件が起こっても、バカ王子のやることなんてなんにもない。無事だったらそれでいいんだ。

 

 窓からぼんやりと白い月を見上げる。


 レノマールの最後の言葉が、頭から離れなかった。


『立派な王子におなりください』


 レノマールは俺が代理だってこと、分かってるはずだ。ってことは、あの言葉は。


「俺に言ったんだ……俺自身に」


 自然と唇をかんでいた。強く。

 血の味が口の中に広がったが、痛くなんかなかった。こんなの痛みじゃない。

 

 レノマールは、こんな俺を庇って死んだんだ。

 

こんなくだらないバカ王子を庇って――なにかしないと。何かしないと俺は本当にダメになってしまう。でも。


 俺は自分の拳を握り締める。限られた時間の中で、何の取り柄もない俺に――。


(……一体、俺に何が出来るんだよ……!)



 強くなりたい。


 その一心で俺は朝一番に、ファイアルトの部屋のドアを叩いていた。


 ファイアルトは、シセ王子のお守り役兼、剣術指南の先生である。赤い髪が印象的な背の高い男で、歳は二十歳そこそこ。

 肩書きに比べて若すぎる気もするけど、実は百戦錬磨のどエライ騎士様だと聞く。


「俺、いままで剣術とかサボってて何たけど……その、もう一度最初から教えてくれないかな?」


 俺の目的を達成するには、何としてもこの先生の協力が必要だった。


 第一声、俺のセリフに、寝ぼけ眼のファイアルトが苦笑いで答える。


「はぁ……おかわいそうに、昨日の一件がよほど恐ろしかったんでしょうな。ご安心下さい。護衛兵の数を増やしますゆえ」


 違うんだ、と俺は首を振った。


「それもあるけど……一番の目的は違うんだ」


 口にするには少し、勇気がいる。

 ひとつ息を吸い込むと俺は、ファイアルトの目を見て続け言った。


「レノマールの――仇を討ちたいんだ、自分の手で」


 バカ王子の意外な言葉に、先生は「ほう」と目を細めた。まったく信じてない。


 でも、そんなことはどうでも良かった。お願いします、と俺は頭を下げる。


 これが俺の出した答えだ。


 王子が戻ろうが戻らまいが関係ない。

 俺は、レノマールを殺した人間を、この手で討つ。


 それまでは、日本には帰らないつもりだった。

 ……いや、帰れないんだけどさ。

 

 あれから何度、親父に電話しても繋がらないし。

 こういう大事なときに限って連絡が取れないってどういうことよ?


 しかし、そのせいかもしれないけれど俺には覚悟が出来た。

 今度こそ逃げ出さない。 


 その日から俺は、死に物狂いで剣術を学んだ。

 

 同時に、稽古のあと、傷だらけの疲れた身体を引きずって図書館に通いつめる。

 

 どれだけ護衛兵や城の関係者に聞いても、レノマールを殺した刺客の情報はなにも聞き出せなかった。


 それどころか、あの夜の一件を口にするだけで「王子は何もお気遣いなさいませんように。我々が解決いたします」の一点張りでさ……王子にいっても無駄だと、誰もが思っていることがわかる。


 こうなったら、俺なりに調べるしかない。

 現代っ子らしく手始めにスマホを手にしたが、残念ながらネット上ではこの国の名前すら検索に引っ掛からなかった。 


(どういうことだ? この国の存在自体が隠ぺいでもされてるのかよ?)


 聞く相手もいない為、すべては自分で知るしかない。この世界で思いつく情報源といえば図書館しかなかった。

 

 気の遠くなるような作業だが、敵と呼べる存在はすべて当ってみるつもりだった。


 そのためには、この国の状況を正しく理解しなければならない。

 

 たった一人の孤独な作業が続いた。

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