第2話 夏の夜の悪夢

「マジ……どうしよ……」


 長いようであっという間だった夏休みも終わり、明後日から二学期。

 

 俺の眼前に立ちふさがるのは、通学がうぜぇとか夏休みの宿題を終えていないとか、そういう凡庸な悩みではない。


 俺の住む街に彼女がやって来るのだ。


 まるで空から降ってくる恐怖の大魔王のように、俺の人生の破滅を引き連れて。


 彼女の名は新谷絢乃しんたにあやの。とあるオンラインゲームで知り合った女の子だ。プレイヤーネームは『アルマゲどんぶり』……ネームセンスはとんでもねぇが、ゲームは上手いし性格はいいし、何しろメチャクチャ可愛かった。

 

 ここまでは良かった、しかし。


 調子に乗った俺は、彼女にプライベートを問われるままに嘘を垂れ流したのだ。


 顔はイケ面(クラスで一番人気のある橋本の画像を拝借した)オヤジは社長(本当は、何やってるか分からない有限会社の課長止まり)家は豪邸(本当は賃貸マンション3LDK)スポーツ万能成績優秀(本当は……わかるだろ?)のクラスの人気者(ふっ、自慢じゃないが、俺の存在感なんて皆無だぜ?)だと嘘をついていたのだ。


 だって、一生、顔を合わせることなんて無いと思ったから。


 仮に向こうが会いたいとか言ってきても、テキトーに理由つけて断ればいいと思ってたし。そんなもんだろ? ソーシャルネットワークなんて。


 だが、運命の神様は残酷だ。


 絢乃ちゃんのお父さんの転勤が決まり、家族で引っ越すことになったその街は、なんと俺のご近所だったってわけ。


 彼女が実際の俺を見たら即刻ドン引き、嘘つき呼ばわりされて完全に嫌われる。


 いや、そこまでは仕方ない。当然の罰として享受しよう。


 だが、もし彼女がこのことを誰かに話せば俺は学校中の笑い者だ。俺が学校でコツコツと築き上げてきた穏やかで目立たない居場所は一瞬で消え去るだろう。

 

 下手すりゃこの街にだっていられなくなるかもしれない。


(一体、どうすりゃいいんだよ……?)


 絢乃ちゃんから嬉しそうな引越しメッセージが届いたのが一ヶ月前――で、転校してくるのは明後日。つまり一ヶ月も、俺はこうして悩みつづけているのだ。


 こうして俺の夏休みは、悪夢の予感をはらんだまま終わろうとしている。


 自慢じゃないが、俺には相談できる友達なんて一人もいない。


 だからと言って、男一匹覚悟を決めて「ごめんなさい」する勇気もない。


 我ながらイケてない男だと分かっている。でも……しょうがないじゃないか! 俺はこういう奴なんだから。

 

 俺は小四の冬に、地味な人生をひっそりと生きていくんだと決めたんだ。


 それはもう、岩に苔が生しても絶対に変わることない堅固な決意で。


 クラスでも可能な限り目立たず騒がず、決して心を傷つけることのないゲームや本だけを友として、さ。


 あ。今、教育委員会のお偉いさんたちは眉をしかめているとこでしょ? 


 でもさ、明るくて友達沢山いて、毎日の学校生活を派手に楽しんでる奴で、たまにゾッとするような冷たいこと出来ちゃうクラスメイトだって結構いるんだぜ。面倒くさいからいちいちチクったりしないけど。


 そういう表裏のある生徒と俺みたいな正直なの、どっちがまともだよ?


 絶対に俺だって。俺の方が誰にも迷惑はかけていないし。第一、それで十分幸せだったし――そうだ、確かに幸せだったのだ。今までは。


「逃げ出したいよ……まったく」


 だれに言うともなく、ひとりごちる。


 ――と、その時。


「そんなあなたに朗報です」


 突然、部屋のドアが開いた。


 隙間から顔を出す冴えない中年のおっさんは、なにを隠そう、うちの親父だ。


「何か用かよ?」


 ここはできるだけ迷惑そうに返事をする。


 これは三つ上の姉と取り決めた、オヤジ対策のための鉄則だ。


 少しでも気を許せば『自称・爆裂子煩悩妖怪』と名乗るオヤジの、はた迷惑な妙なテンションに巻き込まれてしまう。


 何も知らないご近所さんは言うだろう『子煩悩なお父さんで良かったわねぇ』と。

 しかし! 何も知らない幸せな彼らに、俺はあえて問おう。


 風邪で寝込めば五分おきに「大丈夫か、熱下がったか」と問い続けられ、退屈だろうからと、余興と称した見るに値しないくだなら過ぎる手品やパントマイムを延々と見せられ、さらにいちいち感想を求められる者の辛さが分かるか。


 辛いだろ? あり得ないだろ?


 親ってさ、愛情があれば何をしても許されるわけじゃないんだぜ、まったく。


 だから今回も、俺は細心の注意を払って気のない返事を返したわけだ。


 オヤジは「かかった」とばかり、俺の部屋に飛び込んでくる。そして、俺の両肩を掴むなり、ガクガクと揺らした。


「父さんの会社、倒産の危機! なんつって」


「消えろ」


「いやいや、ちゃんと聞くんだ息子よ。実はお父さんの会社のお得意様が失踪してしまったんだ。このままでは父さんは責任を取らされて会社にいられなくなる!」


 ああ? と俺は顔を上げた。


「そんな緊迫してんなら、なんで会社じゃなくて、家にいるんだよ?」


 よくぞ聞いてくれました! とばかりオヤジは手をポンと打った。


「お前の力を借りに来たんだよ。そのお得意様って言うのが、実は某国の王子様でな、歳も志誠しせいと同じぐらいだから、しばらくは上手く誤魔化せるだろう」


 ちなみに志誠とは俺の名前だ。桐田志誠きりたしせい。変な名前だろ。


 なんでも俺が生まれたときに、新撰組と薩摩志士同時にハマッっていたオヤジが

「どちらかの名前をつけたいが、どちらも大好きだぁぁ」ということで、両方入れたらしい。


 おかげで思いっきり食い合わせの悪い感じに仕上がってしまった。


 まぁ別にいいけどさぁ……とそんなことより、だ。


「は? 得意先が王子? 誤魔化せるって何を?」


 俺はオヤジの話を八割も理解出来ない。それに対しオヤジは「ノンノンノン」とエセフランス人よろしく指を横に振ってみせた。……いちいちむかつくリアクション。


「話を急いではダーメ! 王子が行方不明となると、国民が不安がる。そこで、だ。その王子が見つかるまでの間、志誠に代役をしてほしいのだ。もちろん報酬もある」


 会社の倒産と、王子やら国民なんていう異国風の言葉が全然繋がらない。


 あまりの夏の苛烈さにとうとう頭ヤられちゃったか、オヤジ。


 話の内容はまったく理解出来ないが、俺が取るべき対応はひとつだった。


「ヤだよ、無理だって俺には。第一、今はそれどころじゃないし」


「やってもみないうちから無理とか言うな!」


 青春映画みたく俺の鼻先をビシリと指差さした親父は、これまた勝手に満足そうに頷きながら不敵な笑いを浮かべた。


「大丈夫。我が社の開発したマシーンを使えば一国の国民ぐらい十分騙せる偽者の出来あがりだ」


「親父、お前の会社は何やってんだよ? 王子が失踪って、警備会社か何かか」


 そういえば、昔から父親が何して働いてるのかよくわからない。

 

 興味もなかったけれども。


「まぁ警備会社的な感じもあるし、建設業界的でもあり、ファッションや美容的要素もあり」


 質問してから後悔した。さらによく良く分からない。


 まぁ父親の仕事なんて最初から興味がないっていうか……給料さえ入ればそれでいいみたいな――普通そうだよな。 


 だが、その「会社で何やってんだよ?」という質問がいけなかった。


「興味がわいたか! じゃあ、さっそく会社へレッツらゴウだ」


 言い返すヒマもなく、俺はオヤジの車に乗せられていた。


 乗り慣れた日産ティーダに揺れられて、オヤジの会社まで四〇分程度。


 訳も分からず連れ込まれたのは、研究施設のような不可思議なビルだった。


 電話だけの受付を抜け、曖昧に微笑む社員さんたちに挨拶しながら最奥の部屋へ。


 じゃじゃーん、と姿を現したのは、へんてこりんなカプセルだった。日焼けマシーンみたいなやつを縦にしてある。


「これはな、いわばプチ整形マシーンだ! これで王子の顔に少しだけ似せる。何、基本的な顔はいじらん。髪とか目の色とか……その程度だ」


「整形? ヤだよ。やっぱり俺、帰る!」


「そういわずに、とうちゃんを助けると思ってだな」


「親父を助けたいなんて思ったことねぇよ」


「志誠は冷たいなぁ……いいか? とうちゃんが仕事で失敗してリストラされてもいいのか? そしたらお前、かあちゃんはパートに出てねえちゃんはお水で働いて、お前ももちろん高校退学で働いて、とうちゃんは家で酒飲んで暴れて、みんなそんな生活に疲れ果てて、一家リサン! ってなるんだぞ? 志誠はそれでもいいのか? お前はそれで幸せなのかっ?」


 なんでお前だけ酒のんで暴れて終わりなんだよ? 思わず突っ込みたくなるが、そこがグッと押さえる。


 そんなことはどうでもいいのだ。こいつのペースに乗せられてはいけない。他にもっと聞かなくちゃいけないことがある。


「その王子は……どこの国の、人間なんだよ?」


 いや、これも違うか。しかしオヤジは即座にきっぱりと答えた。


「クラリエンジ・アナーシャ王国」


「?」


 聞いたことない。つーか普通に存在しないだろ、そんな国。


 何かの暗号かな、それとも比喩か。どうにも胡散臭いな、この話……。


「まぁまぁ、細かいことは気にしないで。父さんを信じてカプセルにはいりなさい」


「信じられるかよ!」


「うーん……じゃあ騙されたと思って、な」


 そういうと、怪しげなマシーンに押し込められる。


「おい! やめろよ! う……うわ! なんだこりゃ!」


 自動でドアが閉まった瞬間、甘い香りのスプレーが顔目掛けて噴射される。朦朧とする意識の中、俺が最後に思ったのは、


(だから! オヤジの会社は一体何をしてるんだよ?)


 というものだった。


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