最終話 LIVE

 土曜日は準備のために午前九時に生協食堂前に集合だった。新歓ライブは二時からだけど午前はリハーサルがある。リハーサルとは言ってもちょっとした確認程度で、一つのバンドにつき数分で終わるらしい。私はベースにストラップつけて持って来てと言われていたのでそれをビニール製の赤いケースに入れて背中に担いで家を出た。

 新歓ライブはキャンパス内にある北部講堂という場所で行われるとの事だった。私が生協食堂に着いた時にはほぼ全員が集合していて、キムラ達は大量のアンプや大きな謎の機械やドラムセットらしき物を荷台に乗せている。食堂の横に白い大きなバンが止まっていて、その中に大量のアンプらしきものが入っていた。その量に私は驚く。一体何個あるんだろう。一度では運びきれず講堂と何度も往復した。

 キムラやインディーは何やら忙しそうにしていて話しかけられる雰囲気じゃない。レトリーバーも積極的に荷物運びをしている。ただ普通のバンドは多くても六人とかだけど、うちには三十人いる。私は手ぶらで皆の後をウロウロしているだけだった。コズエの姿は見えなくてメールを送信してみたけど返事はない。

 鼠色と灰色が混じり合った雲がまるで泥を含んだ雪だるまのように空を埋めている。今にも雨が降り出しそうで、たった一人森に迷い込んでしまったような不安な気持ちになった。いつもは活き活きと輝く芝生も今日は心なしか心細そうに風に揺れている。

 私はもう一度スマホを見てコズエからの返事を確認したけれど、何も反応が無くて私は「おーい」とだけ書いて送信した。


 講堂に設営されたライブ会場には既に暗幕のような黒い布があちこち張られていて、天井にはステージを照らすライトがいくつもあった。想像していたより遥かに広いステージでそこには既にドラムセットといくつかのアンプやマイクスタンドがあって出演バンドのリハーサルが始まっていた。

「結構本格的。やば」

 私がそう呟くと、横にいたヤンヤンが私に笑顔で語りかける。

「本格的だよね。PA業者に金払って来てもらってるし。ただ俺たちはあんまPAとか関係ないけど。新歓ライブは毎年結構盛り上がるんだよ。照明は学生がやってんだけど去年はさあ、そうそう俺がやってたバンドの時に、俺転んじゃってさ、そんでその時肋骨折って、その時も俺ばっか照明あたってたっぽくて笑い起きてさ、そんでネック折れてて、肋骨も折れちゃったんだけど病院行ったら折れてないって言われて」

 私は黙って頷いていたけどヤンヤンの話は頭に入らなかった。

 出演バンドの音のチェックが終わって最後は私たちの番になった。キムラ達が大急ぎで大量のアンプを壁のように積み上げて、電源コードを一つにまとめていく。アンプを積み終えると次はドラムセットを組み立て始めた。既に一つドラムセットがあるのに。

「ドラムって何人いるんですか?」

 私はヤンヤンに尋ねた。ヤンヤンも手伝う気はないようだ。

「今年は三人かな。あとギターが五人で、ベースが」

 と言って、指を折って数え始める。

「えっと、一、二、三、四、……ふんふんふんふん、で、キヨミちゃんもベースだし、あれで七だから、一、二、三、四、五、六、七、で、ええと、十七、十八、十九、うーんと二十かな。二十人」

「は? ベースが二十人いるんですか?」

 私はすっとんきょうな声を出した。

「そう。すごいよ。低音。ベースが二十人いるバンド聴いた事ないでしょ?」

 勿論そんなバンドは聴いた事ない。私はいよいよ不安になってくる。このままこっそり帰ろうか。

「あーそのマイクいらないです! はい。ええと、電源はこちらでも。はい」 

 キムラがPAを担当している業者の人と大きな声で会話している。PA業者の人は講堂の真ん中あたりに大きなツマミがいくつもついた機械の前にいて、結構ステージから離れているため大声になっていた。

「じゃあ発電機チェックします」

 キムラのその言葉を合図にインディーはステージ脇に置かれた一メートル立方位の四角い形をした機械に付属した紐のようなものを勢いよく何度か引っ張る。一度、二度、三度。ズドドドド……と轟音ごうおんが鳴り響く。私は「うるさ」と言ったけど、その声もかき消される位の音だった。

「じゃあみんな、おねがいします!」

 キムラは声を張り上げる。メンバーはそれぞれに楽器をアンプと繋ぎセッティングしていく。私がそこに立ちすくんでいるとキムラがやってきた。

「キヨミちゃんの俺がセッティングするから」

 キムラは私からベースケースを受け取るとチャックを開けてベースをゆっくり取り出し、ステージの中央付近に行って、アンプと接続してから私を手招きした。実際にステージの真ん中に立ってみると、三十人が集まっても狭すぎるという事はない程に広いのだと気づく。

 私がストラップのついたベースを肩に掛け終わった事を確認して、キムラは私にプラスチック製のの三角のピックを手渡した。透明な薄い茶色で、使い込まれた物らしくプリントのはげたピックだった。

「じゃあ音出るかだけ確認して! あんまりボリューム上げすぎないで! チェックできないから!」

 キムラが叫ぶ。各自がアンプを弄りながら音が出るか確認する。周りの音が大きすぎるからか皆耳をアンプに近づける。一通り確認が終わると、今度は大急ぎで撤収作業に取り掛かった。準備にも撤収にも他のどのバンドより時間が掛かって、私は「時間かかるからトリなんだ」というキムラの言葉を思い出す。

 その後、出番まで自由行動になった。殆どの人が講堂にライブを観に行ったけれど、私は一人で生協食堂の隅にいて、二時になった時にはもうこっそりと帰ろうと思っていた。不安しかない。上手く行く気が全くしない。ただ恥をかくだけ。あれだけいるんだし一人位いなくても気づかないはずだ。後から何か言われたら適当にごまかそう。そしてこのサークルもフェイドアウトしよう。バレーボール辞めたみたいに。

 その時ふとコズエの事を思い出してスマホを取り出す。コズエから連絡が来ている。

——「今から行く。昨日飲みでさっき起きたごめん」

 私はちょっと迷ってから「生協食堂で待ってるよ」と返事した。

 暫くしてコズエはジーンズに白いブラウスというカジュアルな出立で現れた。

「ごめんごめん。頭痛すぎて行くか迷ったわ。ヤンヤンバンドには間に合うかな」

 と笑った。私は「うん」とだけ答えた。


 ヤンヤンのモンパチコピーバンドは想像以上に上手で驚いた。観客も席がほとんど埋まる位入っていて、盛り上がった。私はコズエと前列の左端に陣取って目の前で演奏するヤンヤンに声援を送った。ヤンヤンは興奮していたのか、つんのめってかっこ悪く転んだけどネックは折れていなかった。きっと肋骨も大丈夫だろう。『ちいさな恋のうた』という曲がこのバンドの曲だという事を初めて知ってちょっと嬉しくなる。

「ヤンヤン演奏の時だけメガネ取るのうけるね」

 コズエはそう言って笑った。


 日が落ちて、暗くなっていく。泥だらけの雪だるまのようだった雲は変わらずどんよりしたままだったけれど、最後まで雨は降らずに私たちの出番が近づく。

 私達の前に出演していたラッドウィンプスのコピーバンドの演奏が終わる頃にはさらにお客さんが増えていて、超満席になっている。私達はステージの横の控え室エリアに入りきらずにステージ脇で待機していた。ラッドウィンプスのコピーバンドはアマチュアとは思えない位上手だった。

「すごい、声までそっくり」

 演奏がそっくりなだけじゃなくて、声まで似ていたのだ。

「なんかあの人、顔まで似てきてるね」

 と、私達は爆笑した。

 コズエは「キムラさんどこかな」と言って辺りを見回してステージ脇の控室エリアにキムラとインディーを捜し当て、私の手を引いて彼らの方へ向かった。

「今日まだ挨拶してなかった。がんばってくださいね」

 コズエのいつものキラリとした笑顔に対し、キムラは「あそうだ、今日これ」と言って金属っぽい質感の真新しい鉛筆くらいの長さの一本の棒をコズエに差し出した。

「え、なんですかこれ?」

「犬笛だよ」

「いぬぶえ?」

「これは笛なんだけど、犬にしか聴こえないんだって。今日はこれ吹いて。まだ誰も口つけてない新品だからどうぞ。あげる」

「え? 私も出るんですか?」

 キムラは困惑するコズエに無理やり犬笛を握らせた。キムラは笑って、私も笑って、インディーも笑った。最後にはコズエも笑った。


「じゃあおめえら、ラストのバンドも盛り上がれよ!」

 ラッドウィンプスのコピーバンドが猛々しく私達の紹介をしてからステージから降りるとすぐさまキムラ達は各々アンプを手に持ちステージの後方へなだれ込み、大急ぎでアンプの壁を制作し始めた。機材準備をしている間はPA業者の人が小さくBGMをかけてくれていたのだけど、よく知らない英語の曲だった。ヤンヤンが「お、ウィークエンドのブラインディングライツだ」と呟いていたのでそういう曲なのだろう。キムラはステージ中央付近まで移動するとマイクなしで「よろしくおねがいしまーす」と弱々しく呟いて一礼した。観客の誰かが「キムラー!」と声を発した。「待ってたぞ!」という声も聞こえてきた。アンプの壁が完成し、シンバルの足をガムテープで固定したところでキムラが「オッケーでーす」とインディーに合図した。

 発電機の紐をインディーが引っ張る。一度、二度、三度で爆音が息を吹き返す。その不快な騒音に観客数名の顔が歪んだ事に私は気づく。

「じゃあボリューム上げて!」

 キムラが声を張り上げる。皆が客席に背を向けてアンプのボリュームを右に回す。私のアンプのボリュームはキムラが上げてくれる。キーンというフィードバック音が響き合う。キムラはステージの右端に逃げようとした私の手を握って、中央に陣取る彼の右横に私を置いた。客席は暗くてハッキリとは見えないけど超満員のままだ。私はスポットライトを浴びていた。

 キムラは床に置いてあった掃除機を手に持った。ダイソン製のコードレス掃除機だ。そのダイソンにはマイクがガムテープで固定されていて、マイクはアンプに繋がっていた。キムラがダイソンを頭上に掲げてスイッチを入れるとブオーっと音が出るやいなやアンプからけたたましいハウリング音が吹き出た。悲鳴に似たノイズだった。キムラが叫ぶ。

「じゃあせーのでいくぞ! せーの!」

 

 ドスン


 と空気が揺れたのを感じた。体が一瞬浮く。

 三台のドラムが全力で滅茶苦茶に叩かれてその衝撃が体に浸透していく。二十台のベースアンプから流れる猛烈な音圧の不協和音が会場中に充満し、海の中で溺れて暴れまわった末に生きる事を諦めて流れに身を任せているような気持ちになって、それから五台のギターアンプからの高音のノイズが私のこれまで生きてきた記憶を切り刻んだ。私は何も考えられなくなって慌てて全力で腕を振る。後方のアンプから微かに私の音も聴こえる。私の音もここに加わっている。ステージ右端にいるはずのコズエを私は探す。コズエは一心不乱に犬笛を吹いている。ここに犬がいたら大喜びだろうな。左を見やるとキムラは左手にダイソンの掃除機を持ちながら天を仰いで何やら叫んでいる。が、マイクを通していない生の彼の叫び声が何という言葉を発しているのか、この音の洪水の中では分からない。私はステージ上の皆が全力で楽器を弾きつつ各々に何かを叫んでいる事に気づく。ドラマーも叫んでいるし、ギタリストもベーシストも、皆が目を瞑り、上を向いて叫んでいる。けど。私は全力でベースをかきならしながら、左にいるキムラの口の動きを懸命に観察した。




「た、

                    す、

      け、

            て、


  く、


 れ」





 私はキムラがそう叫んでいるのだと気づいた。


 音の海の中で数分が経過し、キムラが観客席に背を向けるように体を反転させて、ダイソンを頭上で左右に大きく振った。それが終了の合図のようで、皆は楽器の演奏も叫ぶのもやめて、フィードバック音だけになり、次には各々バラバラのタイミングでアンプのボリュームを左に絞って、最後にステージ上の全ての音が消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の友達、GOO 三文の得イズ早起き @miezarute

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ