第三話 四月末の太陽光線

 次の日、昼十一時。

 大学キャンパス内にある生協食堂で私はコズエと一緒に早めの昼食を取っていた。小鉢を適当に取って食べる。今日はモロヘイヤとオクラのお浸しに豚肉とブロッコリー和風炒め。

「結構しっかり食べるね」

 コズエが私に言う。彼女はパックの豆乳を飲んでいた。

 高校時代の彼女と違ってうっすらと化粧をしている。大きな瞳や、意思の強そうな眉や色のついてない黒い髪は高校時代と変わっていない。私と違って小さくて、可愛い。彼女は薄いピンク色のブラウスを着て耳にゴールドっぽい小さなイヤリングをしていた。

 私とコズエは同じ高校に通っていたけれど、高校時代そこまで仲が良かったわけではない。四月に大学に入ったばかりで友達もいない中での顔見知りという事で急に話すようになり、最近よく昼食を共にしていた。

 生協食堂は十一時という時間帯のせいか客がほとんどいない。私達はだだっぴろい食堂の真ん中辺りに陣取って一時から始まる授業までここでダラダラすることにしていた。夥しい数の細長いテーブルが機械的に並べられ、どのテーブルにもプラスチック製の白く頑丈そうで肘掛のない簡素な椅子が備え付けられている。食堂の南側には大きなガラスがはめ込まれ、十分な量の陽の光を斜めに取り込み、その光の振動が私の心を明るく照らしてくれる。

「コズエちゃんなんかサークルとか入ったの?」

「うーん、そういうのはあんま考えてないかな」

 コズエはスマホから目を離さずに答えた。

「キヨミはバレーボールだっけ? 体育会系の? サークルの?」

 コズエはスマホをテーブルに置いてから、私の目をしっかりと見つめ笑顔を作った。彼女が笑うといつも口角がしっかりと上がる。スキー初心者がやるボーゲン位の角度。

「いやそれなんだけど、サークル勧誘してきた先輩にロイホに呼ばれて、行ったんだけど」

 私は昨日の話をコズエに語った。キムラの事、インディーの事。音楽サークルの事。車の事。

「へー。キヨミがバンド系興味あるとは思わなかったわ。バレー続けるかと思ってたし」

「あれはもう十分やったかな。私デカいだけで才能ないし。大学はもっと軽い感じで楽しく、軽く」

「ふーんそうなんだ。私はバイトだな。サークルとかは無理。うち結構貧乏だからさ」

 それからコズエは「思い出した」とでもいうような表情をして高校時代の共通の友人の近況について語り始めた。

 

 コズエと他愛のない話で盛り上がっていると食堂の入り口付近をうろつく長髪の男が目に入る。私は思わず、あ、インディーだ、と声に出してしまう。コズエは「インディー?」と振り返って私の視線の先を探る。

「あ、さっき言ってた人?」

 コズエはそう言ってから私の方に向き直し、驚きとも非難とも言えない顔で私を見つめた。インディーは黒髪をなびかせ小鉢コーナーに向かう。革っぽいライダースジャケットに鉄の鋲がついた黒いスニーカー。強そうな靴だ。

「うんそう。さっき話してたインディアンっぽい人ってあの人」

 私が頭を低くしてそう囁くささやくとコズエはじわじわと笑顔になって両手で口を覆い「確かにちょっとインディアンってわかるかも。うける」と言った。

 会計を済ませたインディーは食堂の窓がある奥の方に向かって歩いて行ったが、途中、私に気づいたようでこちらを見ている。その間コズエは「一応挨拶した方がいいんじゃない?」と最もな事を言ったけれど、私は「やっぱあのサークルやめるかもしれないしいいや」と答えた。

 インディーは私の方へ歩みの方向を変え、私の手前4メートル位まで近づくとそこで立ち止まった。

「あ、昨日はどうも」

 異様に丁寧に一礼して、食堂の一番奥の窓際の席へ向かった。私は小さな声で「あ、どうも」と返答するのがやっとで、その声は彼に届いてない気がした。

 彼が行ってしまった後、コズエは何学部の人なのかとか何年生かとか尋ねたが何一つとして分からなかった。学生かどうかも分からない。「わかんない」とだけ答えて、また高校時代の友人の近況の話に戻る。

 私達共通の友達の彼氏が遠距離恋愛になった途端に浮気した、とかいう話になったところで、今度は入り口にキムラの姿が見えた。

「あ、あれ多分キムラさんだ」

 キムラは食べ物には一切見向きもせずにインディーの座っている方へ歩いていった。彼は昨日と同じ格好で、汚いブーツを履いている。昨夜との大きな違いはサングラスをしていた事だった。テンプルの部分が異様に太いサングラスで、それは中学生が無理してかけているみたいで実際の所、全く似合っていない。彼は妙に猫背で足をあまり上げずにヒョコヒョコと滑稽な姿で歩いた。キムラは私に気づくとサングラスをとり、「昨日はどうもありがとうございました。また今度連絡します」と笑顔で言ってインディーの方へ向かった。コズエはキムラのその様子を振り返った体勢でまじまじと観察していた。

「あの人は結構かっこよくない?」

 キムラの観察を終えたコズエは私の方に勢いよく振り向きそう囁く。私は「それはないわ。あのサングラスとかダサすぎでしょ。歩き方も変すぎるし」

「まあねえ。でも顔はちょっとかっこいいんじゃない? 背も高いし」

 コズエはそう言った後、ちょっと沈黙し何か考えている様子だったが、にわかに立ち上がると「ちょっと私にも紹介してよ」と私をキムラ達の所へ連れて行くように促した。私は二度断ったが、三度目で折れた。

 窓際一番奥の席、インディーとキムラが座る席に私とコズエが急に現れても二人はさして驚くこともなく私たちを迎え入れた。インディーとキムラは向かい合うように座り、インディーが一番角の席に窓を背にして座る。私達はインディーの隣に二人で並んで座った。

 コズエは簡単に自己紹介して、キムラとインディーも自己紹介した。

「サークルってまだ募集してるんですか? 私もやろうかなって。バンドやりたいなって思ってて」

 私はそれを聞いて笑いそうになった。絶対にそんなこと思ってない。

「大歓迎ですよ」

 大袈裟なリアクションで喜ぶコズエ。私はそんな彼女のコミュ力の高さを良いな、と思う。実際の所、コズエはキムラにもインディーにも動物園の猿とか象とかフラミンゴとかと同等の興味しか持っていない気がする。なんとなく、だけど。

「そういえばあれ、お前買ったの? ダイソン」

 インディーが口を挟む。テーブルの上にはカボチャの煮物の小鉢がある。彼はこれだけを買っていたのか。

「買った。メルカリだけど問題なく動くよ」

 キムラは横向きの姿勢で片足を隣の椅子に乗せて答えた。さっき外したはずのサングラスを再びかけている。本当にダサいな、と私は思う。キャンパス内に設置された古びた生協食堂で真昼にこんな時代遅れの暴走族のようなサングラスをかけてる奴はまずいない。このイタさを許せる女は私くらいだと思う。

 キムラは両方の足を椅子に乗せて完全に横を向く体勢になった。その時私とちょっとだけ目が合った。

「キムラさんってキヨミをナンパしてサークル入れたって本当ですか?」

 コズエは笑顔でそう言うとちょっと小首を傾げた。コズエはその笑顔のせいか不思議と何を言ってもとげがない。キムラとインディーは笑った。

「いや、ナンパ? ナンパなのか? 声かけたのは確かだけど。ナンパじゃないです。勧誘です。ナンパとか俺には無理」

「だってキヨミってバンドする感じじゃないし。絶対ただのナンパ。背が高い女が好き系?」

「いや本当に勧誘ですよ。えと、直感です。この子はバンドに必要だって直感がびかっと。これはマジで」

 キムラはコズエに向けていた視線を少しだけ私にずらして、またコズエに向ける。

 窓の外からは絶え間なく光が流れ込んでいた。四月末の太陽光線は私の背中を優しく撫でてくれていたけれど、次第に暑く感じてきてもうちょっと弱くていいぞ、と思う。

 お昼時になってどんどん生徒が食堂に入ってきた。私たちが座っている方へ何人もの人が押し寄せ、キムラとインディーに軽く挨拶をして近くの席を埋めていく。そうして新しく誰か来るたびにキムラは私達を「今度一緒にやってくれることになったキヨミちゃんとコズエちゃん。こちらバンドメンバーの」と紹介していった。さらに人が増えて十人を超えそうな所で私はコズエを促して食堂から出ることにした。出口付近でもう一度キムラ達が座っていた辺りを見やるとすでにその数は二十人位になっている。

「キムラさん友達多いね。キヨミやるなら私もやろっかな、バンドとか全然興味ないけど」

「やろうよ。私も友達増えたらいいなってだけだし」

 外に出るとどっと暑さを感じた。視界が白色と黄色で満たされる。どんな理不尽な事も許せちゃう、そんな日差しだった。

「でもさあ。あれって全部本当にキムラさんのバンドメンバーなの? なんかそう言ってたけど、異様に多くない? 二十人もいるバンドありえる?」

「まさか」

 私は小さく笑う。

 コズエがもう一度「私もやろっかなあ」と言うので、私はコズエの方を向いて「うん」と大きく二度頷いた。

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