第二話 愛の方程式

 夜七時。

オレンジ色に照らされたロイヤルホストで、私は二人の男とテーブルを挟んで向き合っていた。

 私はうつむきながら目の前の男二人の顔をチラチラと盗み見る。

「そういうわけで、キヨミちゃんに加入してほしいんです」

 男はキムラと名乗った。私はあの時求められるままキムラに連絡先を教え、そして彼に誘われるままここに来た。

 キムラは黒地の薄いノースフェイスのウインドブレーカーを着ていて、前髪が長く、サイドを刈り込んでいる。ツヤツヤと光る前髪はまぶたの上まで伸びていて、黒いヘルメットのようだった。瞳は大きく、顔が小さい。背が高く、百八十五センチメートル以上はあるだろう。腕も首も折れてしまいそうな程に細い。彼の黒い髪がロイヤルホストのオレンジ色の照明を白く反射させていて綺麗だなって思った。

 この男はかっこいいのか? と誰かに問われたら、かっこいい、と私は答えるだろう。私はかっこいい友達がほしかったんだと思う。私より背の高いかっこいい友達。

「私確かにバンドに興味あるみたいな事言いましたけど、そんな本格的な事じゃなくて」

 私の地声はとても低い。できるだけトーンを上げて可愛い声を心がける。

 キムラはこの大学で音楽サークルを主催しているらしい。サークルの勧誘など四月の新入生にはよくある事で私はこの身長のせいか沢山の体育会系のサークルに誘われた。

「キムラさんのバンドってどんな曲やってるんですか? 私高校の時バレーボール部でモロ体育会系だったから音楽とかあんま詳しくなくて」

「どんな曲、かあ」

 キムラは電線に止まった雀でも観察するように斜め上に目線を上げた。

「なんていうか、ほら人類っていろんな人種がいて、それでもみんな人間ですよね。アジア人だから、黒人だから、そういう区別があってもいいけど無くてもいい、というか」

 キムラはその整った顔で私をじっと見つめて、彼の左の席で腕組みしていた長髪の男に視線を移した

 キムラの左、私から見ると右斜め前に座っている男の名前を私は知らない。最初ここで初めて会った時、互いに自己紹介して名前は聞いていたのだけれど、あまりに彼の声が小さくて聞こえなかったのだ。彼は腕組みを解いて両手をソファにつけるとちょっと前かがみになりながら口を開いた。

「俺達の音楽は、なんていうか、なんていうんだろ。なんていうのかな」

 私は心の中でなんか言えよ、と思う。そのうちに彼は目線を上げ、私としっかり目が合った。その間2秒。

 彼は今どき珍しい黒髪ストレートの長髪で、そのテカテカと輝く黒髪は肩まで伸びていた。そしてその長い髪を額の真ん中でピッタリと2つに分けている。背は高くない。彼も枯れ枝のように細い。私はなぜかインディアンを思い出す。

 私は彼を心の中で『インディー』と呼ぶ事にした。

「音楽とかたまに聴くだけで、でもバンドとかやってみたいって前からうっすらと思ってて。チャットモンチーとか好きで、それで高校の時にベース買ったんですけど、持ってるだけで全く弾けなくて、そんなぬるい感じで。そんなのでも大丈夫ですか?」

「もちろん」と、キムラは頷く。

「ベースなんて何人いたっていいもんな」

 インディーとキムラは目を合わせて微笑む。

 私は冷たくなってしまったコーヒーを一口飲んで、ん? と思う。ベースは何人もいちゃダメだろ。ロックバンドにベースは一人。それくらい私でもわかる。

 そのうちにインディーが「じゃあ今日はこれで」とキムラを促した。キムラは「おう」と脇にどけていた黒いリュックサックのチャックを開け、中をゴソゴソとまさぐって何かを取り出す。折り紙くらいの大きさの白いプラスチックケース。キムラはそれをテーブルの上に置いてからゆっくりと私の方に押しやった。

 私はキムラがその動作をしている間こっそりと彼の顔を観察していたのだけれど、鼻の形に目が留まった。良い鼻。

「じゃあさ、これ聴いておいて欲しいんです。ええと、俺たちの方向性みたいなのも知ってほしいし」

 キムラはそう言ってプラスチックケースを指で二度叩く。それはCDのようだった。ただそのCDは彼の自作らしくタイトルも何もない。ただの無機質なCDだった。


 キムラの車で家まで送ってもらう事になって、私は後部座席に乗り込みインディーは助手席に座った。車の車種はよくわからなかったけど高そうな車で、学生なのにどうしてこんな車に乗れるのだろうと微かに疑問が沸く。車の中でも二人の男は私に対して常に敬語で、決して高圧的な態度は取らなかった。常識で考えると、この男達が危ない連中の可能性もあるわけで、軽率な行動に思えなくもないけれど、二人共ヒョロくて殴り合ったら勝てそうな気がしたから深く考えない。

 大まかな私の家の住所を伝えて、あとは「ここを右です」とか「この通りを真っ直ぐ」とかキムラに指示する。カーステレオがキムラのiPhoneと繋がっていてごく小さな音量で彼の選曲したであろう曲がかかっている。どれも一昔前の曲らしく知らない曲ばかりだったのだけれど、その中の一曲が妙に頭の中に残って何度もリフレインしてしまう。まるでそれが私への重要な暗号付きメッセージであるみたいに。


 ——愛の方程式 解いてね そして close to me


 こんな歌詞の曲だった。愛の方程式って何だろう?


 車が実家の前に着き、私は彼らに丁寧に礼をして車を見送った後、玄関のドアを開けた。 

 家に入ると母親が窓から見ていたらしく何度も「あの男は誰だ」、と問いただす。私はサークルの先輩、と言ったのだけれど母親のリアクションは頗る悪く、変なサークルならやめなさいと渋い顔で私を見る。私は「過干渉」とだけ答えて、お風呂に入って歯を磨き布団に入った。

 

 その晩、真っ暗にした私の部屋のベッドの上でなかなか眠れずにいた。キムラは結構かっこいいな、とかインディーは良い人そうだけどあの人とは付き合えないなとか考えていると目が冴えてしまう。ちょっと起きてストレッチでもしようか、と部屋の電気をつけた時、キムラに貰ったCDの事を思い出した。

 あ、そうだこれ聴いておけって言ってたっけ。

 が、そこで私はCDを再生する機器を持ってない事に気づく。これ、どうやって聴けばいいんだろ? しばし考えた後、ノートパソコンにCDを入れる所があったことを思い出した。

 ノートパソコンを起動して、横のボタンを押すとガシャンとディスクドライブが開く。このボタンを押したの初めてだな、と思う。そもそもノートパソコンをほとんど使わなくなってしまった。高校生の時に親に買ってもらったピンク色のノートパソコン。買ったときはあれもこれもやってみたいと思っていたけど、結局何もやっていない。

 パチンとCDをはめてセットすると、ファイルが画面に現れてそれを開く。

 私はキムラのオリジナルソングとかだったら嫌だな、と思う。オリジナルラブソングとか熱唱していたらきつい。学生バンドって普通はコピーバンドとかだし、そういうので良いんだよ。

 などと考えているうちにファイルが再生された。

 ゥモーーーーーー

 あれ? 設定間違ったかな。

 グガアアアアアア

 すっごい音割れ。なんだろ。パソコン壊れてる?

 ゴオオオピロロロロピロロダイモンハママツチョウダイモンハママツチョウ

「だいもんはままつちょう? 地下鉄? 音割れひど」

 私はなにかの間違いだと思って再生を止めパソコンの電源を落として、もう一度布団に入る。

 今度はすぐに眠りについた。明け方近く、何か変な夢を見た気がしたけれど起きて数秒たったら忘れてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る