第78話 月夜の告白
「アリス、明日は忙しくなるから今日は早めに休んでおきなさい」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えまして」
いよいよ私とジーク様の婚約をパーティーを明日に控え、今日は公爵家にてのお泊まり会。この6日間という期間は驚くほど日常すぎて、本当に婚約パーティーが開かれるのか? と思いながら、今日という日を迎えてしまった。
「ふぅ、なんだか実感が沸かないわね」
私に割り振られた部屋へと戻り、唯一の世話役でもあるカナリアに対しての独り言。正直早めに休めとは言われたものの、寝るにはまだ早く、何かをするには少し時が足りないといったそんな時間帯。
エリスかフィーがいれば、まだおしゃべりでもできるのだが、あの二人は無情にも私を放っておいて、今はユミナちゃんの部屋での女子会中。休めと言われた手前、あちらに合流することも躊躇ってしまうし、暇だからといってサロンに戻ることも出来ないだろう。
仕方なく部屋に設けられたテーブルセットに腰掛け、カナリアが用意してくれた暖かいお茶をいただくことにする。
「私のような者が言うのもなんですが、婚約ってそんなものだと思いますよ」
「そうよね。寧ろ他のご令嬢方と比べると、時間は多くいただいていた方だと思うわ」
近年は物語のような貴族の恋愛もあるにはあるのだが、未だ親同士が決めた婚姻の方が多く、また女性が立場的に弱いため、結婚相手を自ら選べないというのが現状なのだ。中には結婚当日までお互い顔も知らない、なってことすらザラにあるとも聞いている。そう考えれば、私は恵まれている方なのだとは思うのだが、明日という日を迎えた今ですら、イマイチ婚約するんだっという感覚が芽生えてこない。
そういえば結局ジーク様からは挨拶らしい挨拶は特になかったのよね。
別にこの6日間まったく話をしなかったという訳ではなく、いつも通りに接し、いつも通りに会話をしていたという事実だけ。ただお互い敢えて婚約の話を切り出さなかった感は否めないが、果たしてそれが私が勝手に思い込んでいるだけなのか、それともジーク様も同じように感じておられたのかまでは確認出来てはいない。
「アリス様、お暇を持て余しておられるのなら、少しお庭を散歩されてきてはどうですか?」
「お庭? うーんそうね、やる事もないし少し見せてもらおうかしら。気分転換にもなるしね」
窓の外はすっかり日が落ちてしまっているが、公爵家のお庭は防犯のために所々に明かりが灯されているし、今日は月明かりも綺麗な夜空なので、気分転換に夜の庭園というのも一興なのかもしれない。
私はカナリアの案を採用し、用意してくれたストールを羽織りながら、部屋のテラスから庭園に向かう事とする。
「すみませんアリス様、私はまだ明日の仕事が残っておりまして」
「あぁ、そうだったわね。私の方は一人で大丈夫よ。別に知らない場所に行く訳じゃないんだから、気にしないで仕事にもどってちょうだい」
「申し訳ございません。何かございましたら直ぐに駆けつけますので」
「もう心配性ね」
カナリアも明日の為に仕事が山積みだものね。
お庭だって今まで何度も見せていただいているのだし、公爵家の敷地内に不審者が入り込めるとも思えないので、カナリアが心配するような事は起こらないだろう。私も一応、氷の魔法は使えるんだしね。
「それじゃ行ってくるわ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
それだけ言うと、見送るカナリアを背に一人夜の庭園へと足を運ぶ。
「夜の散歩というのも中々に良いものね」
ローズマリーにも庭園はあるが、あちらは営業目的の為に機能重視。公爵家のように散歩を楽しめるほどの明るさも広さもないので、夜に花を見ようという感覚は持てなかった。だけどこうして月明かりとオイルランプに照らされた花々を見ると、どこか幻想的で、異世界に紛れ込んじゃったんじゃないかという気持ちになるのだから不思議なものだ。
まぁ、前世の記憶を持つ私からすれば、ここはまぎれもない異世界なんだけれどね。
「それにしてもいよいよ明日かぁ」
誰も見ていないのをいい事に、両腕を組み天高くあげて背筋を伸ばす。
フローラ様の話じゃ結婚式はエリスの卒業まで待ってくださるようだし、婚約すると言っても特に日常が変わるという訳でもないのだが、それでも前世から合わせて初めての体験というのは、やはりどこか不安に感じてしまうものがある。
そういえば前の年齢よりも若いうちに結婚しちゃうのよね。
記憶が確かならば、お菓子の学校に通っている時に、私はなんらかの事故に遭って命を落としてしまった。未成年のうえ在学中だったので、結婚なんてしているわけもないし、男性とお付き合いしていたという記憶もないので、ジーク様が私の初めてのお相手という事になるのだろう。ちなみにフレッドとは大した思い出も無いので、ノーカウントとさせてもらう。
「ん〜、バラの香りがいいわね。手入れも行き届いているし、庭師の方が良い仕事をされているのね。今度お店のお庭ことで相談させてもらおうかしら」
季節に合わせた色とりどりの花々、雑草などもしっかりお手入れがされており、歩く石畳はヒールが引っかからないよう綺麗に整備されている。
お城の庭園も広くて綺麗だと聞いた事はあるが、ここも引けを取らないほど凄いのではないだろうか。
「華の都……か」
庭園で思い出すのはジーク様と訪れた華の公園。1度目は感動とドキドキで、2度目は傷心と号泣でジーク様の服を濡らしてしまった。
結局私って、全ての感情をジーク様に見られちゃっているのよね。
そんな二人が間もなく婚約しようとしている、しかも私の私情が大きく絡んだ状態で。
ルテアちゃんやフローラ様は両思いだっておっしゃっていたが、直接話を聞いた訳でもないし、私から話を振ったという事もないので、結局ジーク様のお気持ちを確かめないままここまで来てしまった。
ジーク様、本当にこのまま私と婚約しちゃってもいいんですか? 私の恋は一方的なものではないんですか? もし他に好きな方はおられるんだったら私は……
「はぁー、こんな事を考えてちゃダメね」
気分転換も含めてお庭に来たというのに、これじゃ気分を変えるどころか逆効果。私がこんなにも悩んでいるというのに、肝心のジーク様は無反応とくれば、これはもう私は悪く無いんだと開き直りたくもなる。
結婚前は情緒不安定になるとは聞いていたが、まさに今の私はそれなのではないだろうか。
「そもそもこの6日間、私も公爵家に出入りしていたというのに、婚約の事に一切触れてこられなかったジーク様も悪いのよ!」
責任転換と言うなかれ、私にも複雑な女心というものがあるのだ。
これで事情もしらず、ただ両親に言われるままでの婚約ならこんな感情は沸かなかったが、こちらの事情はフローラ様から聞いておられるだろうし、私の事が好きというのなら、もう少し二人で話せる時間を作ってくれればいいはずだ。
それなのにジーク様ったら相変わらず表情には出さず、何事もなかったかのように普通に世間話を振って来られてたのよ。私はいつ切り出されるのかとドキドキしながら待っていたというのに、結局最後の最後までいつも通りで来てしまった。
そういえば私が初めて公爵家に来た時、フローラ様がジーク様のことを朴念仁とおっしゃっていたわよね。結局本人に事情を聞けば、女性がらみで苦労されてきたんだとわかったが、根本的に女心がわかっていないジーク様も悪いと思うのよ。
「そうよ、これも全てジーク様が悪い!」
うん、そうしよう。決して責任転換していると言うなかれ、女心というのはどの世界でも複雑なのよ。
月夜の下で一つの結論に達した私。そこに背後から近づく人の気配を感じ振り向くと。
「……その……、なんかスマン」
「ぶっ!」
そこに居られたのは何とも申し訳なさそうに佇むジーク様の姿があった。
「いいいいいい、何時から居られたんですか!?」
まさか今の話を聞かれちゃった!?
「その……なんというか、『バラの香りがいいわね』の辺りから……」
って、それ全部じゃない!!
「いや、その……盗み聞きするつもりじゃなかったんだぞ。だけど背後から声をかけるのも、脅かすんじゃないかと思って待ってだな」
本当に申し訳ない感が伝わってきて、逆にこちらの方が居た堪れないが、私の心の独り言を聞かれたとなればそうはいかない。
こうなればジーク様の心の中も暴露してもらわないと、こちらも釣り合わないと言うものだろう。
「まさかとは思いますが、ずっと私が気づくまで声を掛けないおつもりだったんですか?」
「し、仕方がないだろう、声をかけて悲鳴でも上げられたら、俺がアリスを襲っているようにも見えるんだぞ? だからどうやって脅かさないように声をかけようかと考えていたら、いきなりアリスが独り言をはじめてだな……」
「……」
なんだか叱られた子供のように『シュン』となりながら、必死に言い訳をしているジーク様を見ると、もう少しだけ苛めたく思える私は、もしかしてエスっ気あるのかもしれない。
「ジーク様!」
私はビシッとジーク様を指差し一言。
「私に言いたいことはないんですか!」
ここまで来ればもう開き直るしかない。なんだかジーク様に八つ当たりしているようで申し訳ないが、今しか時間が残されていないので、この際ハッキリさせておいたほうがお互いスッキリするというもの。
私は覚悟を決め、ジーク様から出てくる言葉を待つ事にする。
「言いたいこと……か」
ジーク様はどこか照れたようにされながら
「アリスはいいのか? 俺とその……婚約しても」
「……は? どういうことです?」
寧ろそのセリフは私の方では?
「俺はその……どうやら女心がわからない朴念仁らしいので、このままアリスが俺のよ、よよよよ、嫁になってもいいのか、その……分からなくてだな」
もしかしてジーク様、さっき私が言ってた独り言を気にされている?
コホン。
「良いも何も、今回巻き込んじゃったのは私の方ですよ? 寧ろ私の方こそ私と婚約しちゃってもいいのかなぁ、って思ってたんですが」
「巻き込む? なんの話だ?」
「あれ? もしかしてジーク様、今回の事情を聞いてないんですか?」
私はてっきり婚約に行き着いた経緯をフローラ様か公爵様かに、聞かれているのだとばかり思っていたのだが。
「いや、親父からはアリスとの婚約が決まったって、報告と日程だけを」
「じゃフローラ様からは?」
「母からはその……アリスとはキッチリ話をしておきなさいとだけ……」
あぁー、なんとなくその時の様子が容易に想像できてしまうところが怖いわ。
公爵様ってどちらかというと現実主義の性格で、娘のユミナちゃんには甘々なのだが、息子であるジーク様にはどこか端的に報告されているだけの感じがあるのよね。
男の子ってそう言うものだと言えばそうなのかもしれないが、今回の件も恐らくただ婚約が決まったから準備だけしておけ、って程度の報告だけだったのではないだろうか。私とは今後の事でで色々話をしていたというのに、息子に対してぶっきら棒なところは、親子揃って似た者同士という事なのか。
「はぁー、それじゃ私が勝手に空回りしちゃってだけなんですね」
事情も知らずに明日を迎えるのもなんなので、男爵家と実家の件を一通りジーク様に説明をする。
「つまりですね、今回婚約に踏み切ったのは私の私情によるところ大きいんです。だから私はこんなにも頭を悩ませていたというのに」ぷんぷん。
「そういう事か、俺はてっきり母が無理やり婚約をさせようとしているかと思っていてだな、その……アリスは本当にこのまま俺と婚約してしまっていいのかと、本気で心配していたんだぞ」
「それじゃこの6日間、婚約の事に触れて来られなかったのは?」
「それはだな、アリスがどう思っているのか分からなくて、様子をみていたんだよ」
そういう事だったのね。
ジーク様らしいといえばらしいのだが、こんな時まで他人の事を気遣うのはどうなのよと、口を大にして反論したい。
だけどようやく本当の事が聞けて、どこかサッパリした感じがするのは本当だ。
「もう、そういう事なら気軽に聞いてくださいよ」
「そうは言うがな、アリスは既に親から独立して生計を立てているうえに、親父やローレンツからも信頼されているだぞ? そんな中でアリスとの婚約が決まったとだけ聞かされれば、俺が直接本人の気持ちを確かめられると思うか?」
この時頭の中で、公爵様>私>ジーク様という構図が出来てしまい、なんとも申し訳ない気持ちが込み上げてしまう。
ま、まぁ、私は仕事がらみで公爵様やローレンツさんとも信頼関係が築けているし、フローラ様やユミナちゃんともお茶のみ友達のうえ、メイドさん達とも仲がいいので、もしかすると立場上ジーク様に反論の余地がなかったと言われれば、そうなのかもと思えてしまう。
でもそうね、ジーク様も私と同じように悩まれていたと聞けば、決して悪い気分にならない。
「結局お互いがお互い相手の気持ちを第一に考えていた、と言う事なんですね」
「そうらしいな」
ぷっ。なんだ蓋を開ければ気持ちがいいほど、互いに想いが交差しちゃってだだけなんだ。
私はジーク様の気持ちを案じ、ジーク様もまた私の気持ちを尊重されていた。原因は事情を知るものと、知らざるも者の違いだが、そこは公爵様の説明不足という事にしておけばいいのだろう。
私は改めてジーク様に正面から向き合い。
「ジーク様、私はジーク様の事が好きです」
「俺もだアリス」
「ぷっ、初めっからこうしていれば良かったんですね」
さっきまで必死に悩ませていた不安が、今は嘘のように消え去っている。
私は物語の主人公なんて柄じゃないから、ロマンティックなシチュエーションは期待していないが、こういう不器用な愛の告白があってもいいのではないだろうか。
「ジーク様、私は他のご令嬢より厳しいですからね、覚悟しててくださいね」
「知っているさ、だから好きになったんだ」
「それじゃこれは私からの最初の試練です」
「……あぁ、受けて立とう」
私はジーク様の正面に立ち、そっと両の目を閉じる。
視界は夜の暗闇も重なり、全く何も見えない状態だが、優しく私の肩に何かが触れた後、ちゅっと温かく優しいぬくもりが唇を通して伝わって来る。
恐らく私もジーク様も真っ赤に頬を染めている事だろう、だけど今の私達にとってはこれ以上ないと言うほどの愛の表現。
やがて永遠とも思える幸せな時間が過ぎ、何方ともなく恥ずかしさのあまり視線をはずしてしまう。
人を愛するという事は、こんなにも幸せになるものなんだ。
不器用な二人が不器用ながらに初めて唇と唇を重ね愛を確かめ合う。少女の名前はアリス、青年の名前はジーク、月夜に照らされた愛の告白は後に恋の物語として、多くの人々に喜びと感動を与える事となる。
後日、私とジーク様を偶然会わすように仕組んだのは、ユミナちゃんとカナリアだと分かり、みっちり私からお仕置きされたのはまた別の話である。
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