第77話 三つの質問
「ではお言葉に甘えまして」
私は解決させておかなければいけない問題として、まずは公爵家自体の意向をどうお考えなのかを、ひとつ目の質問として投げかける。
「ご存知の通り私の実家は下級貴族でもある騎士爵です。そのうえ私自身も実家を出ておりますし、兄からは家名を名乗る事を認められてはおりません。フローラ様が私をかってくださっているのは理解しておりますが、ご当主である公爵様や一族の方々から、私が公爵家に入るのを快く思わない方もいられるのではないでしょうか?」
「あら、そんな事を気にしていたの? 私はもちろんエヴァルドだって貴女を迎え入れたいと思っているわよ」
「そうなのですか?」
何というか最大の難関とも思われた公爵様まで、私とジーク様の婚約を前向きに考えてくださっていると聞き、一気に気が楽になったような感じを味わう。
「えぇ、ローレンツに聞いてくれてもいいけれど、ユミナも屋敷の使用人達も、アリスを迎え入れる事に反対する者は誰もいないわ」
そう言われると、ユミナちゃんは私の事を『お姉さま』と呼んで慕ってくれているし、公爵家のメイドさん達も比較的……というか、むしろ物凄く大事にしていただいている思いすら感じている。
「それに一族の方だって、貴女が思っている以上には受け入れられているのよ」
「えっ? でも私、お会いした事なんてほとんどありませんよ?」
どういうこと? 公爵家の関係者で、私と面識があるなんてほんの数人程度のもの。この前のパーティーで軽く挨拶ぐらいは交わしたが、正直名前と顔が一致していないのが現状だ。それなのにどうしてあちら側では受け入れられているというのだろうか。
「奥様、その件に付きまして私の方から」
「そうね、その辺りはローレンツの方が詳しいわね」
「えっと、どういう事です?」
公爵夫人であるフローラ様より、執事であるローレンツさんの方が公爵一族に詳しいと聞き、私は一人頭を悩ませる。
「アリス様、チョコレート工場の代表であるアマミズキ様と、王都で開いたチョコレートショップのオーナー、ナデシコ様はご存知でしょうか?」
「アマミズキ様とナデシコ様ですか? 勿論存じておりますが」
確かローレンツさんから公爵家の関係者だと、最初に紹介された事を覚えている。
その後も打ち合わせや商品開発やらで何度もお会いしているので、逆に忘れる方が難しいだろう。
「そのお二人は共に公爵家の血筋の方に当ります」
「?」
それってどういう意味?
幾ら物覚えが悪い私でも、公爵家の関係者である事ぐらいは忘れてはいない。そもそも信頼のできる方を上に添えるのは悪い事ではなく、むしろ教養を学んできた一族の方が取りまとめ、現場能力の高い方を担当部署単位で指揮していく方が、効率がいいに決まっているのだ。それをわざわざ確かめるように言うなんて、一体ローレンツさんは何が言いたいのだろうか。
「確かアリス様にはご兄妹が数名いらっしゃいましたよね? そして次男以降の方は、全員領地とは関係のない別のお仕事に就かれている。つまりですね、公爵家の一族の者であったとしても、安定した収入を得るためには新しい事業が必要なわけなのです」
「あ、そういう事ですか」
公爵家の一族に生まれたからといって、全員が全員商売をやっているというわけではない。ある方は公爵家が関係する商会の一部を任され、またある方は商会の下請けとしてお店を開かれている方もいらっしゃる。中には独立したり、自身の能力を生かして国に支えられたりしている方もいらっしゃるらしいが、そういった方はおそらくごく一部の人達なのだろう。
管理を任されている分家だって、次男・三男ともくれば収入も少なくなるだろうし、場合によっては独立を余儀なくされる方だっていらっしゃるかもしれない。
そういった方々にとってハルジオン商会が始めた新しい事業は、まさに将来を約束された安定した収入源となっているわけだ。
そういえば先月から始めたクリーム工房も、ローレンツさんから紹介された方にお任せしたんだったわね。詳しい経緯は聞いていないが、あの方も確か公爵家の遠縁の方だったと記憶している。
「新らし事業を起こすには何年もの研究と調査が必要となります。この公爵でも長い間新しい事業を起こした実績が乏しく、この先も当分このままだと思われていた時にアリス様が現れたのです」
「私がですか? でもチョコレート工場はローレンツさんの案だったじゃありませんか」
「それは買いかぶり過ぎです。私はただアリス様が始められた店の現状を見て、ご提案しただけにすぎません。チョコレートショップの案も、アリス様があれほど見本となる菓子をご用意されなければ、店として構えるつもりはございませんでした」
これは正直嬉しくてたまらない。
私の先生でもあるローレンツさんに褒められた事もそうだが、私はずっと救ってくださった公爵家に恩返しをしたいと思っていたのだ。それがこの様な形で既に叶っていたと聞けば、純粋に嬉しくてたまらないのだ。
「こんな私でもお役に立てていたんですね」
嬉しい、すごく嬉しい。私がやってきた事は何一つとして間違いじゃなかったんだ。辛い事も楽しい事もいっぱいあったが、単純に人のために役に立っていたんだと聞かされ、私は自分の高揚を激しく感じてしまう。
「ですのでアリス様は自信をお持ちください。中には批判的な意見を出す方もいらしゃるでしょうが、一族の大半の方々は、アリス様が起こされている新しい風に期待をされておられるのです」
今の私ににとって、ローレンツさんから聞かされた事実は最高のご褒美だ。
貴族の最高位とも言われている公爵家で、これほど賞賛されているのは純粋にすごい事なのだろう。私一人では何一つ出来なかったとは思うが、少しぐらい自分を褒めてあげていいのかもしれない。
「不安の一つは解決できたかしら?」
「はい。ありがとうございます」
「それじゃ次の質問を聞こうかしら」
私は今すごいいい表情でもしているのだろう、ローラ様が笑顔を浮かべながら次の質問を尋ねて来られる。
私は今一度気持ちを引き締め、あらかじめ決めていたもう二つ目の質問を投げかける。
「二つ目の質問はジーク様ご本人のお気持ちです」
やはりこれを聞かない事に始まらないだろう。ご本人が居られない場でこの様な話をするものなんだが、肝心のジーク様のお気持ちを確かめない事には、私はこの話を受けるわけにはいかないのだ。
「やはりその質問なのね。何となく聞かれるんじゃないかとは思っていたのよ」
「先ほどレティシア様がおっしゃっていましたが、貴族の家に生まれた限り、親が決めた婚姻は子供に拒否権はないとのことですが、今回は明らからに私個人の問題が絡んでおります。それを関係のないジーク様に強要してしまうのは、やはり私としては嫌なのです」
幾らフローラ様や公爵様が私を気に入ってくださっているとはいえ、ご本人の気持ちを蔑ろにしては、私は一生後ろ目たさに苦しむことだろう。
勿論ジーク様との仲も、其れなりに良好な関係を気づけているとは思っているが、婚約や結婚の話となればまた別のもの。もし他に気になる女性が居られたり、私のお守りをするのにウンザリされているのならば、やはりこの話は受けるべきはないはずだ。
「そうようねぇ、そこが問題なのよ。貴女の事だからジークの口からはっきり聞きたいんでしょ? 好きだって」
「///////////っ!?」
そそそそ、そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃないですか!
余りにも不意打ち的な言葉に、自分でもわかるほどに顔を真っ赤に紅葉させてしまう。
「本当なら直接本人から告白させればいいのだけれど、あの子ってあれで相当な恥ずかしがり屋でしょ? だからと言って女性から結婚を迫るっていうのもね」
「そうね、男の子ならせめて寝込みを襲うぐらいの度胸は欲しいわね」
二人して随分とジーク様の事で不満を口にされているが、それじゃまるで両思いの末で、どちらもあと一歩が踏み出せないんだと言っているようにも取れてしまう。
本当ならこれ程嬉しい事はないのだが、恥ずかしさのあまり今はこの場にジーク様が居られない事に感謝したい。
「アリスちゃんって本当にジークさんの事が好きなんだね」
「うぐっ」
「うん、否定しなくなっただけでも進歩してると思うよ」
「うぐぐっ」
「でもね、アリスちゃんがジークさんを想っている以上に、ジークさんはアリスちゃんの事を大切に想っているんだよ」
「うぐぐぐぐっ……って、それはどういう事?」
ルテアちゃんが追い討ちに更に追い討ちをかけながら、私の知らないジーク様の事を教えてくださる。
「えっとね、アストリアから口止めはされてたんだけど、例えばこの前の誕生日。ジークさんから髪飾りをプレゼントされたでしょ? あれも随分迷った末に選んでたんだよ」
聞けば私が高価な物を好まない話を聞きつけ、何軒ものアクセサリーやを回った末に、前に一度二人で立ち寄った手作りのアクセサリーショップで、ようやく私が好みそうな髪飾りを見つけられたのだという。だけど私の髪色ってこの国じゃ非常に珍しい色なので、どうしても色合いだけは違和感が出てしまう。そこでわざわざ店の方に相談され、私の銀髪に合うようオーダーで頼んでくださったのだという。
「そんな事まで……。全然知らなかったわ」
何気なく今も私の髪に刺さっているが、この髪飾りにそんな秘密が隠されていただなんて、全然考えもしなかった。
「他にもアリスちゃんがお店を飛び出した時に必死に馬を走らせただとか、お父さんが亡くなった時にどうやって慰めればいいんだとか、夜会で女性をエスコートするにはどうやるんだとか、いっぱいエピソードが裏に隠されているんだよ」
「///////////」
さっき口止めされてたって言ってたわよね。
その情報源はおそらくアストリア様からの話だろうが、周りに回って本人である私にまで届けば、それはもう口止めの意味をなしてはいないだろう。
でも、そこまで私の知らない場所で考えてくださっていたんだと思うと、なんだか恥ずかしいのか嬉しいのか、分からない気持ちが込み上げてしまう。
「だからね、安心してもいいんだよ。幸せになってもいいんだよ。少なくともここにいる全員は、二人が結ばれる事を心から願っているんだから」
ルテアちゃんが口にする一言一言の言葉が、私の中に深く染み渡る。
……私はなんてバカなんだろう。これほど多くの人たちから愛されていると言うのに、何一つとして分かってはいなかった。恋は臆病になるとも言うが、まさにそれが今の私だったのだろう。
直接ジーク様から話を伺った訳ではないが、心の中に溜まっていた不安が、ルテアちゃんの言葉で払われたようにも感じてしまう。
「ありがとうルテアちゃん。ありがとうございます、皆さん」
「これで迷いわ晴れたかしら? でもそうね、パーティーまではまだ数日の猶予はあるから、もう少しだけ待っててあげてくれる? アリスが気にしていると聞けば、あの子なりに答えは出してくれるはずよ」
「ふふふ、なんだか私よりジーク様の方が追い込まれたってる感じですね」
「いいのよ、そのぐらい追い詰めないといつまでたっても前に進めないんだもの。貴女だって気づけばお婆ちゃんになってました、では困るでしょ?」
「それはそうですね。ふふふ」
もしかして人と人が結ばれるのって、周りの力が強く必要なのかもしれないわね。
「それで最後の質問だけれど、あなたの事だから今から間に合うのかどうかってところじゃないかしら?」
「そ、そうですけど、私ってそんなに分かりやすい性格をしていますか?」
まさに最後の質問として、今から準備をして間に合うのか、っていう純粋な疑問だった。
通常パーティーを開こうと思えば、日程の調整から食材などの発注、テーブルなど資材が足りなければ借りる手配をしければいけないし、何より招待客へ案内状や招待客側の準備も含め、最低でも1ヶ月程度は必要となるだろう。
これがただの婚約ならば、事実だけを世間に通知し、パーティーは後日改めて、という方法も取れない事はないが、今回に限ってはこの婚約は前々から決まっていたんだよ、という意味も含め、公爵家に相応しい盛大な婚約パーティーでなければいけないのだ。
「以前私とフレッドと婚約が決まった時、男爵家ではパーティーが行われなかったんです。それなのに今回パーティーを行うという意味は、恐らく大々的に世間に発表し、私を逃げられないようにするためだと思うのです」
そうでなければ経営が圧迫している男爵家で、わざわざ経費がかさばるパーティーなどは行わないだろう。
「それは私も同意見よ」
「ですので、こちらもそれ相応のパーティーを開かなければ……、お任せしてしまう立場の私が言う言葉ではないのでしょうが」
婚約パーティーを開くといっても、結局のところ頑張ってくださるのは、ローレンツさんや公爵家の使用人の皆さんだ。もちろん私に出来ることはお手伝いさせてもらうが、正直公爵家のお力を借りるしか残されてはいない。
「アリス様、その点に関しましてはご安心ください。パーティー自体の準備は3日もあれば用意できますし、招待客の方も既にリストアップが終わっており、今日にでも招待状をお届けできるはずです」
「マジですか!?」
「はい、流石に地方にお住いの方には数日かかりますが、お越しいただく日数を考えましても、十分間に合うかと」
さすが公爵家、いや流石スーパー執事と言うべきか。残された二週間という期間内に全ての準備が整うとは、これはもう凄いという言葉しか見つからないだろう。
「予定日は今日から7日後、一応男爵家の方には気づかれたくはないから、『重大な発表がある』とだけに止めておくわ」
「いい案だと思いますが、それで大丈夫なのでしょうか」
内容が内容だけに、事前に告知しておく方がより多くの人たちが集まってくれるのではないだろうか?
「心配しなくてもいいわよ。この前の夜会でアリスちゃんはフローラ達と一緒に入場してたでしょ? それだけ見れば誰だって大方の予想は付くものなの」
そ、そういえばあの時やたらと注目されていたんだっけ?
冷静に考えれば部外者である私が、フローラ様達と一緒にいること自体が異例といってもいい状態だし、ご一緒に陛下への挨拶やら、他の公爵様達にもご挨拶をしていたのだから、見方によればそう見えなくともない。
「寧ろアリスちゃんが公爵家に入る方が自然で、男爵家に嫁ぐ方が違和感があるのよ」
なるほどね。
レティシア様の話を信じるならば、夜会後は私とジーク様のことでも囁かれていたのだろう。そんな中に出てきたフレッドとの婚約は、多くの人たちに疑問を抱かせてしまった。そこで私の親友でもあるルテアちゃんに、こっそり噂の真相を訪ねようとお茶会に呼ばれた、といったところではないだろうか。
なんだかフローラ様の思惑にどっぷりとハマっている感じはするが、別に嫌や気持ちにならないのだから不思議なものだ。
「これで満足がいったかしら?」
「はい、ありがとうございます。そして、これからもよろしくおねがいします」
「改めておめでとう、アリスちゃん」
「「「「おめでとうございます、アリス様」」」」
私は祝福の拍手の中、最高の笑みで答えるのだった。
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