第76話 最良で最後の策

「策、ですか?」

「えぇ、私が今考えられる最良で最後の策よ」

 最良で最後?

 最良という言葉の意味から考えると、私はフレッドと婚約する事なく、兄にも男爵家にも一泡ふかせ、最後という意味からも、今後両方からの嫌がらせは受ける事がなく、私はお店も自分も守られたうえでハッピーエンドを迎えるという事なのだろう。

 でもそんな都合のいい作戦が本当に存在する?


「アリス、この作戦なら間違いなく最良の結果で最後にできるわ。ただ貴女の覚悟は必要よ」

「私の覚悟ですか?」

 うーん、覚悟が必要と言われても、いまの状況が最悪最低なので、それが覆せると言われれば覚悟もなにも考えるまでもないだろう。

 さすがにフローラ様が『死んでね♪』とおっしゃるわけがないので、私にできる事があればなんだって従うつもりだ。


「覚悟ならあります」

「そう、それを聞いて安心したわ」

 わぁー、ガヤガヤガヤ、パチパチパチ……

 ん? なんだろう、今の一言で急に周りの雰囲気が……っていうか、なぜ拍手?

「おめでとうアリスちゃん」

「「「「おめでとうございます、アリス様」」」」」

「若いっていいわね、お幸せにね」

「レティシア、それはまだ少し早いわよ」

「そうね、それで式はいつにするつもりなの?」

「エリスの事もあるから、やっぱり卒業後かしら?」

「奥様、早速パーティーの手配を」

「そうだったわね、ローレンツすぐに手配をお願い。アリスのドレスは……」

 わいのわいの。


 ……あれれ?

 やたらと上機嫌のフローラ様に、ニコニコ笑顔のルテアちゃん。メイドさん達は急に慌ただしく動き出されるし、ローレンツさんも数名のメイドさんに何やら指示を出されている。

 どういう事?


「あ、あのぉ……、全く状況が理解できないんですけど、おめでとうって?」

 理由はわからないがとにかく祝福されている事だけは理解できる。理解は出来るが、その原因となる理由がさっぱり分からない。

 そもそもパーティーの手配って何よ?


「アリスちゃん、いま決まったんだよ」

「決まった? 何がです?」

「もう、相変わらず鈍いなぁ。アリスちゃんとジークさんの婚約がだよ」

「あぁ、だから私いま祝福されているんですね。あははは………………えっ?」

 婚約? 私とジーク様が婚約した?

「…………えぇーーーーーっ!!!!????」

 どどどどどどどど、どういうことぉぉぉぉ!!!!????


「落ち着きなさい」

「おおおおおちおちおち、落ち着けませって!!」

 自分でもおかしぐらいのパニック状態。前世から今までの人生の中で、これ程焦りと混乱に落ちいいった事などないのではないだろうか。


「ここここ婚約って、どどどどどう言う意味なんですか!?」

 焦りまくる私に、フローラ様は落ち着いた様子で。

「簡単な話よ、男爵家の婚約が発表される前に、先にジークと婚約すればいいの。そうすれば彼方は手が出せなくなるわ」

「あっ」

 その手があった。

 まだ頭がパニック状態からもどっていないが、確かにその方法なら兄も男爵家も手が出せなくなる。

「今回の一件、当事者である貴女は、双方から何も聞かされていないんでしょ? だったら彼方側もこちらで進んでいる婚約の話は、当然知らないという事になるわよね。それを利用して先に婚約をしてしまえば、笑い者にされるの彼方側になるという話よ」

 さ、さすがフローラ様というべきなのだろう、私では決して思いつきもしない方法をご提示してくださる。つまりフローラ様は、私を公爵家の庇護下に置こうとおっしゃっているのだ。


 今回浮上した私とフレッドとの婚約、当事者である私が知らないのは、恐らく事前に伝えて逃亡やら反撃やらを警戒して、秘密裏に準備がすすめられていると考えられる。

 ならばその秘密裏に進められた事を逆に利用し、私が先にジーク様と婚約すれば、その後で行われる男爵家の婚約はハッキリいって無意味。例え私が不在のままで発表しようとも、世間からは何を言っているんだと、冷ややかな目線で囁かれることだろう。

 男爵家と公爵家、この埋めように埋まらない爵位の差はもちろんの事、発言力と噂の浸透度も、比べようもない速さで広まるはずだ。

「この方法なら貴女のお兄さんが命令してきても、公爵家が全面に出て抗議する事が出来るわ」

 それはそうだろう、所詮兄は貴族の最下級でもある騎士爵だ。男爵家ですら太刀打ちできないのに、騎士爵家ごときでは歯向かう事など出来ないだろう。


「ですが、男爵家で進んでいるパーティーの話はどうなるんですか? ルテアちゃんの話じゃ既に招待状も行き渡っているという話ですし、パーティー自体が執り行わなければ、実家の方に責任を取れだなんて話にはなりませんか? それにもし私がダメならエリスを、って言いだす可能性だって」

 兄の事だから提示された結納金に目が眩んで、何も考えずに二言返事で了承しているはずに違いない。ならば逆に約束を反故されたといって、男爵なら必ず文句を言ってくることだろう。最悪男爵家の顔に泥を塗ったと言いがかりをつけられ、多額な慰謝料を要求されたり、私の代わりにエリスを寄越せ、なんて事もありえるのだ。


「その点は恐らく大丈夫よ。男爵家が欲しいのは貴女の資産とあの店だから、

兄さんの方には知られたくないと思っているはずでしょ? だったら騙していた事を理由に幾らでも反撃は出来るわ。例えば貴女の結納金には釣り合わない金額を突き付けたりね。エリスの事も貴女がジークと婚約した時点で、公爵家の庇護下に入れられるから、下手に手を出せないと思うわ」

 あー、そういう返し方も考えられるわね。

 どうやら兄は私が抱えている資産や、お店の売り上げも理解していないようなので、その辺りを叩きつければ騙されていた事には気づけるだろう。

 エリスの事もそうだが、私が婚約すれば騎士爵家は公爵家の親族に入るわけだし、男爵様と兄とで双方喧嘩になれば、不利になるのは全く後ろ盾がない男爵家となるはずだ。

 あとは事実を世間に公表するぞとでも脅しておけば、男爵家は渋々泣きを我慢するしかないというわけだ。


「どうかしら? この方法なら間違いなく最良で最後にできるでしょ? うふふ」

 た、確かに……。

 フローラ様がおっしゃるようにこの方法ならば最良で、しかも揉め事は双方最後にできる事だろう。

 この世界じゃ婚約は他者に奪われないようにする儀式のようなものだし、結婚前だとしても他家が簡単に割り込めるような安っぽいものでもない。なにより私が公爵家に入ってしまえば、男爵家如きが口を挟める訳もなく、実家の兄も迂闊に逆らおうとは思わないだろう。これでも幼少の頃から貴族階級の教育は、嫌となるほど叩き込まれてきたのだ。これが納得が出来ない事でも、兄は私に命令する事は二度とできなるなるはずだ。


「……」

 私は改め自分が置かれている状況と、フローラ様から言われた言葉の一言一言を、今一度冷静になって考える。

 ……この方法ならばいま悩んでいる全ての問題が解決する。

 少し前の私なら、ただ恥ずかしがってお断りしていたかもしれないが、自分の気持ちに気づいてしまった今なら、こんな結末があってもいいのではと、前向きに考えている自分もそこにいる。そもそも私だって、ジーク様との結ばれる未来を考えていなかったわけではないのだし、フレッドと婚約をする事を考えれば何百倍……いや何千倍もいいと断言できる。

 でも本当にいいの? 政略結婚なんてこんなものだと言われると、確かにそうなのかもしれないが、一方的な愛の押し付けと、私に絡む問題を解決させるための婚約だなんて、ジーク様に失礼なのではないのか?


「……」

「アリス……、貴女が悩む気持ちはわからないでもないわ。私も親に決められた婚約を無下にして、エヴァルドと強引に結ばれたようなものですもの。でもね、考える時間はもう必要ないんじゃないかしら? 貴女だって気づいているでしょ、自分の中に芽生えた気持ちを」

「!?」

 まるで私の心の中を見透かされたような言葉に、私は驚くように目を閃く。

 そうだ、フローラ様は待ってくださっていたのだ。急かすような事も、強要するような事もなく、ただお互いが意識し合うためのだけの時間を今まで。

 それらしい言葉や、私がジーク様を意識してしまうような言動は何度もあったが、それらも含めて根気強く暖かく見守ってくださっていた。政略結婚が当たり前のこの世界で、その気になれば幾らでも強要する事は出来ただろうに、それをせずにただ私の心の準備が出来るまで。

 私もそろそろ決断する時がやってきたのかもしれないわね。


 私はすぅーっと深呼吸をひとつつき。

「ありがとうございます。フローラ様のお気持ち、改めて痛感させていただきました。ですが私からの返答の前に、二つ……いえ三つだけ問いかけにお答えいただけますか?」

「ふふ、いい表情になったわね、今では私が一番好きな顔よ。それで質問というのは何かしら?」

 婚約の返事をするまえにこれだけは確かめておかなければいけない。

 フローラ様の返答によってはお断りする覚悟を決め、私は三つの質問を投げかけるのだった。

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