第79話 男爵家との決着

「どう言う事だ!」バンッ!

 机の上に1枚の紙を叩きつけながら怒鳴り声をあげる男爵様。

 私とフレッドとの婚約パーティーを明日に控え、突如一家全員でローズマリーに怒鳴り込んで来たかと思うと、私に向けた非難の嵐が絶え間なく続いている。


「どういこと、と言われましても男爵様が今おっしゃった通りだとしか申せないのですが」

 抗議内容はズバリ私とジーク様が先に婚約したことによる大クレーム。

 もともと其方の一件は、当事者である私に秘密で進めていたというのに、今更どうのと言われても困ると言うもの。

 流石に向こうも今更隠すつもりはないのか、テーブルの上には兄のサインが入った婚約を認める証書が置かれている。


「こちらは当主の了承を得てパーティーの準備を進めていたんだぞ! それが既に別の男と婚約したなどど、どの口が言うか!!」

 冷静に対処する私と打って代わり、大声で息を切らしながら叫ぶ男爵様。夫人も顔を真っ赤にされているし、フレッドも同調して怒りを私にぶつけて来る。

 まぁ当然よね。彼方は明日の準備で費用も掛かっているし、招待客への対応も今更どうすることもできないので、怒りを私に向けるしか残されてはいない。

 この場にサインをした兄がいれば、さぞ面白いことになっていたのだろうが、生憎と実家は王都から2・3日は掛かる距離だし、私とフレッドの婚約パーティーには興味がなかったのか、兄は王都にすら向かっていないと、密かにクリス義姉様からの連絡も受け取っている。


「男爵様、お怒りなのはわかるのですが、私も今日義姉からの手紙で事実を知ったばかりなのですよ? それをいきなり怒鳴り込まれても、こちらとしては只々困惑するのみなのですが」

「ふざけるな! ここにお前の兄のサインが入った証書があるんだぞ! 結納金も既に騎士爵家に入れているというのに、今更この話はなかったなどとは言わせんぞ!!」

 やれやれ、お怒りなのは十分わかるのだが、それら全てを私の責任にされても困るというもの。

 私は前の夜会で融資をするとまで言っていたのに、それを無視して罠にはめようとした相手に、同情してあげるほど私は出来た人間ではない。


「ならばお尋ねしますが、私が実家の騎士爵家を出て、この王都で独立していることはご存知でしたよね? それなのに当事者である私に一切連絡もせず、当主である兄にのみ連絡を取られたのは、どの様な理由かご説明願いますか?」

「それは……貴様には関係のない話だ!」

 言葉を一瞬詰まらせたところを見ると、やはり痛いところを突かれている自覚はあるのだろう。

 男爵様の最大のミスは、兄をも騙そうとしていたというその一点。

 もし兄が事前に私への通達を行っていれば、私に逃げ道などなかっただろうが、男爵様は私が大人気のスィーツショップを経営している事を隠す為、兄をも二重に騙そうとしていたのだ。

 その結果、私が事情をしらない事を逆手に取って、先に公爵家に取られてしまったというわけ。

 男爵様からすれば、私と言うよりローズマリーとその資産が欲しかった訳だし、兄にこちらの事情が知られたくなかったという事情もわかるのだが、秘密裏に婚約をパーティーを進められると思っていたのは、些か目算が甘かったと言うしかないだろう。

 

「関係のない話……ですか。それではこの話も私には関係のない話、ということになりますね」

「なんだと?」

「そうではありませんが、婚約とはその人の人生を大きく変えるもの。例えどんな政略結婚でも事前の通達や準備は当たり前、それなのに男爵様からは何の連絡もなく、明日という日が迫っている今ですら、正式なご説明すらございません。その点についてはどう思われているのでしょうか?」

「……っ」

 もともと最初から勝負は決まっているのだ。こちらは事前に計画を潰し、反論ができないように下準備まで完了している。一方男爵様の方は、昨日今日事実をしったばかりで、ろくに準備すら出来ないままに押し掛けている状態。そもそも他人を騙そうとしたのだから自業自得であろう。


「あ、貴女ね。話を聞いていなかったって言っているけど、こちらは騎士爵様と話を決めているのよ。説明不足だというのなら、貴女のお兄さんを責めるべきでしょう」

 男爵様が追い詰められていると思ったのか、夫人がここぞとばかりに援護射撃をしてくるが、この返し方は甘いと言うしかないだろう。


「兄のせい……ですか、可笑しな事をおっしゃるのですね。事前に私への連絡や対処は男爵家がすべて引き受けるから、兄には手を出さないようにと、今朝届いた手紙にはそう書かれておりましたが?」

「なっ!?」

 別に驚く事でもないだろう。ギリギリまで私に連絡を入れなかった時点で、罠に嵌めようとしていたのは明白。兄は決して口にはしないだろうが、実家には私の味方でもあるクリス義姉様がいらっしゃるのだ。

 今回密かに連絡を取り合い、こちらの事情を説明して色々兄からの情報を聞き出している。そこで出てきたのが、の話だったというわけだ。


「デタラメよ、私たちはそんな事一言すら言っていないわ」

 苦しい言い訳だとは思うが、こちらも『なぜ知っている』と返されても困るので、ここは流れに任せて別の話題へと切り替える。

「そうでしたか、たまたま義姉から届いた手紙に、そのような事がかかれておりましたので。ですがそうなりますと責任は全て兄という事になるんでしょうね」

 この場に兄がいれば声を荒げそうだが、私を黙って売った時点で、多少痛い目に遭う事ぐらいは覚悟してもらいたい。


「そ、そうよ、貴女のお兄さんが全て悪いのよ!」

「なるほど、全ては兄が連絡を止めていたのが悪いということですね。それでは私には関係がないようですので、以降の話は男爵様と兄との話し合いという事で……」

「ちょ、待ちなさい! なんでそうなるのよ!」

 勢いのまま私を追い詰めようとするも、あっさりと返され、退出しようとするわたしを慌てて止めに入る男爵夫人。

「何かおかしいでしょうか? 私は既に婚約をしており、男爵家からの申し入れを受ける事はもはや不可能。事前に連絡を頂いておれば、なんらかの対応もお手伝いできたのでしょうが、今となってはそれすらもままならない。ならばここは潔く、兄には今回の責任を取って爵位の返上か、当主を退くなりしてもらうしかないと思うのですが?」

 幸いデュランタン家にはまだ二人の当主候補がいるので、バカ兄が責任を取るというのならな、潔く爵位を譲ってもらったほうが領民たちの為にもなるというものだ。


「貴女、お兄さんを見捨てるというの!?」

「残念ですが貴族とはそのようなものではございませんか? ご存知の通り実家は日々の暮らしを過ごすのが精一杯の状況、とてもじゃありませんが金銭でお詫びするという方法は取れません。ならば自らの進退で誠意を見せるしかないではありませんか」

「あ、貴女ね。自分が代わりに責任を取るって選択はないの?」

「何故です? 先ほど男爵様がおっしゃったじゃありませんか、私には関係のない話だと。ならば私が代わりに責任を取るというのは、誠意を見せたという事には繋がりません」

 もっとも男爵家が兄に責任を取れといったところで、あの兄がすんなり責任を取るとも思えないのだが。


「あ、貴女っていう子は……」

 小娘ごときに言いくるめられ、顔を真っ赤に染めながら怒りを向けられてくる男爵夫人。嘘を嘘で塗り替えたところで、いつかは限界が来てしまうのだ。

 こちらは夫人の発言に嘘が含まれていることを知っており、夫人は私が嘘に気づいていない事に気づいていない。例え気づいていたとしても、嘘をついた時点でどうしても矛盾が発生し、やがて嘘は自らを窮地へと追い込んでしまう。

 もしこの場を切り抜けたいと考えているのなら、嘘ではなく謝罪と協力を望むべきだったのだ。


「なんでしょう? まさかこれでも私に責任を取れとでもおっしゃりたいので?」

「当り前でしょう! 貴女だって公爵家に嫁ぐことを連絡していないじゃない」

「これはまた可笑しなことを、報告なら入れていますよ」

「えっ?」

「先ほど申しましたよね、義姉から手紙を頂いていると。その手紙は私が婚約したことによる報告の返事なのです」

 事後報告と言うなかれ、ツヴァイ兄様やドライ兄様の結婚式にも来られないような方なので、事前の報告は無駄だと判断して、あえて入れなかったのだと伝えておく。


「そもそも男爵家の目的はなんなのです? 騎士爵家との友好を築きたいからですか? それとも私の資産やこの店が目的ですか?」

「そ、そんなの決まっているでしょ、両家の絆を深めるためよ」

「でしたら私に責任を取らせようという事自体が間違いなのです。絆を深めたいと言うのなら、それこそ当主である兄に責任を取らせるべきではありませんか」

「……」

 私が兄を切り捨てていると知り、男爵夫人が完全に息詰まる。

 最初から私の資産とこの店が目的だと言えばいいものを、下手に体裁を取り繕おうとするから追い込まれるのだ。


「ならばお前の妹を代わりに寄越せ! 出来ないとは言わせないぞ」

 男爵様からの突然の発言に、私は『やれやれ』といった仕草をみせ。

「お断りします」

「何?」

「お断りします、と申したのです。そもそも兄のサインの入った証書にはそのような事は書かれておりませんよね? それを私がダメなら妹をというのは、些か私を馬鹿にしておられるように感じられます」

「ふざけるな! 私は貴様の戯言を聞きに来ているわけではないんだぞ!」

 確かに私が前世で暮らした日本という国も、以前は姉がダメならその妹を、という時代もあったとは聞いているが、ここで認めてしまえば余りにもエリスが可哀そすぎるというもの。

 私が助かっても、妹がその犠牲になる事など私が許すはずもないだろう。


「お気持ちは分かりますが、それをこちらに当たられても困ります。エリスが欲しいとおっしゃるならば、私と同じように当主と正式な手続きを済ませてください。勿論今回の一件を清算した後、新しく当主となる方と、という事にはなりますが」

「……っ、貴様という奴は……」

 先ほど夫人が騎士爵家と友好を築く為と言った手前、これ以上追い詰められない男爵様。その表情からは悔しさと怒りが入り混じっているようだ。


「ならば仕方がない。貴様がその気ならこちらももう手段は選んではおれん。こちらが把握しているケーキのレシピを元手に、責任の清算をさせてもらう!」

 ケーキのレシピ? そういえばそんな可能性もあると、事前に手は打っておいたわね。

 起死回生の嫌がらせのように言われているが、それは事前に潰しておいた資金調達の一策。この世界じゃケーキやクリームの作り方は一般的には広まっておらず、レシピを持ち込めば、それなりの資金調達にはなるだろうと先にレシピをバラまいておいたのだ。

 まさか今の今まで気づいていないとは思っていなかったけれど。


「くすくすくす……」

「何が可笑しい?」

「いえ、失礼しました。まさかプリミアンローズを経営されておられる男爵様が、ご存じないとは思いませんでしたので」

「なんだと?」

「レシピなら、既に有名店へ配り終えておりますよ」

「な、なんだと!?」

 驚いているところ申し訳ないが、些か男爵家の情報収集能力の低さに、同情する気持ちすら沸いてしまう。

 レシピを公開したのはもう何ヶ月も前の話だし、今は次の段階であるクリーム工房すら動き出しているのだ。それを今更レシピをバラまくと脅されたとしても、こちらとしてはただ笑うしか出来ないだろう。


「クリーム工房だと!? 貴様まさか、事前にこうなることを予想して準備していたと言うのか!」

「なんの事でしょう? 私はただフローラ様がおっしゃった『お金を握る者は、雇用する場所を作らなければいけない』という言葉を忠実に守っただけです」

 これは本当。フローラ様からお金を眠らせておくなら、仕事に困っている人たちのために働く場所を用意しなさい、という言葉に動かされた結果に過ぎない。

 まぁ、半分嫌がらせの部分もあるにはあるのだが、もともとケーキのレシピはこちら側の物だったのだし、盗まれたレシピで追い討ちをされても困るという事で、ここは自らの所業の反省という意味も込めて、悔しがってもらうのが一番だろう。


「男爵様、私が何も知らないとでもお思いなので?」

「なんの話だ」

「プリミアンローズの開店費、王都への移住費用、商業ギルドからの借り入れも随分されているようですね。それも領地の運営が行き詰まるほどに」

「……っ」

 ご婦人方の情報網とは怖いもので、借金だとか不倫だとかの話には非常に敏感なのだ。

 今回の話だってあちら側に詳しいご婦人から話が漏れ、すでに多くのご婦人方の噂の的になっている。

 実際フローラ様からは、男爵家が抱えている負債は優に領地収入の約10倍だと聞いているし、取引先への未払いも相当溜まっているようで、すでにプリミアンローズのスタッフや、お屋敷の使用人へのお給料未払いも発生しているのだと聞いている。

 男爵様は私を恨むがごとく、ギリッ恐ろしい形相で睨んで来る。


「そのように睨まれも困ります、私はただ噂になっていた話を申し上げただけですよ?」

「そのような事実など存在せん!」

「ならばこれ以上私に固執するのは止めてください。これ以上理不尽な言われを続けられますと、私は世間に賛否を確認する羽目になります」

 つまりこれ以上私に言い寄るなら、どちらの言い分が正しいかを世間のご婦人方に決めてもらおうと、いわば男爵家に対しての一種の脅し。

 すでにこれに近い噂がながれていると聞いているので、この事実は男爵家にとっては望まぬものだろう。


 男爵様悔しそうに私を一睨みすると。

「……クソっ、帰るぞ!」

「でもあなた、明日のパーティーはどうするの?」

「知った事か!」

「あっ、待って!」

 捨て台詞と共に男爵様が退出され、それを追って夫人が慌てて出て行かれる。

 恐らく明日のパーティーは予定どおり行われるのだろうが、主賓となる私がいない為、急遽内容を変えての開催ぐらいしか残されてはいないだろう。

 公爵家に取られた、程度のことは口にされるかもしれないが、知る者から見えればそれはただの負け犬の遠吠えにしか聞こえず、公爵家を面と向かって批難する貴族も存在しない。

 あとは兄との問題だけだが、これで男爵家との一件はほぼ終了したと言ってもいいだろう。


「さてフレッド様、お帰り頂くところ申し訳ございません」

 私はこの結末の最後として、帰ろうとしていたフレッドに声をかけるのだった。

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