Marker's Bleed-後篇

 深夜11時。



「お待たせしました」



 かなみは真っ黒なパーカーをかぶって、やってきた。背あった鞄からは、がちゃがちゃと大きく重い音がした。



「すみません、遅くなっちゃって」

「なんでわざわざ、学校の前で待ち合わせなのよ?」

「この時間、意外とこの辺って巡回や警備が薄いんですよ。深夜とか夕方はすごく厳しいけど、ちょうど境目のこの時間だけは大丈夫」

「で、目的地まではどうやって行くの?」

「ちゃんとルートも用意してます」



 大通りを避け、学校の裏を潜り、住宅街を通って旧用水路沿いを行く。しっかり考えられたルートだ。監視カメラもうまく避けている。



「よく考えたわね」

「兄が。ちょっと、そういうことしてて。この道具も勝手に借りてきちゃったんです」



 けらけら笑うが、とんでもない度胸の持ち主だとあたしは感心した。こんなルートがあったとは。



「さあ、いきましょう」






     ◯






 そこは打ち壊し予定のバリケードで区画された廃ビルだった。だが、竣工予定の日付は既に数年前のものになっている。おそらく、計画だけが立っていたものが『大震災』のごたごたで放置され、後回しにされ続けていたものだ。



 かなみは慣れた感じでバリケードの隙間を潜り、監視カメラを敏感に見つけるとそれを迂回して、あっという間に建物の壁面へとたどり着いた。

 それはほとんど、忍者かスパイのアクションを目にしているかのようだった。



「あんた……こういうの、初めてじゃないのね?」

「はい、まあ。兄といっしょに、よく遊んでたんです。わたしの父が解体作業に携わっていて、こういう廃ビルや商業施設の廃墟をよく回ってたんですよ。最近は、東京湾の干拓が進んでて、水没してたエリアの建物の撤去が主になってるから、こういう場所は後回しにされがちなんです」



 あたしは半ば確信していた。

 この子は、あたしが『レッド』だと勘づいている。そして、なんらかの思惑を持って、あたしをこの場所に誘い込んだのだろうと。

 目的はなんだろう。あたしを排除しようとするのは、かつて赤いマーキングを独占していた不良色集団タギャングの『ケイオス』か、あるいはあたしと縄張りが比較的近い『ヴァーミリオン』か……



 この橘かなめという後輩が、そのどちらかの関係者か、あるいはその本人であるという可能性もある。

 しかし、ほんとうにあたしのことをなにも知らないでいるという可能性もある。

 ひとまず、あたしは彼女の後について行くことにした。



 開かない自動ドアを手でこじ開け、あたしたちは階段を上り、ビルの上層階へ向かう。建物の中は荒れ放題で、まだ撤去されていない事務机や椅子、割れたガラスや瓦礫のようなものが、そこかしこに放置されていた。



 ビルは6階建てだったが、階段は5階までで止まっていた。そこから先は階段が崩れて、窓が枠ごと取り外され、夜風が吹きさらすままになっていた。



「ここにするの?」

「はい、」



 かなみは黒と白のスプレー缶を取り出し、建物の中心部に据えられた四角い柱に歩み寄った。一辺が1200mmといった感じの、コンクリートの角がすっかり削れきった柱だ。



 かなみの手つきはこなれていた。

 まず、白と黒でコンクリートに「下塗り」をしていく。マーカーの基礎的な技術だ。塗り方にも迷いがなく、薄くムラのない下塗り。



「で、あたしは何をすればいいの?」



 小さい身体で一心不乱にスプレー缶を振り回すかなみの背中に、あたしは尋ねた。今のところ、なにかやることはない。時々、外の様子に気を配りながら、窓から夜景を見下ろすくらいだ。夜風がとても気持ちよく、なんとも風情がある。



 あたしたちマーカーは、いつも人目につきやすい、人目につかない場所を探して、マーキングを施す。

 人目につかなくては、マーキングの意味がない。逆に人目につきすぎては、マーキングをしている途中で行政に発見され、補導されてしまう。



 ここはだれの目にもつかないが、それは、誰の目にもマーキングが触れないということでもある。



「紅羽先輩」



 かなみは、白地を塗りつけたコンクリートの柱に、黒で一筆書きの矢印を書いていた。

 それは、トイレの壁なんかにいつも書かれている、いわゆる相合傘のマークそのものだった。



「ここに、先輩の名前、書いてください」

「はあ?」

「今日は、先輩に告白するために、ここに連れてきたんです」



 頭が真っ白になった。

 なんだって?



「わたし……先輩のことが好き。初めて会った時から、ずっと好きです」

「ごめん、意味わかんない。え? なに、そんなことを言うためにここに連れてきたの?」

「そんなこと、じゃ、ありませんよ」



 すると、かなみは鞄からリングバインダーのようなものを取り出すと、そこに入っていたものを相合傘の中心に貼り付けた。

 それはステッカー。あらかじめプリントされた図案を複製して、あちこちに貼り付ける。マーキングの手法の一つだ。



 そこには、真っ赤な地に黒い文字で、



 C H A O S



 ケイオス。

 そう書かれていた。



「わたしは『ケイオス』のリーダーです」



 思わず、鼻で笑ってしまった。

『ケイオス』といえば、あの『レインボー』とほぼ同時期に出現した、とても大きな不良色集団タギャングだ。マーカーたちの中でもひときわ過激な思想の持ち主が集まるとされていて、首相の公用車や街の監視カメラをとにかく乱雑に塗りたくり、その上からステッカーを貼っていくことでも有名だ。



「とても信じられない」

「まあ、そうですよね」



 かなみの声色が変わった。

 あたしは、ゆったりと、フロアを貫く柱の一つに背を預けた。



「リーダーになったのは、つい最近です。40日ほど前、リーダーだったわたしの兄が逮捕されて、組織が瓦解しました。それを機に、『ケイオス』の外様メンバーたちは離散して、この街に散らばっています。そして、縄張りを濫造してマーカーたちを狩っているんです」



 そんな話は聞いたことがない。

 だが、納得できる話ではある。マーカーたちの横のつながりは皆無だし、コミュニティというものも存在していない。

 そして、ここにきてあたしにも話が見えてきた。



「次は、あたしが目をつけられてるってわけ? この『レッド』が」

「そうです。彼らは、『赤』い色を奪い取った、紅羽先輩を目の敵にしてます。一昨日の工事現場のマーキング、あれが追い討ちになりました。近いうちに、彼らはマーカー狩りに乗り出します」

「それで?」

「わたしが組織した、新しい『ケイオス』で、あなたを護ります」

「ほう?」

「外様のメンバーは所詮、烏合の衆です。創設当初からのメンバーの大半は、わたしのもとに残ってくれています。彼らのネットワークと、組織力を使えば、先輩の身を守ることは可能です。そして、この廃ビルは、わたしたちの新しい拠点になる場所です」



 つまり、その相合傘が。

 あたしと『ケイオス』との、契約書というわけか。



「なるほどね。言いたいことは、わかった」

「なら……」

「だけど、ひとつ聞かせて」



 あたしは鞄を下ろした。

 その中に入っている、掃除用のモップの柄を、ひとつずつ接続して伸ばしていく。



「いつから気付いてたの? あたしが『レッド』だってこと」

「最初からです。先輩の、塗料の匂いでぴんと来ました。この人はマーカーだ。それも、血の気の多いマーカーだって」

「そう……それで、今までずっと何食わぬ顔で、あたしとつるんでたってことね」

「隠してたつもりじゃ、ないんですよ?」



 先端のパーツを取り付けた。



「さあ、先輩。ここに先輩のマーキングを……」



 かなみの顔が青ざめた。

 先端パーツに、ガムテープでぐるぐる巻きに固定した包丁が、かなみの腹部に真っ直ぐ突き刺さっていた。それは体を貫通して、かなみの背後、相合傘にまで至っていた。



「あ、あ、あ……!」

「バーカ。あたしが『レッド』だって気付いてて、なんで分かんないの? あたしのマーキングを見てさ、気づかないの?れ



 かなみの青ざめていく顔に、あたしは唇が触れそうなほど近づいた。



「あたしは、そういう『群れ』だの、『集団』だのが、いちばん嫌いなの」



 でも……



「あたしのこと、好きだっていってくれたの……家族でも、だれもいなかった。あんたが初めて。ありがとう。これはそのお礼」



 鉄の味がするキス。



 かなみはもう事切れていた。

 あたしは、だらだらと他の溢れるかなみの背中の傷口を、思いっきり相合傘に叩きつけた。



 ずるずる滑り落ちていく体。

 そこに残ったのは、まるで爆弾を落としたあとのような真っ赤な鮮血。



「あはっ、」



 かなみの体が、柱にもたれてずりおちる。

 まぶたが落ちる。



「アハ、アハハハハハハハハ! ハハハハハハハハハハ!!」



 こんなに……

 こんなに美しく、鮮明で、目の冴えるような『レッド』は、見たこともなかった。あたしの中のインスピレーションが、みるみるうちに刺激されていくのを感じた。



 塗料はあと、10リットル近くもある。

 十分だ。容器には穴が空いてしまっているけれど、それもまた、あたしのマーキングの一部になるのだ。

 あたしは掃除用のアタッチメントの先端を付け替えて、ペイント用のハケを装着した。そして、傷口からなみなみと吹き出すかなみの血をたっぷりと染み込ませ、刀を斜めに振り下ろすみたいに相合傘に赤をぶちまけた。



「すごい……!」



 こんなにもはっきりした、理想の赤が、ここにあった。



 あたしはたくさんの血でマーキングを続けた。

 相合傘の下にも、相合傘そのものにも、すっかり赤が飛び散っていた。



 かなみの血はもうすっかり乾いてしまっていた。残念だが、もうこれ以上は何もできない。

 あたしは自前で持ってきていた黄色や緑、そして禁忌タブーの青をハケに染み込ませてスパッタリングをほどこし、雨粒のように周囲を彩った。



 最後に。

 相合傘の中心、血液の爆心地、柱の真ん中に、白のスプレーで文字を書き殴った。



『More BBB!!!』






     ◯






 翌日、かなみの死体が発見され、あたしのマーキングもまた、ネットの海に瞬く間に広がった。

 死体がそばにあったので、行政の規制はより厳しかったが、あたしは運良く朝焼けに照らされたそれらの映った画像を落とすことができた。



 なんて、美しいのだろう。



 すべての理想がそこにはあった。もうこれ以上の作品は作れない。それまでしばらく、『レッド』は封印だ。

 あたしはとてもいい気分だった。

 だけど、唯一の理解者となったかなみを失ったことは、ひしひしと、後から追いかけてくる不安のように、あたしの心を締め付けた。



 まもなくあたしは、警察と、『ケイオス』と、そこから抜けた外様、そして『ブルー』、さまざまなものに追われ始めるだろう。

 それでもいい、あたしがここにいることは、あたしだけが知っている。

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Marker's Bleed 王生らてぃ @lathi_ikurumi

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