Marker's Bleed
王生らてぃ
Marker's Bleed-前篇
あたしは「レッド」。
そんな赤を、壁に刻み付けては、また姿を消すあたしの所業は、そんな赤の運命に逆らっているような気がしないでもない。
「さあて」
あたしのマーキングには、こだわりがある。
市販の安い塗料じゃあ、沈み込んで、その場に停滞している、チープな色しか表現できない。だから、鮮やかな赤い液体の塗料を、たっぷりと使う。一度のマーキングで使うのは、大体10リットル近くにもなる。
「さて、」
今日はここだ。
幹線道路から少し離れた場所、今まさに建設途中の巨大ビル。その現場を覆い隠す、白いバリケードだ。
一見してこういう場所は警備員が多かったり、道路に面していたりで人目に付きやすいのだが、ちょっと裏手に入ったこの場所は死角になっていて、監視カメラにも映らない。そして、交差点に入ってきた車の、視界の隅にはっきりと飛び込んでくる絶好のロケーションだ。
あたしは背負った鞄をどさっと地面に降ろし、ペンキの缶の蓋を開く。
そして、あたしの筆を組み立てる。20センチくらいの小さな棒を組み合わせてつなげていく。もともとはフローリングの掃除なんかに使うものを改造したのだ。その先端だけを少し改造して、塗料を塗るためのハケを取り付てある。
そして、その先端を缶の中にツッコみ――、勢いよく振りかぶって、土埃塗れのバリケードにぶつけた。
真っ赤な色が、まるで血しぶきのように、バリケードとアスファルトに広がった。
〇
「あら、おはよう。
ご機嫌をうかがうような母親の挨拶を無視する。母親は、あたしが毎晩のように家を抜け出して、どこかへ行っているのを知っている。だけど、どこに行っているのかは知らないのだろう。もちろん知られたら困る。
あたしはセーラー服を着て、校則違反のスニーカーに足を突っ込み、学校へと向かう。
父親はもう何ヶ月も家に帰っていない。
「日本大震災」で大半が水没した、東京湾近郊エリアの干拓作業が急ピッチで進められている。ようは仕事が佳境に差し掛かっていて、家族を顧みていないのだ。
「ふんっ、」
中学生なんて退屈だ。毎朝のように学校に行って、退屈な授業を受け、クラブ活動をし、帰ってくる。定期的な学力テストで将来の進路を決定される、昔ながらの悪しき教育活動。
どうせなら、こんなくだらない毎日も、地震でぶっ壊れればよかったんだ。
「おはようございますっ、紅羽先輩」
ひとつ下の後輩のかなみが、あたしの服の裾を捕まえた。
「おはよう」
「先輩、今日も寝不足ですか?」
「まあね。でも、日本史の授業の間に寝れるから……ふぁ」
「だめですよっ、夜更かししちゃ。中学生の間に夜更かしすると、ちゃんと成長できないんですから」
「うるさいなぁ……」
かなみは朝から元気いっぱいだ。
いかにも、この間までぬくぬくそだってきた小学生って感じだ。セーラー服もまだ身体にフィットしていないし、小柄で、小動物みたいだ。
気まぐれに始めたテニス部の後輩だったこの子に、あたしはなぜか、ひどくなつかれていた。
「それより先輩っ、ニュース、見ましたか?」
「見てない……」
「『ブルー』の新作が現れたらしいですよ!」
かなみはあたしにスマホの画面をでかでかと見せつけた。
『ブルー』。
いまこの街で一番の人気を博していると言っても過言ではない、あたしたちマーカーの中でもカリスマと呼ばれる人物だ。
この街で
「いや~、すごいですよねえ、カッコいいですよねえ、『ブルー』さんの作品は。わたし、憧れちゃいます」
「ただの犯罪者でしょ。それに、そんな落書き、すぐに行政に消されちゃうに決まってるのに。いちいちネット上で騒いじゃって、バカみたい」
「だからいいんじゃないですか! 最近はSNSにアップロードされた画像もすぐに消されちゃうんですよ。はぁ~、今回はラッキーでした、消される前に落とせて」
『ブルー』のことは当然知っている。
むしろ、あたしは彼のことをライバル視しているくらいだ。それは、あたしが『レッド』なんて呼ばれているのも関係がある。あたしたちマーカーのふたつ名は、自分たちで名乗るのではなく、あたしたちのマーキングを目にした人々が、顔の見えない作者に対して、勝手に貼り付けるレッテルだ。
あたしは『レッド』という名前を気に入っている。
だって赤は好きだし、あたしの名前――紅羽ともかかっているからだ。
この名前に誇りを持っているし、誰にも譲りたくはない。
だけど、『ブルー』の作品は正直言ってナンセンスだ。『ブルー』はいつも文字をしっかり描きすぎる。お行儀がよくて、冷静な感じ。自分はアーティストだ、そう思っている人間のやり方だといつも思っている。
あたしは違う。『レッド』のマーキングは、もっと派手に、行儀悪くていい。
「ね、紅羽先輩。今度、いっしょにマーキングしませんか?」
「え?」
あまりに突拍子もない申し出に、あたしは面食らって変な声を出してしまった。
かなみはスマホの写真を一覧にしていた。それは、『ブルー』だけじゃない、あたしたちマーカーの始祖たる『レインボー』の作品や、無名のマーカーたちが描いた作品がずらりと並んでいた。
「わたしも、マーキング、やってみたいんです」
「なに言ってるの? 犯罪だよ、マーキングは。見つかったら補導されるし、スコアも下がる。あなただけじゃない、あなたの家族にも迷惑がかかるよ」
「うう~、わかってますよ、そんなこと」
かなみの目は真剣だった。
テニス部に入ってきたときも、この子ひとりはこんな目をしていたな、と思い出した。誰もが消去法で、だらだらと惰性でテニスをしている中で、かなみはひとりだけ、真面目にテニスをやっているような、そんな子だった。
「わたし、すごく憧れるんです。こういう、力に満ちたアーティストたちっていうか……東京って、ほこりっぽくて、どこもかしこも冷たい感じ。学校にいるときに、思わず、生き生きしちゃうくらいなんですよ。先輩、知ってますか? 昔は東京には、たくさんのアパレルブランドのお店や、映画館、カラオケ、そういうのがたくさんあったんですよ」
「知ってるよ。でも、『大震災』で全部だめになったんでしょ」
「それ以来、この街は機械仕掛けの再開発ばかりで、人間たちの娯楽なんて皆無です。――もちろん、そういう場所はありますけど――その、たいていは、悪い人たちの巣窟って感じじゃないですか」
その通りだ。
学生たちに向けた、そういう娯楽施設は、当然急ピッチで再開発されている。しかし、そんな場所にいられるのは、相当に裕福なものか、真面目に暮らしていないもの――ようは、将来のスコアにこだわらなくてもよいものたちだ。
あたしたちの人生はスコアで決まる。
真っ当に勉強し、大人たちの言いなりになってさえいれば、それなりの暮らしはできる。そうでない学生たちは、容赦なくAIに将来の仕事を奪われ、路頭に迷い、やがては堕ちていく。
自ら命を絶つもの。犯罪に手を染めるもの。どっちにしたって、ロクな末路ではない。
「けど、マーキングっていうのは……そういう、冷たくて、ごわっとした街に、命を吹き込むっていうか、そういう行為のような気がするんです。もちろん、悪いことなのはわかっています。だけど、少しくらい……そう、もう使われていない廃ビルの、片隅にちょっとくらい、描くだけなら。別にいいと、思いませんか?」
「そんなことをあたしに喋っていいの? あたしが先生にチクったらどうするつもり?」
「先輩はそんなことしません。信じてますから」
ドキッとした。
その言葉を言った瞬間、かなみのスマートフォンの待ち受け画面に表示されたのは、ちょうど一昨日の夜にあたしが工事現場のバリケードに施した、真紅のマーキングだったからだ。
液体だらけの血しぶきのような赤。
たっぷり染み込ませたペンキがだらだらと垂れて、振り下ろしたハケからとびちったペンキが赤いドットを作り出している。そして、血だまりの中にぐるぐると渦巻かれたような、緑と黄色。辛うじて、文字に見えるような、見えないような。そんなマーキング。
あたしのこだわり、ノンバーバル・マーキング。ぜったいに文字には見えないような、ぜったいにあたしだけは見間違えることはない、あたし自身のマーキング。
「それ……」
「あ、これですか? ネット上では『レッド』って呼ばれてるマーカーの、新作らしいです。あまり話題にはなっていないんですけど……わたし、なんとなくこれが好きで。生命の躍動っていうか、とにかく、コンクリートまみれの街の中に現れた、オアシスじゃないですけど……赤いのにオアシスって、なんか変ですね! アハハ、うまく言えないです」
かなみは、けらけら笑う。
あたしはさっと血の気が引いた。
もしかして、この子は――あたしが『レッド』だと気付いているのだろうか?
「いいよ」
「え?」
「あんたのマーキング。あたしも手伝ってあげるよ」
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