No.60:生きてた……

 

 どうやら騙されたようだった。

 私は肩で息をしながら、茫然自失だった。


「座ったらどうだ?」

 宝生君は、そう言った。


「生きてた……」

 私はそう呟いた。


「よかった……生きてた……本当に……よかった」


 ほっとして立ち尽くしていた私は目から、大量の水が流れ始めた。

 涙は幾筋も幾筋も流れ、止まることはなかった。

 私は大声で泣いた。

 嗚咽が、病室内に響いた。


「人を幽霊みたいに言うな」


「なによ! 本当に死んじゃうって思ったんだから! もうどうしようって!」


 私はベッドの横に駆け寄った。

 そして彼の胸をポカポカと叩いてやった。


「お、おい、こっちはケガ人だぞ!」


「本当に死んじゃうって思ったんだから! 死んじゃったらどうしようって! 助けてくれたお礼も言えてないって! 他にも言いたいこと、たくさんあったんだから! もう、どうしようって!」


「月島」


 彼は大泣きしている私を、そっと抱きしめてくれた。

 包み込むように。

 優しく優しく抱きしめてくれた。

 私は泣いた。

 泣き続けた。

 彼の腕の中で。


「月島。お前、俺のこと好きだろう」


「好きだよ、バカ!」


 私は即答した。


「なっ……え?」


「好きだって、言いたかったんだよ! ずっと言いたかったんだよ! 助けてくれて、ありがとうって! 死んじゃったら、言えないじゃん! お母さんみたいに死んじゃったら!」


 私は嗚咽の中、大声でそう言っていた。

 彼は私を抱きしめながら、優しく背中をさすってくれていた。


 どれくらい、そうしていただろう。


「月島」 


 私は宝生君の胸から顔を起こして、彼の顔を見つめる。

 彼の手が、私の頬に優しく添えられた。



「月島。俺と付き合ってくれ」


「え……」


「返事は? ハイかYesかどっちだ?」


「……Noは選択できないんだね」


「当たり前だ」


「私でいいの?」


 彼はいつもの柔らかい笑みを浮かべた。


「どうやらお前じゃなきゃ、駄目みたいだ」


「宝生君……」


 そのまま彼の整った顔が、ゆっくり近づいてきた。

 私は本能的に、目を閉じる。


 私の唇と彼の唇の距離が、ゼロになった。


 彼の顔が離れる。

 私はそのままうつ向いた。

 恥ずかしくて、彼の顔を見られなかった。


「月島」


 彼はもう一度私にキスをした。

 今度はなんだか……力強い。

 彼の舌が、私の唇を割って入ってきた。

 私は焦ったが……力が入らない。


「んっ、んーー」


 私はたまらず、彼の胸を何回もタップする。

 彼が気づいて、唇を離してくれた。

 2人とも息遣いが荒い。


「わ、悪い……」


「も、もう……初心者をいきなり上級コースに連れていかないでよ……」


「すまん……つい……」


「こっちは初めてなんだからね……」


「お取り込み中のところ、失礼します」


「おわっ」「きゃっ」


 私たちは、とっさに離れた。

 声がする方を見ると、入口付近に執事服に身を包んだ男性が立っていた。


「よ、吉岡。いつの間に」


「先程からおりましたよ」


「……どこから聞いてた?」


「そうですね、『本当に死んじゃうって思ったんだから!』っていうあたりからですかね」


 その男性が私の声マネをした。

 それが無駄に似ていた。

 私は赤面したまま、俯くしかなかった。


「最初からかよ……」

 宝生君が、はぁーっとため息をつく。


「そ、そうだ、ちょうどいい。吉岡、例のものを今持ってるか?」


「避妊具ですか?」


「違うわ! それは……もうちょっと後だ」


「あ、後でも使わないわよ!」


「使わなくていいのか?」


「そういう事じゃないでしょ!」


 何の話よ……。

 だから初心者を置き去りにしないでほしい……。

 ていうか、この人が吉岡さんって人だったんだ。

 宝生君の教育係の人だっけ。


「冗談です、秀一様。こちらにございます」


 そう言って吉岡さんは、A4サイズの封筒を執事服の胸ポケットから出してきた。

 ちょっと……なんでそんなに大きなものが、そこから出てくるの?

 それを宝生君に渡すと、吉岡さんは「失礼します」と言って部屋を出ていった。

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