第5話 その名は

 街の中の悪魔たちを片付けた後、北門から出たアレックスは若者が襲われたという北にある森を見つめていた。

 彼の髪はすでに青碧の光を放っている。


「……やはり、しかしこの数は」


 街へ襲い掛かった悪魔たちは、恐らくほんの一部でしか無いであろうと予想していたアレックスは、悪い意味で予想を裏切られることとなった。

 感じ取ったあの悪魔たちの気配は、、街を丸ごと飲み込みかねない大群だったからだ。


 そのあまりの大群に、しばし放心状態だったアレックスはもう一度問う。


「……やはり君の力を借りなければならないみたいだ。頼めるかい?」


 ―――――。


「―――ありがとう。ほんの少しだけ、君の力を借りる事にするよ」


 そう言ってアレックスは、街と森の中央辺りまで進み立ち止まる。そして、両手を広げ目を瞑り語り掛ける。


[私の大切な君 私の愛すべき君 私の全てを受け入れてくれる君へ 親愛なる君へ 私は語り掛けよう さぁ 君の姿を見せて欲しい 君の声を聴かせて欲しい 私の愛すべき君 その名は]


 目を開き、広げていた両手を勢いよく合わせ呼びかける。




 ―――――【アグノラ】




 アレックスの前に目が眩むほどの光が輝く。

 まるで太陽のように強く激しい光は、北から押し寄せて来ている悪魔たちを怯ませ、動揺させているようだった。

 そんな眩い光が徐々に収まっていくと、そこに人の姿が浮かび上がってくる。

 光が完全に消え姿を現したのは、とても美しい少女であった。


「―――こうして君を呼ぶのは久しぶりだね、アグノラ」

 

〈やっと やっと よんでくれた〉


 まるで妖精のように空中を飛び回った少女は、微笑を浮かべアレックスの額へと口づけをする。


「すまない、アグノラ。君の力はそう簡単に使うわけにはいかないんだ。許してほしい」


 少し眉を下げて謝罪を口にすると、アグノラという少女は微笑んだ。


「―――それじゃあ、あとは頼んだよ」


 腰から剣を抜き、両手で柄を握ると、剣先を上にした状態で胸の辺りまで腕を持ち上げ、目を瞑り語り掛けた。


[我は望む 絶望を希望に 嘆きを喜びに 立ち止まり俯く者たちが

 再び前を向き 歩き始めることを 進み続けることを―――]


 両手で持ち構えている剣に、凄まじい風の力が纏われ始める。まるで世界中の風がこの剣に集まっているかのように。際限なく。

 あまりの風の力に、アレックスは態勢を維持するのがやっとであった。

(―――まだだっ、まだっ!)

 アレックスはその暴風に耐えながらも、さらに言葉を紡いでいく。


[時にはその背を押し 時には立ちはだかる壁となり 時には優しく抱擁する 風の精霊たちよ どうか どうか彼女の声を聴いてほしい そして―――]

 

 さらに勢いを増し、今にも弾き飛ばされそうなほどの力の奔流は、青碧の輝きを放ちながら剣を覆いつくしていく。

(―――まだっ……!!)

 アレックスは、歯を食いしばりながら耐え続ける。

 そんなアレックスの体には所々切り裂かれたような傷ができている。剣に纏われていく力が増せば増すほど、よりその傷は増えていった。


 眩い光によって何が起こったのかと様子を見に来た者たちは言葉を失った。

 アレックスの凄まじい活躍をその目で見た者たちが、希望はあるのだと、悲しみや絶望だけではないのだと、明日のために今日の悲劇を乗り越えて行こうと、そう思い前に進もうとした矢先のことである。


 森から赤口の悪魔たちが姿を現す。その大群は、もはや目の前の土地全てを覆いつくすほどであった。

 どうしようもない、数の暴力。数千はいるであろう悪魔たちの進軍に、抗おうとする者はいなかった。先程の数十体の悪魔たちですら尋常ではない被害をもたらしたのだ。生き残れるわけがない。皆がそう思っていた。

 だが、そんな絶望を、嘆きを、一人の青年と少女は覆す。


 美しい少女から、歌声が響き渡る。


 希望の音が、救いの音が、少女の口から音となって紡がれる。


 その音は、荒れ狂う暴風を鎮め、よりその力を増幅させる。

 先程まで耐えるのが精一杯だった風の力の奔流は、一転して穏やかながらも力強いものへと変化していた。

 それを見届けると、アレックスを優しく見守りながら彼女は光の粒子となりその姿を消した。

(―――ありがとう、アグノラ)

 アグノラにより増幅された力、アレックスは両手で持っていた剣を逆手に握り直し大きく振りかぶる。


[どうかその力で 我らに救いを与えたまえ―――]


 そして、凄まじい風の力を纏ったその剣を、全力で地面へと突き刺した。



  青碧の光が、絶望を希望へ変える力の奔流が、全てを飲み込む嵐となって大地を駆け巡った。


 青碧の粒子を纏った半円状の光の壁が、次々と悪魔たちを巻き込んでいく。

 巻き込まれた悪魔たちは、光の粒子となって消滅していった。




 ―――クストスムンド『七色の円卓セブンスホール』にて。



 七色の円卓では現在、唯一の隊長であるレイラを筆頭とし、臨時の隊長と候補者を合わせた四人が会議をしている最中であった。 

 そして突如、光の壁の様な力の奔流がクストスムンドを駆け巡って行った。


「一体なにっ!?」

「んだァ!?」

「きゃああぁっ!!」

「これはっ……!?」


 大きなテーブルの上の資料を吹き飛ばし、部屋の中はまるで嵐が通り過ぎたかのような惨状となった。

 一体何なんだと文句を言いながら片付けを始めている者がいる中、一人だけ外に視線を向けている者がいた。


(―――アレックス?)


 仲間である自分を放って置けないからと、ここへ来ると約束してくれた彼の存在をレイラは僅かながらも感じ取っていた。

 


 ―――時を同じくしたミラとクロエは。



「でねっ、アレックスったらいっつもわたしを子供扱いしてっ!でも好きっ!」

「ふふっ、羨ましいです。そんな風に言える人がいるなんて」

「え?そ、そうかな?」

「えぇ、私にはそんな風に言える人なん「きゃあっ!!」」


 何かがとてつもない勢いで通り過ぎていく。


「今の……なに?」

「なん、でしょうか……?」



 力の奔流は爆発的に広がっていった。それは、エヴェンだけでなく遥か東にあるクストスムンドさえ通り過ぎるほどのとてつもない規模となっていた。



 数千といた悪魔の大群は、一体も逃れることなく、全ての存在が光となって消失していた。


 思わず目を瞑り顔を背けていた街の人々が、恐る恐る目を開け前を見る。

 そこで見たものは、赤口の悪魔など欠片も存在しない、いつもと何一つ変わらない風景と、地面に剣を突き刺した状態のまま立っているアレックスの姿だった。


 自身を傷つけるほどの力を使ったアレックスは、地面に刺したままの剣を握りしめたまま、その場に片膝をついた。

 肩で息をしながら、アレックスは考えていた。

(―――これだけの規模の大群が、どうして……それに、あの大群がこちらに向かってきたということは、あの方角にあったはずの村や街は……)

 考えれば考えるほど、アレックスの心は痛みを増していく。

(……けれど、もしそうだったとしても、あれだけの数は在り得な……)

 そこでアレックスは気付く。

(―――そうか、

 ガーデンは世界各地に派遣され、そこで起きている問題を解決してきた。

 だが、ガーデンの崩壊によりそうした問題が解決されない状態のまま、数か月という時間が経過してしまった。

 それだけではない。以前レイラと再会した時、彼女は言っていた。

 できる限り立て直していると。

 (―――それはつまり、現状では軍を動かせるほどガーデンは復興できていないということ。そして、ガーデンがそんな状態になってしまったその原因を作ったのは)


「……アレクサンダー」


 アレックスは俯いたまま、奥歯を強く嚙み締めた。



 ―――三日後。



 亡くなった者たちを埋葬した墓の前でアレックスとミラは祈りを捧げていた。

 静かに祈りながら、ミラは考えていた。


 ―――もし、アレックスがあのまま村にいたら。もし、近道せず、南下する道を選んでいたら。


 考えるだけで怖くなる。アレックスがいなければ、ここに眠るのはこの街の人全員だったかもしれないのだ。

 ミラはもう一度、ここに眠る人たちへ深い祈りを捧げた。


 そんな祈りを捧げているミラの髪が、ほんの一瞬だけ煌めき、ふっと光の粒子が舞う。

 だが、ミラもアレックスも目を瞑り祈りを捧げていたため、それに気づくことは無かった。今は、まだ。



「それじゃあ、特に大きな怪我も無かったんだね?」

「はいっ!……あの、本当にありがとうございましたっ!お父さんもお母さんも、アレックスさんのお陰です!」


 クロエは両親の無事をアレックスに報告し、涙を滲ませながら笑顔で言った。

 ミラも涙を滲ませながらクロエの両親が無事だったことを喜んだ。


「この街の皆が言ってます、アレックスさんのお陰で救われたって―――。全員が助かったわけじゃない。けど、それでもっ、アレックスさんがいてくれたから、皆は悲しむことができる。喜びを分かち合えるんです。だから―――!」


 傷を負い、倒れているクロエを発見したのは本当に偶然の出来事だ。そしてクロエから話を聞き、この街へ駆けつけた時には、すでに少なくない犠牲者を出してしまっていた。


「だから、そんな顔をしないでくださいっ!」


 その言葉にアレックスは驚く。


「私たちの命の恩人が、そんな悲しい顔をしているのは、とても辛いです」


 ミラも思わずアレックスの顔を見る。


「だから、笑ってくださいっ!アレックスさんっ!私たちは、大丈夫ですから!」


 大きく目を見開いていたアレックスは、ふっと表情を和らげる。


「ありがとう、クロエ」


 そう言って、いつもの優しい微笑みを浮かべた。



 街中の人たちがこちらに大きく手を振っている。皆が、希望に満ちた表情でアレックスとミラを見送っていた。

 そんな人たちに手を振り返しながら二人はエヴェンを後にし、商業都市へと出発した。



 しばらく歩いていると、道の横に大きめの岩が転がっている場所へと差し掛かっる。何事もなく通り過ぎようとしたところで、突然、その岩の影の色が濃度を増し揺らめいた。


「ここにいた。やっと見つけたよ」


 そんな岩の影から、突然現れ話しかけて来たのは数日前に再会した仲間。


「―――レイラ、どうしてここに?」


 突然現れた美しい女性と知り合いらしい雰囲気を感じ取ったミラは、驚いた様子で二人の顔を交互に見ている。


「どの辺りにいるのか分からなかったから、あの街の近辺を移動して探してたんだ」

「私を?」

「うん。実はね、三日程前なんだけど僕がいた場所を突然何かが通り過ぎて行ったんだ。他に気付いた人がどれだけいるかはわからないけど、あれは間違いなく精霊の力によるものだった。それだけじゃない、あれは―――」

「……」


 アレックスは何も言わず、レイラの話に耳を傾ける。


「あれは、あの力の強さは人智を超えている」

「レイラ、それは……」

「それに、僕も何でかはわからない。わからないけど、どうしてか貴方が何かをやったんだってなんとなく感じたの」


 アレックスの言葉をレイラは遮り、問いかける。


「ねぇ、アレックス。貴方は、一体何を隠しているの?」



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