第4話 アレックスの力

 ―――悪魔、彼女は確かにそう言った。


「クロエさん、それは『赤口の悪魔』と呼ばれているあの悪魔で間違いないんですね?」

「はいっ、ま、間違いないですっ……あぁ……お父さん、お母さんっ……!!」


 厳しい表情のまま少し考え込んでいるアレックスに、ミラは恐る恐る聞く。


「あの、アレックス……赤口の悪魔って、その……どんなやつなの?」

「……そうか、ミラは知らないんだったね。あれは悪魔と言われてはいるが、個体としてはそこまで大きいわけじゃない。体長は一・五メルに届くかどうかという程度なんだ。ただ―――」


 アレックスは一度言葉を区切る。


「ただ、やつらの危険なところはその残虐性だ。獲物が逃げ惑い、泣き喚く姿を見ることで極度の興奮状態になり、より獲物を苦しめ殺すことを楽しむようになる。その上、群れで行動することが非常に多い。だから、村など小さな集落が襲われた場合、ほぼ間違いなく全滅する。運よく生き延びた人たちが、やつらの血で赤く染まった口と、そのあまりの恐怖から名付けたのが―――」

「赤口の悪魔……」


 ミラの呟きにアレックスは頷く。

 そして、アレックスは気になっていたことをクロエに問う。


「クロエさん、先ほどの傷は相当な深手でした。それなのに一体どうやってここまで?他に誰かいたのですか?」

「……わからないんです」

「わからない?」

「はい、どうやってここに来たのか。そもそもここは平原ですよね?私、あの時、確かに―――」


 その時のことを思い出したのか、彼女が震え始める。


「大丈夫、落ち着いて。今やつらは近くにいません」

「……ありがとう、ございます。私、確かに街の中で襲われたんです……でも、それで……あぁ死ぬんだってそう思ったんです。そうしたら、何か体が沈み込むような、そんな感じがして。でも、痛みと恐怖で何が起きてるのかもわからないまま意識を失ったみたいで……」


 クロエの話を聞いたアレックスは一つの可能性に思い当たる。

(―――そうか、たった一人であれだけの怪我を負ったまま、ここまでどうやって逃げてきたのかと疑問だったけれど、そういうことか)


「ミラ、クロエさんに付き添ってあげていて欲しい。クロエさんも、ミラと一緒にここで待っててもらえますね?」

「うんっ、まかせて!」

「―――はい、わかりました」


 二人が返事をすると、アレックスは二人に微笑み頷いた。もう一度、大丈夫だからと一言残すと、街がある方向へ歩き彼女たちと距離を取る。


「アレックスっ!」


 ミラの呼びかけにアレックスは顔だけ振り向き、


「終わったら、全部聞かせてねっ!」


 その言葉に微笑で答えると、街へと視線を戻す。

 そして彼の髪の色が先ほど見たように、またも青碧の光を放ち始めた。


「さて、まずは上へ行こう」


 アレックスは顔を上へ向けると、その姿が消えたかと錯覚するほどの速度で空へと跳んだ。

 足元から爆発したかのような暴風が吹き荒れ、ミラとクロエは思わず目を瞑り顔を背ける。

 風が止み、二人が前を見ると、先ほどアレックスがいた場所は大きく抉れ、草は薙ぎ倒されていた。


「……あの、アレックスさんて」

「……言わないで」


 そして二人は空を見上げた。



 数キロメルまで文字通り跳んだアレックスは、ゆっくりと落下しながら空から街の大まかな様子を確認する。

 街の中では煙が上がり、何かが動き回っているのが見える。


「まずは、街の中のやつらを殲滅しよう。その後は恐らく、君の力を少し借りることになるかもしれない―――頼めるかい?」


 ―――――。


「―――ありがとう、それじゃあ行こうか」


 アレックスは言葉を紡ぐ。そして―――。



 エヴェンの中では悲鳴と怒号が響き渡っていた。

 鼠のような頭に細長い手足。胴体もあばらが浮き出るほど細い。だが手足の先には、鋭く大きな鉤爪がついており、口の中にびっしりと生えている歯は、獲物の肉を削り、より多く血が流れるようにノコギリ状になっている。


「建物の中に逃げて扉を塞げぇ!!早くっ!急げぇ!!」

「あの子はっ、あの子はどこなの!!?」

「あ”あ”ぁ”あ”あ”あ”ぁ”ぁ”ぁ”あ”!!!」

「てめぇええ!!そいつを離せえぇぇぇぇえぇ!!」


 ―――少しでも街の人間が助かるよう行動する男。

 ―――愛する我が子を見失い泣き叫ぶ母親。

 ―――やつらに捕まり食われる者。

 ―――仲間をやられ激高する者。


 まさに地獄のような惨状であった。


「っはぁ、っはぁ……!!たすけて、たすけて、たすけてっ―――!」


 息を切らしながら必死に走っている男が足を縺れさせて転倒した。

 硬い石でできた道に体を打ち付け、全身に激痛が響く。

 そんな中、男を狙い追い回していた悪魔が姿を現す。


「やめろ、来るなっ……来るなぁ!!」


 痛みに耐えながら必死に距離を取ろうとするが、力が入らない。全身から血の気が引き、あまりの恐怖に立ち上がることさえできなくなっていた。

 硬い大きな鉤爪と、石の床が歩く度にぶつかり合って生じる硬質な音は、男にとって死へのカウントダウンのように聞こえていた。

 口から赤い血を垂らし、恐怖で震える男をみて興奮している悪魔は、ゆっくりと近づいてくる。

 残り一メルを切った時、悪魔は獲物を鉤爪で突き刺そうと腕を持ち上げ、振り下ろした。



 ―――その瞬間。



 ―――風が吹いた。



 思わず目を瞑ってしまっていた男は、何か強い風が通り過ぎるのを体で感じていた。だが、体に痛みがやってこないことを不審に思い、恐る恐る目を開けると悪魔が腕を振り上げた状態で固まっているのを見て悲鳴に近い叫び声をあげる。


 すると突然、悪魔の体が二つに分かれ崩れ落ちた。


「はっ……はっ……な、なんだ……なにが……」


 浅く呼吸を繰り返し、何が起きたのか理解できずにいた男は辺りを見回すが、そこには自分と悪魔の死体以外、誰一人いなかった。


 エヴェンの街の中を風が吹き荒れる。

 青碧の煌めく粒子の尾を引くその風は、赤口の悪魔の体を次々と通り過ぎる。

 風が通り過ぎた悪魔は縦に、横に、斜めに、それぞれが二つに分かれ崩れ落ちていく。


 街の住民たちは、何が起こっているのかわからないまま、ただその光景に見入っていた。


 最後の一体に向かって上から青碧の粒子を纏った風が、悪魔を石の床に叩きつけた。

 それを見ていた人たちは、不思議な音が混じっているのを聞いた。なぜか、風には無いはずの金属の音がしたのである。

 悪魔の死体の上に青碧の粒子が舞っている。

 すると突然、青碧の粒子は何かを形作るかのように徐々に集まり始める。

 それは剣であった。だが、皆が本当に驚いたのはその直後である。

 剣身から上の方へと徐々に粒子は何かを形作っていく。そして現れたのは、一人の青年の姿だった。


 その姿を見た人々は息をするのも忘れ、只々彼を見つめていた。


「―――すみません、皆さん。遅くなってしまいました。後は私が。皆さんは避難と治療を急いでください」


 突如現れたアレックスは、街の人たちにそう声を掛けた。

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