第一章 精霊の力

第1話 シスル村

 高々と木々が立ち並び、薄っすらと日の光を落とす深い森の中、激しい呼吸を繰り返しながら駆ける二人の男の姿があった。


「くそっ!聞いてないぞ!あんなでかいのがいるなんてっ!」


 一人が責めるようにに叫ぶ。


「俺だって知らねぇよ!あんな化け物初めてだ!」


 もう一人がやけくそ気味にそう叫び返した。


 そんな二人の後ろから二メルはある牙をむき出しにしながら、四本の足で猛烈に追いかける化け物がいた。名をワイルドボア。

 本来は成長しても一メルを超える程度の大きさではあるが、その名の通り非常に獰猛で、絶対に一人で狩りをしてはいけないと教えられる動物でもある。そんなワイルドボアが後ろから木々をなぎ倒しながら猛烈な勢いで追いかけて来ている。

 通常であれば普段から狩りをしている二人にとってはここまで必死に逃げる相手ではない。だが、


「何なんだよあれは!五メルはあるぞ!」

「考えたってわかるか!いいからとにかく逃げるぞっ!」


 今日も二人にとってはいつも通りの狩りのはずだった。それが普通では考えられない大きさのワイルドボアに追われることとなった二人は、泣き出したい気持ちを抑えながら体に鞭打ち必死に走り続けた。


「一応、彼らを見失わない程度の距離で獲物を探してはいたけれど……。何か大変なものに追われているようだね」


 くすんだ金色の中に、木々の間から零れる光に照らされることでほんのわずか、青や碧の色が煌めいている不思議な色の髪の青年が少し楽しそうに呟いている。


 ―――――。


「もちろんさ。今はまだ怪我はしていないようだけれど、このままでは時間の問題だからね。あの村の人たちを傷つけさせはしないさ」


 そう言って青年は左の腰に掛けていた剣を抜き、こちらに泣きそうな顔で必死に走ってくる二人の狩人たちの方に向かって走りだした。




 クストスムンドの西側に位置する山脈。その中でも背の高い木々に覆われた山間に、上流から枝分かれした澄んだ水が流れる小さな川がある。

 数十年前、森で暮らしていた者がその川を見つけ、水を手軽に得られる場所としてよく通うようになった。それを同じ森で暮らしている仲間へと話したことで、その仲間もそこへ通うようになった。そうして人から人へとその話は広がっていき、少しずつその場所に通う人が増え始めた。

 その結果、より利便性を求め、川の近くで暮らすようになりそこに村を作った。

 そうしてできた村がシスル村である。



 日が落ち始め、徐々に空が赤くなって来た頃に突如村が喧噪に包まれた。村の入り口から、疲れ切ってはいるがどこが自慢げな顔で歩いている二人の狩人の後ろの荷車に、ワイルドボアの巨体が積まれていたからだ。

 その荷車をさらに後ろから青年が微笑みながら押している。三人とも全く怪我はしていないようだった。


「おいおいっ、なんだよの大きさはっ!よく無事だったなお前たち!」

「ねぇっ、あなたたち大丈夫なの!?怪我とかしてない!?」

「すっげぇ!兄ちゃんたちこれを倒したの!?」


 村の男はその大きさに驚き叫んだ。村の女は帰ってきた三人へ心配の声を上げた。 子供たちはまるで憧れの英雄を見るかのような輝いた目で三人を称賛していた。


 前方で荷車を引いている内の左にいる狩人は、走り疲れていたため遠慮がちに笑っていたが、その称賛の言葉に内心では飛び跳ねたいほど喜んでいた。


「俺たちは大丈夫だ!アレックスのおかげで助かった!」


 もう一方の狩人は心配の声に対してそう答えた。


 はっはっはと大きな声で笑いながら喋っているのは、この村の長を務める男だ。


「やっぱりな!アレックスに狩りの役目を任せたのは正解だった!さすがだなアレックス!」

「買い被りすぎですよ、ダレンさん」


 アレックスと呼ばれたくすんだ金髪の青年は少しむず痒そうに言った。


「買い被りなものか!こんだけデカイ獲物を傷一つ負わずに帰ってくるなんざこの村の連中にゃ無理ってもんだぜ!というか本当にデカイな!はっはっは!」


 笑いが止まらないといった様子の村長に、アレックスは優しく微笑むのだった。



 ―――――それから五日後。



 アレックスはこの村に運び込まれ、怪我がほぼ治りかけてからは、朝日が昇る前に起床し以前に負った怪我の具合を確かめつつ鍛錬をするのが日課となっていた。

 体をゆっくりと曲げては戻す。それを何度か繰り返した後、肩から流れるように腕を回す。それから地面に座り足を大きく広げ、その状態から体を地面に付けたまま静かにゆっくりと呼吸をする。


「うん、中々いい状態まで戻ってきたかな」


 ―――――。


「まだ拗ねているのかい?何度も謝ったじゃないか。……でも、本当に心配をかけてしまったね」


 ―――――。


「大丈夫だよ。もう、大丈夫。だから安心して欲しい。君が悲しい顔をしていると。私も悲しくなってしまう」


 ―――――。


「うん、やっぱり君は笑顔が一番良く似合っているよ」


 周りから見ると独り言を呟いているようにしか見えないが、アレックスはとても楽しそうに何かと話しているようだった。

 そこへ、アレックスを呼ぶ若い女性の声が聞こえてきた。


「ミラが呼んでいるみたいだ。そういえばそろそろ朝食の時間だったね。それじゃあ戻ろうか」


 そう呟いてアレックスは声の聞こえてきた方へと歩いて行った。


 世話になっている家の家主であり村長でもあるダレンの家に入り、あいさつを済ませるとアレックスは椅子に座り軽く話をする。すると、どんどんと美味しそうな食事が目の前に並べられていく。

 朝食としては少々多過ぎる気もするが、愛情たっぷりの食事にそんな野暮な指摘をするようなことは誰もしなかった。


「はいっ、アレックスの分よ!いっぱい食べてね!」

「ありがとう、ミラ。いつも美味しい食事をありがとう。」

「うふふっ!」

「…………。」


 そんな甘ーい空気を朝から出している娘に、ダレンは嬉しいような寂しいようなそんな気持ちを抱きつつも娘の幸せそうな顔を見て、まぁいいかと納得して朝食を食べ始めた。

 

 村長である父親ダレンとその妻エラ。そしてその二人の娘であるミラを含めた三人家族だったこの家に、新たな家族としてアレックスは迎え入れられていた。ダレンもエラもアレックスを好ましく思っているが、ミラはその比では無かった。

 元々村長の娘ということもあり、どうしても近い年代の男性は少し格上の人としてミラを扱ってしまう。そんな状態が続いていた中現れたのが、年上のアレックスである。見た目も良く丁寧で物静かな彼は、ミラをまるで妹のように可愛がってくれた。

 そんな年相応の態度で優しく接してくれるアレックスに、ミラは完全に惚れ込んでしまっていたのだった。


 食器を洗いながら、うふふっと笑うミラを見ていたエラは、微笑ましい表情で見守っていた。

 エラは想う。彼が来てくれて本当に良かったと。毎日楽しそうにしている娘を見るのは、子供の幸福を心から願うエラにとってこれ以上ない幸せであった。


 毎日がとても楽しい。たった一人の人と出会っただけでここまで気持ちが変わるものかと驚いたが、それもすぐに受け入れることができた。

 だって幸せなのだ、楽しいのだ、大好きなのだ。こんな気持ちは受け入れて当然だとミラは思う。

 ―――あの日、狩りに向かった村人が大慌てで運んできたアレックスを一目見たときに感じたのだ。この人は絶対に死なせてはいけない、と。

 何故かと問われれば、それはわからない。でもあの時感じたものは絶対に正しかったと今は断言できる。


「お昼は狩りに行くって言ってたし、朝は早いからぁ……夜は軽めにしようかしら。うーん……」


 そんな恋する乙女は、今日も想い人のため頭を悩ませている。



 ―――――時を同じくした別の場所にて。



 商業都市ディヴィテアグロリア。富こそ栄光であると考える商人たちの中心地。様々な物を扱う商人たちが自慢の品を並べ、より高く、より多く売るためにその巧みな話術を披露する。そのため常日頃から商人や物見客たちの喧噪に包まれている都市でもある。そんな商業都市に一際目立つ商人がいた。


「なんだあの大きさは!?」

「しかも状態も悪くない。いや、悪くないどころかかなり……」

「こんな馬鹿でかいやつが存在しているとは……」


 聞こえてくるのは驚きの声ばかりだった。その声の主たちの視線の先にあるものは、数日前にアレックスが狩った五メルを超える巨大なワイルドボアの頭蓋骨であった。


「さあさあ!見てらっしゃいよってらっしゃい!ここにあるのは間違いなくワイルドボアの頭だよ!作り物なんかじゃない、本当に数日前に狩られたばかりの本物さ!」


 そう大きな声を上げて客の視線をくぎ付けにしているのは、定期的にシスル村へ寄っている商人の露店であった。

 ワイルドボアが狩られた翌日のこと。いつも通り村が必要としている商品を届けるため、商人が村に入った時である。村の中央に鎮座していたそれ見た商人はそのあまりの大きさに衝撃を受けた。今まで見てきたどのワイルドボアよりも大きく立派であったからだ。

 これを露店で飾れば沢山の人の注目を浴びるに違いない。そう思った商人が、村長であるダレンと交渉して頭蓋骨と牙を買い取ったのだ。


「さあ!どうだい!これだけ立派なものはそうそう見られるもんじゃないよ!勿論、商品だって色々ある!さあさ!そこのあなたもどうだい!」


 そうして声を張り上げている商人のところに続々と人が集まり、喧噪はより激しさを増していった。

 そんな中、その様子をフードを目深に被った濃紺のローブ姿の者が静かに見ていた。フードの中からは黒く艶のある髪が胸の辺りまで垂れており、胸元も膨らみがあることから女性なのだろう。

 そんな喧噪に似つかわしくない暗い色をした女性は、ぼそりと何かを呟いた。その瞬間、女性は忽然とその姿を消した。



 日が完全に落ち、ゆらゆらと揺れる松明の光がぼんやりと村の中を照らしている。

 夜の食事を終え、自分の部屋として使わせてもらっている部屋でアレックスはベッドで横になって借りた本を読んでいた。そこに、遠慮がちにドアをノックする音が聞こえた。


「ねぇ、アレックス起きてる?入ってもいい?」

「うん、大丈夫。どうしたんだい?こんな時間に」


 ゆっくりとドアを開けて入ってきたのは、寝るための服に着替えたミラだった。

 少し顔を赤らめながら俯き、何度か口を開けては閉じてを繰り返していたが、意を決したのか、アレックスの目をはっきりと見てミラは言った。


「あの……!あの、ね!きょ、今日ね、一緒に、その、寝たいなって思って……。だめ?」


 アレックスは僅かな時間、目を見開いて呆気に取られていたが、ふっと目を細めると読んでいた本を閉じて横の台に置いた。


「ふふっ、いいよ。可愛い妹のお願いは断れないからね」


 それを聞いてパッと表情を明るくしたミラはしかし、ちょっとだけ不満そうな顔をする。一緒に寝てもいいと了承を得た上に妹として扱ってくれた嬉しさと同時に、一人の女性として見てもらえていないということがわかったからだ。

 それでも、こっちにおいでと呼ばれたミラはそんな不満もすぐに吹き飛び、嬉しそうに駆け寄りアレックスの隣で横になった。


「ふふっ、おやすみなさいアレックス」

「うん、おやすみ。ミラ」


 アレックスの腕に抱き着きながら幸せそうな顔で目を閉じたミラからは、すぐに可愛いらしい寝息が聞こえてきた。

 そんなミラの頭を軽く撫でると明かりを消し、アレックスも眠りについたのだった。



 日が落ち始めてから用意していた松明も、夜が深くなった頃には火が消え、月明りが村を照らしている。

 ふと目を開けたアレックスは視線だけで横を見る。

 ぐっすりと眠っているミラを確認すると、反対側に視線を向け窓から差し込んでいる月明かりから、まだ真夜中であることを確認する。

 ミラを起こさないようゆっくりとベッドから抜け出し着替えると、部屋を出る前ににもう一度ミラを確認し、愛用の剣を持って外へと出た。

 確かめねばならない事が、すぐそこまで迫ってきていたからだ。



 パキッと細木を踏みしめる音が辺りに響く。村を出てからしばらく歩き続け森の奥へと進んだ。前に薙ぎ倒された木の幹がいくつか転がっており、丁度いい大きさの木を選びそこに腰を下ろした。

 薄っすらと月明りが差し込む森は、神秘的であると同時に恐怖心を助長させる。そんな場所で一人、アレックスは目を瞑り何かを待っていた。



「―――久しぶりだね。君のことだから、私が一人になれば来てくれるだろうと思っていたよ」


 瞑っていた目を開け、月明かりが落ちている地面をぼうっと見つめながらアレックスは呟いた。


 すると横の暗がりから何者かが音も無く現れた。それは商業都市から忽然と姿を消したあの女性だった。

 彼女は澄んだ綺麗な声で呟くように言った。


「うん、久しぶり。でも、まさかとは思ったけれど、本当に生きているなんて驚いたよ」

「私もそう思うよ。君がここに来ることも驚いたけどね」


 アレックスはいつもの調子でそう言った。そして、何の目的でここに訪れたのかを大体察している彼は彼女に問うた。


「ところで、わざわざ君が来るということは、あのことで話があるんだろう?」

「―――うん。話が早くて助かるよ。アレックス、僕がここに来た理由はただ一つ」


 アレックスに問われた彼女は、単刀直入に言った。


「貴方に、ガーデンに戻ってきて欲しいんだ」


 アレックスは僅かに目を細めた。

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