第19話 ナハトの嘘
「いやー、突然の来訪で悪いね」
開口一番、全く悪びれてなさそうなナハトの謝罪をレンは受けた。
「おいおい、飲みに来てもいいとは言ったが、真昼間からとはどういう神経だ?」
「失礼しちゃうな。僕が酒の事しか考えてない様な口ぶりじゃないか?」
「あと、金と女だろ?」
「大正解」
そこで、ナハトはレンの背中に隠れているエラを見つけた。空の様に綺麗で澄み切った瞳は彼に対しての不信感で濁っていた。
一方で、ナハトはエラとレンを交互に見て、徐々に口角を吊り上げた。
「いやー、これはこれは。レンも隅に置けないなー。まさか、僕の居ないとところでけん—」
眷属と言いかけたのを察したレンは慌てて顔面を殴り飛ばした。
ナハトは大きくよろめき、鼻から鉄の匂いの赤い液体が一筋流れていくのを感じる。文句を言いたげなナハトの口を押さえて、レンは耳元で囁いた。
「悪いんだが、俺はこいつの前じゃ人間のヴァンパイアハンターって事になってんだ。後で、説明するから適当に話を合わせてくれ」
それを聞いてさらに口角を上げるナハト。
「随分と面白そうな事になってるじゃないか。……それにしても殴らなくても良かったんじゃない?」
「すまんな。咄嗟の出来事だったから」
二人の小声でのやりとりにエラはますます怪訝な顔色を覗かせた。
「師匠はなぜ殴ったんです? それに、けん……、なんですか?」
彼女の不信感と若干の苛立ちの混じった感情はナハトだけでなく、レンにも向けられた。
それを彼らはしどろもどろに返す。
「殴ったのはあれだ、馴れ合いみたいな? スキンシップの一環だ。なぁ? ナハト」
「そ、そうそう。僕も、けん……、献身的に支えてくれる娘がいるなんていいなー、って言おうとしたんだ。いやー、それにしても可愛らしいお嬢さんだね」
ナハトはそっと髪を撫でようとするが、触れる前に一歩引いてかわす。それから反抗的な眼差しで睨み上げた。
「お嬢さんじゃなくてエラです。それから、私を給仕か何かと勘違いしてらっしゃる様ですが、私は師匠の弟子です」
「弟子? 弟子ねぇ……」
ナハトは驚嘆に嘲笑を織り混ぜて、レンの方を向いた。恥ずかしいのか彼はすぐにそっぽ向いて目線を外す。
「まさか、君が弟子を取るとはね。聞きたい事が山程出来ちゃったな。でも、一先ずこれを『白の墓標』まで運んでしまいたい。」
そう言って、彼は目線で後ろの手押し車を指した。今まで、荷車に気づかなかったが、存在を認識した途端、鼻を刺す様な独特の臭気を感じた。荷台には布のカバーがかけられているが、この腐乱臭で中身を間違うはずもない。これで、ナハトが城を訪れた理由がはっきりと分かった。
「なるほど、人手を借りに来たわけか」
「まぁ、大体はそうだね。後は、顔を見に来たってところかな。そしたら、随分と面白いものが見れたけれども」
そう言って、彼はエラの顔をにたにたと覗き込む。
一方、レンは彼の言葉を無視して、彼女に尋ねた。
「俺はこいつに付いていくが、お前はどうする? 正直言って、あまり気持ちの良い作業ではないとは思う。嫌だったら、城で待っててくれても構わないが」
「いえ、私も荷物の中身はおおよそ分かってますし、何より見慣れているんで大丈夫です」
その言葉にナハトが反応した。
「見慣れてる……、か。幼い子がそんな事言うのか。随分と世知辛い世の中になったねぇ? レン」
ナハトは本当に寂しそうに、嘆く様に言った。
「無駄口叩いてないで、さっさと行くぞ」
「へいへい」
ナハトはゆっくりと手押し車を押して、山の中へ向かって行った。その後をエラが追う。レンはナハトの隣でエラに聞こえない程度の小声で囁いた。
「最近、何してる?」
「最近? いつも通りだよ。女の子引っ掛けて、夜を共にして、そうじゃない日は朝まで酒を飲んでいたり—」
「お前から血の匂いがする」
その一言はナハトを一瞬黙らせた。氷の様に冷たい時間が流れる。
「いやー、あんな街に住んでるからじゃない? 喧嘩なんて日常茶飯事だしー」
「誤魔化すなよ。お前は何を企んでる?」
「……企んでる、か。もう少し、僕の事を信じてくれても良いんじゃない? でもまぁ、それはまだ言えないかな」
「俺にもか?」
「君だからこそだよ」
そう言うと、荷車を握る力が強くなった。
「さぁ、さっさと仕事を片付けちゃおうか」
エラにも聞こえるように大きな声で、わざとらしく宣言する。それから、ナハトは歩くペースを上げて、木々を縫う様に進んでいった。
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