第17話 サングイス・パラディズム

 城には寝室や食卓の他にも数多くの施設が格納されている。ほとんど全てのものは建設の際に建てられたものだが、風呂場の様にリーベルタースが仕立てたものが少なからずある。

 その内の一つが書庫である。


 毎日のルーティーンの朝食後の手合わせを終えたエラは書庫に収められたその古書の数々に目を丸くしていた。


「これが全部、本なんですか?」


 彼女は塔を眺めて驚嘆を漏らす。

 吹き抜けの塔は二人が入ってもゆったり出来る程には広く、その上、螺旋状に天高く伸びる階段の壁は全て本棚になって、一寸の隙間もない程に古書が詰め込まれていた。埃と紙の古い匂いが二人を酔わせる。


「あぁ。歴史、地理、数学、魔術はもちろん、詩集や聖書も何でもここには揃っている。俺はここ以上に本が揃っている場所は知らない。学びの場としては最高の場所だ」

 

 レンは鼻高々に告げる。

 エラは話半分に、適当に近くにあった本を捲り、字を追っていった。だが、読んですぐに分かったのは、この本はドイツ語で書かれていないという事実だけだった。


「それはラテン語の……日記か?」


 後ろから覗き込んでいたレンが彼女の理解出来ない言語の名を言い当てて見せた。


「師匠、これ読めますか?」

「俺もラテン語はあまり得意じゃないが、大意ぐらいは掴めるとは思うぞ」


 そう言うと、後ろからひょいと日記を取り上げて、タイトルから目を追っていく。


「どれどれ……、サングイス・パラディズム、ドイツ語なら『血の楽園』ってところか。どこかの団体の活動記録の様なものかな」


 そのまま、ページを捲り、最後の記述を見つける。

 そこには一ページにも満たない分量と、日付が書かれているだけで、具体的にいつの年代に書かれたものかは分からない。が、日記自体の劣化の具合から相当に年季が入ったものという事だけはわかる。


「えーと……、彼とは反りが合わなくなってしまった。幼い頃は志を同じくした親友だと思っていたが、彼は変わってしまった。先の戦いで多くの同志を失った事が私と彼の対立を深めたのだろう。善や悪で割り切れるものではなく、これは意見の相違だ。『平和』の名を冠した彼と『自由』の名を冠した私とでは持つ正義が違ったのだ。だがしかし、彼の持つ正義は非常に危うい。不確かで歪んでいる。故に、私が止めなくてはならない。今日をもって、たった二人になった『血の楽園』は解散する。だが、私と彼の戦いは終われない。例え、私の命と引き換えにしても彼を止めなくてはならない。それは、同志であった者の責務であり、親友であり、戦友であり、一時でも彼を愛した者の責務なのである。」


 それ以上、日記には何も書かれていない。エラは彼の訳を聞いても首を傾げたままだった。


「一体、どういう意味なんでしょう? そもそも、誰がこれを……」


 彼女はレンに尋ねた。


「さぁな」


 実際、どういう意味かはレンにも分かりかねた。だが、誰が書いたかは、「『自由』の名を冠した私」という一節で大体の察しがついていた。そして、「『平和』の名を冠した彼」もおおよそ見当はつく。だ

 が、それをエラに伝える事はない。彼女らの対立は最終的に言えば、レン自身の問題へと帰着するからだ。それにエラを巻き込ませる訳にはいかない。

 

 彼女の問いを適当に流して、彼は日記を初めから流し読んでいった。


「どうやら、『血の楽園』は吸血鬼と人間が共存できる世界を目指していた様だな。だが、裏切りにあって結局は壊滅。最後に残ったのは創立者の『平和』と『自由』の二人だけで、その二人も意見の相違でぶつかって、解散したそうだ」


 そこで、ふと彼女に聞いてみたい事が思い浮かんだ。


「お前は吸血鬼と人間は共存できると思うか?」


 人間である彼女から見て吸血鬼はどう写るのか、吸血鬼であるレンにとって興味が注がれる。

 彼女がどういう答えを出しても尊重する気ではいるが、望むなら「出来る」と言って欲しいという気持ちが湧いている事にレンは自分でも驚いていた。

 だが、そんな淡い期待を砕く様に彼女はピシャリと言い放った。


「笑わせないでください。言語道断です。確かに、この前の吸血鬼を倒す時は躊躇いましたが、それでも吸血鬼を駆逐してやりたいという気持ちは変わらないですよ」


 彼女は舌鋒鋭く否定した。

 考えれば、当然の事だ。肉親を吸血鬼に殺され、挙句、弟と呼べる存在さえも吸血鬼に引き離されてしまったのだ。彼女の怒りも最もである。

 

 だが、レンはなまじ、殺しをせず、人間に甘ったるいくらいに優しい吸血鬼を知っているだけに、彼女が吸血鬼と一括りにして嫌悪を抱いている事に遣る瀬無くなる。

 そして、第一、自身が吸血鬼であるだけに彼女がレンという存在を拒絶している様に感じてしまうのだ。


「それもそうだな」


 レンはヴァンパイアハンターとしての体裁を整え、無理にでも余裕のある態度で日記を本棚に戻した。

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