第15話 残響

 路地での一件。途中までは概ねレンの予想通りの結果だった。

 エラが吸血鬼に対して、トドメを刺せなければ、殺されていた。所詮、その程度の覚悟だったという事だ。それではヴァンパイアハンターになどなれるはずもない。逆に、トドメを刺せたとしても、殺しなど一人の少女にはとても背負いきれない責め苦だろう、そう思っていた。

 長机のあるダイニングでレンとエラが向かい合う様に座る。朝昼夕と、エラの作る料理が並べられる机には、今は何も置かれていない。代わりにあるのは二人を包む重苦しい雰囲気だけだ。


「何から話しましょうか」


 そう言うエラは本当に迷う様子で宙を眺める。それから、ふと思い出したかの様子で話し出した。


「そういえば、前にここで私の両親は殺された、と言いましたね」


 エラはレンに尋ねて、彼も首を縦に振った。

「実は私はひとりっ子でしてね。今は、血の繋がった家族はいないんですよ」

「と、言うと弟というのは?」

「義理の弟です。どちらかと言うと弟分の様なものですね」


 彼女は遠い目を浮かべる。


「親が吸血鬼に殺されて、逃げる様に家から飛び出して、そこで初めて気づいたんです。今、自分は一人なんだと。守ってくれる親もいなければ、私を迎えてくれる家もない。家にいた頃は、貧しかったですけれど、それでも細やかな営みはできてたんです。けれど、それすら奪われて。そんな、途方に暮れていた時に会ったんです。レオに」

「レオ?」

「さっき言った弟分の事です。レオ・クライン。私より二つ年下で、臆病者で、弱くて、私がいないと何にもできない様な、そんな子です、レオは」


 エラは懐かしむ様に回想する。


「初めての出会いはレオが道端で倒れてるところでした。私一人生きていくだけでも大変なのに、それでも放って置けなくて。とりあえず、盗品のパンと水を分けてあげたのがきっかけで、それから懐かれる様になってしまって」


 彼女の声は弾んでいる。レオの事を語っているからだろうか。


「体が弱いからあの子は盗みなんて出来ないんです。だから、私が代わりに二人分の食料をいろんなところから盗んだり、残飯を拾ってきたり。それで、食べ物をあの子にあげると決まって言うんです、『ごめん』って。あの子はいつも申し訳なさそうにしていたんです。自分が私の足枷になってるって勝手にそう思ってたんです。でも、違うんです。救われてたのは私の方だったんです。それは、もちろん毎日の盗む量は増えたし、その分、危険な目にも遭いました。それでも、前と違って一人じゃなかった。私を待ってくれる人がいる。それだけで日々の暮らしは何倍も違って見えたんです」


 彼女のその言葉は一体誰に向かっているのだろう、とレンは思う。少なくとも彼にはまるで独り言の様に聞こえた。もっと言うと、独りよがりの言葉に。

 何か、もう決定的に覆らない過去を想う様な、もう二度と会えない人を想う様な、エラは隠しているつもりかもしれなかったが、その声にはどこか哀愁の様なものが含まれていた。


「その折、とある吸血鬼に遭ったんです」


 トーンが下がったのが分かった。


「一ヶ月程前のことです。二人で寝支度を始めた時に何人かの吸血鬼に住処を襲われました」


 淡々と話すがその声が微かに震えている。


「偶然でした」


 小さく呟く。


「吸血鬼共が私たちの寝床に来たのも。まさか、訪れた吸血鬼の一人が私の両親を殺した吸血鬼だった事も。全部偶然。本当に最悪な偶然です」


 皮肉の混じる声は弱々しい。


「死を覚悟しました。この御時世です。吸血鬼が生き血を巡って蔓延っている事も知ってましたし、子供二人では彼らに敵うわけがない事も知ってました。吸血鬼が目の前に現れたとき全てを諦めたんです」


 ですが、と続ける。


「レオは違いました。私と違って諦めてなかった。吸血鬼が現れたとき、彼は私に魔術を掛けたんです」

 

 エラは肩を撫でる。少し火傷にも似た鋭い痛みを思い出しながら。


「彼は魔術なんてからきし使えなかった。少なくとも、私と会った時には。きっと、私がいないところで練習していたんでしょう。どうにか、私の役に立とうとして。魔術陣を私の体に焼き付けて、彼は魔術で私を気体に変化させた」

「気体?」

「えぇ、気体です。空気のような」


 そこで、附に落ちる点があった。


「それで、肩の魔術陣か」

「そうです。って、やっぱりシャワーの時に覗いてたんじゃないですか」

 

 エラは口を尖らして言う。

 一方、レンは腕を組んで考察した。

 

 肉体が崩壊する気体への変身魔術は難易度も高ければ、元の体に戻れなくなる危険度も高い。だが、それを行使するだけなら、少なくともあれだけ大規模な魔術陣は描かなくても済む。

 つまり、荒く大きく書かれた魔術陣はきっとそれだけ切羽詰まっていた状況だった証拠だろう。非効率だが、それでもエラを思って咄嗟に書き出したものなのだろう。

 だがしかし、あそこまで大きな魔術陣を描けば術者の魔力は—成人ならまだ大丈夫かもしれなかったが、レオは少年らしい。しかも、体は弱い方だったと聞く。ならば、ほとんど魔力は尽きてしまうのではないか。

 エラはレンの思考を読み取ったかの様に言葉を続けた。


「レオは私を魔術で変化させると、その場に蹲ってしまいました。ピクリとも動かなくなって、一言、私に言ったんです。とてもとても小さな声で」


 エラは一度、深呼吸する。そうしなければ、今にも涙が溢れ出しそうだったからだ。


「『逃げて』って」


 結局、耐えていたのに彼女の頬を涙が伝った。


「私は口も聞けない状態なのに、それだけ言うともう黙りこくって動かなくなって。気づけば、私は風になって街を駆けてました。レオを見捨てた自責の念から逃げる様に」


 彼女はレオを見捨てたと言った。だが、彼女にはそれしか選択肢は残されていなかった。それでも、彼女は見捨てたと言ったのだ。そこに込められた思いたるや想像もできない。

 彼女は間を置く。一区切りつけて、昂った気持ちを少しずつ鎮める。


「それから、徐々に体が元に戻っていって……、しばらくして会ったんです。師匠に」


 事の顛末を、彼女の小さな体に刻まれた壮絶な過去を聞いて、レンは自分を恥じた。身勝手な理由で彼女を追い出そうと躍起になっていた。勿論、レン自身の事だけを考えるならば、それは合理的かもしれない。だが、それはこんなに酷な経験をした少女を蔑ろにしていい理由にはなり得ないのだ。


「本当は分かってるんです」


 エラは話し出す。


「もう、恐らくレオが生きてない事を、二人の日常が返ってこない事を」


 彼女は涙を拭うと、レンへ向いた。


「それでも、信じていたいんです。レオが生きてるって、またあの日常を取り戻せるって。……そう思わないと孤独に押しつぶされてしまいそうになるから」


 その時、彼女の目には焔が灯っていた。底無しの不安を焚き付けて、決意の火を吹いていた。


「だから、強くりたいんです。今よりももっと強くなって、きっと、いつの日かレオを助けられるように」

「そうか」


 相槌しか言葉に出来なかった。それ程までに、レンは気圧されていたのだ。ただ純粋な彼女の思いの結晶は、彼の体を深く深く突き刺した。

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