第13話 魔術陣

 レンはげっそりした様子で服を脱ぐ。

 今日は殆ど体を動かさなかったが、それでも妙に体力を削られた。原因は分かりきっている。エラに剣を教えていたせいだ。手取り足取り教えないと言ったはずだったのに。

 ひとまずは風呂にでも入ってこれからの事をゆっくりと考えようと脱いだ服を籠に入れる。それから、大浴場の取っ手を引いた。この時、不覚にも脱衣所にエラの服も籠に入っていたのを見落としていた。


 ここには、十メートル四方の浴場と一台のシャワーがある。それらは、水道も電気も通ってないこの城でどうしても風呂に入りたいと言った師匠が近くで温泉を掘り当て、それを城まで繋いで出来た代物だ。

 なかなかに無茶苦茶な所業だと当時のレンも思ったが、朝にふらっと出て行って、その日の夕方には浴槽ができてるんだから師匠の人外ぶりが伺える。

お湯は年中垂れ流しで、湯気からは仄かに硫黄の匂いが感じられる。シャワーは魔道具で、ある程度の調整が利くようになっている。

 

 小さめの手拭いを肩に掛け、湿ったタイルに足を踏み出した。そこで、何故か浴場の中からシャワーの音が聞こえる事に気がつく。

 不鮮明な湯気の中、一人、シャワーを浴びる少女をレンは見た。 

 

 腰からの滑らかな曲線と僅かに膨らんだ胸部に自然と視線が移る。白い柔らかな肌の上を水滴が滴っていく。何より目を引くのが、左肩から脇腹にかけて荒々しく描かれた魔術陣だ。体に刻み込まれたそれはあまりにも少女の体に不釣り合いであった。

 一方、一糸纏わぬ姿でシャワーに興じている彼女は、鼻歌まで歌ってご満悦そうだった。

 

 ふと、気配を感じて彼女は振り返った。瞬間、レンと彼女の視線が交錯する。両者とも思考が少しばかり停止して、シャワーの流れる音だけが場を支配していた。

 先に、行動を起こしたのは彼女の方だった。

 元より、体が温まって赤くなっていた顔をさらに真っ赤に染めて叫ぶ。


「何してるんですか! 師匠!」


 エラがすぐ側にあった桶を思いきりレンに向かって投げつけた。

 彼は反射的に戸を閉めた。そのすぐ後に、桶がドアに激突して衝撃音を撒く。桶を当て損なった彼女は代わりに言葉で捲し立てた。


「なんで、私がいるのに入ってくるんですか! 先に風呂にでも入ってこいって言ったのは師匠の方ですよね! 自分の言った事も忘れてるんですか!」


 戸の向こうからがなり声が聞こえてくる。今日、あれだけ痛めつけられたというのに我を忘れて怒りで語気を荒げていた。

 レンに反論の余地はなかった。先に入れと言ったのも自分であるし、それを忘れてのうのうと風呂場に入って行ったのも自分であった。


「すまん。考え事してて忘れてた。外で上がるの待ってるから! あと、何も見えてなかったから!」


 そう言って、レンは急いで脱衣所を出た。最後に付け足した方が逆に怪しかったなと思い返すが後の祭りだ。とりあえず、タオルだけ羽織ってエラが上がるのを待つ。しばらくの一人暮らしが祟った。

 

 レンは脱衣所の前で蹲りながら、何気なく、エラに刻まれていた魔術陣を思い出した。あれは、魔術円陣と呼ばれるタイプの魔術陣だ。あれは確か変身系の魔術だろうか。大きく荒々しい魔術陣が体に刻まれる程に強く描かれた経緯は気になる。

 それに、あの魔術陣は何かが引っかかる。その何かはわからないが、普通の魔術陣と一線を画すものがある様に感じた。だが、わざわざそれらを訊くのは野暮だろう。


 それよりも、当面の問題はエラの処遇だ。毎度毎度、今日の様な事をしていては、自分の鍛錬を積む時間など作れるはずもない。明日こそ、どれだけ目障りでも彼女の事には何も言わない。何もしない。無視を決め込んでやる。裸のまま座り込んでそう誓うのだった。



 エラが来て二週間経った。その間、エラはレンに付き纏って同じ様に素振りを続けた。

 初日よりいくらかマシにはなったが、それでも粗は目立つ。だが、それらをレンは鋼の心で無視し続けた。我ながらよく耐えた、とレンは自画自賛する。

 

 しかし、別問題発生。

 料理ができたのですっかり家事も得意なのだろうと決め込んでいたが、それが大きな間違いだった。

 剣を教えた次の日、彼女に近くの川で洗濯するように指示すると、泥まみれのエラが泥まみれの服を抱えて帰ってきた。なぜそうなったのかを聞けば、川で洗っていたらふと手を離して洗濯物が川を流れて行ってしまったそうだ。

 その次の日は部屋の掃除を任せると部屋が水浸しになっていた。なぜそうなったのかを聞けば、埃を被っていたから雑巾で拭いたのだと言っていた。まさか、ベッドのシーツまで雑巾で拭くとは思いもしていなかった。

 

 その都度、レンは洗濯し直しに行ったり、シーツを干しに行ったりと余計な時間を取られてしまう。今までのように一人でやろうにも洗濯も掃除も今までの倍である以上、時間も相応に掛かるだろう。

 これには流石のレンも懊悩した。

 師匠の仇をとる為に必要なピースである『腕』の入手の目処がようやく立ったというのに、新たな面倒事を抱えてしまった。放っておくには邪魔すぎるし、捨てるにも自分が弟子入りの許可を出しただけに気が引ける。

 この二週間ずっとどうしようかと考えてきたが、その末に一つの結論を導いた。

 

 彼女を放るにも捨てるにも憚れるなら、彼女の方から城を去ってもらおう。

 耐え難い苦悩と現実を突きつければ、ヴァンパイハンターになる夢も諦めるはずだ。彼女には悪いが、やはり『腕』を第一優先とすべき今、致し方ない。

 という訳で一計を案じた。


「今夜は街まで降りる。お前も付いてこい」


 夕食後、食器を片しに行こうとしたエラへ唐突に告げる。

 エラは疑問の表情を顔に浮かべたが、それ以上はせず、


「分かりました」


 そう頷いた。

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