第12話 試し切り

「一つ断っておくが、俺はお前に手取り足取り教えるつもりはない」

 

 武器庫を出るなり、彼は彼女にそう告げた。

「俺には俺の目的があるし、その為の鍛錬がある。本当は弟子なんか取っている余裕はないんだ。だが、まぁ、師としての役を引き受けてしまった以上、最低限の事はやらないとな」


 だから、と続ける。


「飯の後に一日一度だけ模擬戦をしてやる。そこからは自分で学べ」


 その言葉にエラは一瞬固まった。おずおずと怯えた言葉で聞き返す。


「模擬戦って、戦うって事ですか? この刀で?」

「それ以外に何がある?」


 そう言うと、彼は赫蕾を抜いた。

 静かに刀を構えるレン。雰囲気が変わったのが分かった。死線を潜り抜けてきたその吸血鬼の纏う空気はずしりと重い。

 対して、彼女が持つ刀には迷いがあった。


「待ってください。これって真剣ですよ。万が一の事があったらどうするんです?」


 その言葉にレンがハッと吐き捨てた。


「お前は実戦で敵と戦う時に木剣を使うのか? そんな生半可な覚悟で吸血鬼を狩ると抜かしてたのか?」

「でも、もし師匠に当たったら—」

「ほざけ」


 エラの言葉にレンは冷笑を湛える。


「お前は優しいなぁ。だが、余り舐めてくれるなよ。お前如きでは俺に刀傷の一つも与えられん」


 レンの紅い右目がエラを睨みつける。


「殺すつもりで来い」


 レンの低い威圧する様な声はその場の雰囲気を変えるのに効果的だった。戦場で流れる人を殺しあう時のような乾いた空気がエラの頬を撫でる。レンへの恐怖と少しばかりの苛立ちが彼女の頭を押さえつけ、自然と、柄を握る彼女の掌からは汗が吹き出ていた。


 滑りだしてしまいそうな刀を握りししめ、エラはよろめく様に一歩を踏み出した。

 そこからは先はあまり覚えていなかった。流れる様に二歩、三歩と続き、次第に大股になっていく。不安や憂慮の思いを咆哮でかき消し、刀を振り上げた。


 一方で、レンは愚直に向かってくる彼女に対して軽い絶望を感じていた。勿論、剣術の経験がないと聞いていた頃からある程度覚悟していたが、これはあまりに拙劣だった。

 まず、刀の握る部分が違う。左手と右手が逆だ。それに、彼女には小太刀が重いのか、頭の上まで振り上げた刀は芯が通っておらず、揺蕩している。


 レンは振り下ろされた刀を赫蕾で容易く受け止めた。彼女のその一撃はあまりに軽く、レンの刀を弾くには遠く及ばない。彼は攻撃を受け止めながら、エラの次の攻撃を注意深く観察していたが、彼女は無骨にもう一度刀を振りかぶるだけだった。

 あまりに酷い剣捌きにレンは失望を禁じ得ない。だが、彼女の剣筋が悪かろうとレンの知った事ではなかった。レンにとって鍛錬の邪魔さえしてくれなければ、それでいい。端から面倒など見る気はなかったのだから。

 レンはエラの二撃目も軽く受け止めると、三撃目も同じ様に再び振り上げるのを見て、刀が振り下ろされる直前、レンは半身を引いた。


 突如として、目標を失った刀は慣性に従われて空を切る。

 一瞬にして、無防備になった彼女の腹部にレンはすかさず膝を蹴り上げ、それは見事に深く突き刺った。あまりの強さにエラの体重を支えていた両足すらも浮かび上がり、彼女はくの字に折れ曲がって空を飛んでいた。

 エラは目に涙を湛えて、唾液混じりの嗚咽を漏らす。

 

 しかし、彼は無慈悲であった。振り上げた赫蕾の柄頭で宙を舞っているエラの背部を突いた。

 一転して、地に叩きに落とされたエラは、着地の衝撃で肺の空気は全て絞り出され、声にならない悲鳴を上げた。加え、レンの攻撃を点で受けた事で、殺傷性はないものの、激しく鋭い痛みが襲った。

 悶えて、地をのたうち回っている彼女を見下ろしながら、レンは言い放つ。


「明日もまたやってやろう。せめて、少しはマシになってる様に願うよ」


 レンは赫蕾を納めてその場を去ろうとした。エラはその背中に何も言わなかった。何も言えなかったのだ。

 痛みではなく、自分のその無力さに溺れそうだった。



 城の裏側、玄関口から城を大きく回り込む様にしてたどり着く事のできるそこはレンに取っての訓練場の様な場所だった。

 森の中にぽっかりとくり抜かれた様な半径数十メートルの更地になっている訓練場は、かつてはそこも木が生茂っていた。しかし、度重なる応用魔術の研究や新術の開発を彼が行なってきた事ですっかりと痩せ細ってしまったのだ。


 レンはいつもの位置で、いつもの様に赫蕾を抜き、いつもの様に素振りを始めた。彼にとっていつもどおりの日常。

 だが、今日は日常に異物がいた。レンの左後ろで、影に潜む様にして佇むエラは、レンと同じように素振りをしようと先程手に入れた刀を鞘から抜こうとしていた。


「何してる?」


 彼女の姿にレンは懐疑的な言葉を送った。

 エラはいきなり声を掛けられた事に対して、肩をビクッと震わせた。そう驚かなくても、レンには自分の後をつけていた事など気づいていたのだが。


「その……、何からやればいいのかわからないので、とりあえず師匠の真似をしてみようかと。……初めて会った時に見て学べと言っていたので」


 彼女の声は少し震えていた。レンとの先の戦いで完膚なきまでに敗北し、完全に恐怖を植え付けられていた。だが、それでも修練に励もうとする姿勢に彼は感銘した。


「勝手にしろ」


 レンはまた、素振りに戻った。

 エラはとりあえず刀を抜いて、上に振りかぶってみる。先程も重く感じたが、戦いの独特の雰囲気でいくらか緩和されていたのだと今になって知る。落ち着いて持ち上げると刀は相当に重量があった。

 なんとか、頭の上まで振り上げた刀を今度は振り下ろす。エラはレンの様に空中でピタッと止める、つもりだったのだが重力で加速のついた刀は彼女には止められない。剣先が地に刺さって、刀はようやく静止した。その様子はまるで薪割りの様である。


 レンは横目でエラの様子を見ていた。が、それでも無視を決め込んだ。

 ナハトによると『腕』が運び込まれるまで後二年。それまでに今よりももっと力をつけねばならない。故に、少女一人にかまけている暇はないのだ。

 エラは重い小太刀を引き続き、振り回す。ふらふらとよろけながら剣を振る様子はとても素振りとは言えない。


 レンは視界の端でチョロチョロと動き回る彼女の存在を徹底的に頭から排除しようとした。今は自分の鍛錬の方が大事だと、自分に言い聞かせる。それでも、彼女の下手くそな剣は否が応でも意識させられた。

 しばらくは我慢していた。だが、次第に苛立ちが募っていき、短気なレンにとって、それが爆発的するのは時間の問題だった。


「あぁ、くそ。イライラするなぁ」


 そう、吐き捨てると、レンは赫蕾を納めてエラに近づいた。

 彼の怒りに触れてしまったのかと、エラは身を縮こまらせ、小動物の様に恐怖に震える。先の暴力を思い出して、胃がキリキリと痛む。

 気がつけば、レンは背後に回り込んでいて、彼女は自然と目を瞑った。体を強張らせて、来たる叱責に備える。しかし、彼の口から出た言葉は彼女の予想を反していた。


「いいか、よく見てろ。右手がこの鍔の下、そして左手の小指が柄頭に掛からない程度に離して持つんだ」

「え?」


 彼はエラの背後から手を伸ばし、彼女の手を使って握る位置を教えた。


「それから、力を加えるのは薬指と小指だけだ。中指は程々に握って、親指と人差し指は 添えるぐらいで十分だ。それで、手首の力を抜いて、なるべく遊びができる様に」


 訳も分からず、ひとまずエラは彼の言葉通りに握ってみる。すると、先程までが嘘の様に、ふらついていた刀は途端に安定感が増した。


「良い感じだ」


 レンは称賛の声を上げた。それが、こそばゆい感じでエラは思わず身をよじる。


「ありがとうございます。でも、どうしてです? 一人でやれって」

「気になるんだよ。端っこで下手な素振りされると。やるなら、せめてもう少し上手くやってくれ」


 そう吐き捨てて、レンは今一度自分の素振りに戻った。

 エラも彼に言われた通りの握り方で再び剣を振り上げた。しかし、またしても振った時の刀の重さに彼女は耐えきれなかった。剣先が地中に埋まってしまう。

 その様子に思わずレンの青筋が立った。

 そして、諦念の大きな溜息を吐いた。


「あぁーもう。教えれば良いんだろ」


 もう諦めてレンは自分の刀を仕舞い、エラの前に座り込んでしまった。


「足は肩幅まで開く。重心は臍の下。それから、無理に早く振らずに初めはゆっくりやってみろ」

「は、はい」


 矢継ぎ早に飛んできたレンの言葉を噛みしめ、その言葉に従って振ってみる。結果は、ぎこちない様子だが、前までの様に剣先が埋まる事なく、なんとか素振りと呼べるものにはなっていた。


「まだ、振りすぎだ。なるべく最小限の力で」

「はい!」


 今度は刀をなるべく抑え気味に振る。


「違う、違う。振り上げが大きすぎる。もっとコンパクトに」

「はい!」


 その後もレンの叱咤の声が続いた。

 レンが基本の構えと振り方を教え終わった頃には、太陽はすっかり傾いて、すでに夕刻を迎えていた。

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