第11話 武器

 エラが重厚な玄関の扉を潜るとレンは噴水に腰掛けていた。最も噴水は今は活動を放棄していて、中心に立つ裸の女性の像は苔を纏って顔色が悪そうだ。本来、透き通った水が溜まるはずの場所には、重苦しい泥水が溜まっている。


「来い」


 エラの姿を確認したレンは腰を上げ、歩き出した。エラはぶっきらぼうな師匠の後を追いかける。道中、彼女は多くの物を目にした。

 上半身のない石像、雑草だらけの庭園、窓が割れた教会。城内の至るところから栄華の欠けらが感じ取れる。かつて、この城は貴族や領主、いや王族のものだったのかもしれない。いずれにしても、個人で持つには手に余りすぎる代物だ。


「この城に師匠は一人で住んでるんですか?」


 レンはエラの問いかけに対して、振り返る事なく答える。


「あぁ。前は師匠と二人で住んでたんだがな」

「師匠?」

「昔、俺にも師匠がいたんだ。だが、勝手にくたばっちまって、それからは一人だ」

「……師匠に師匠が」


 レンはそれ以上語ろうとはしなかった。

恐らく問い詰めても答えてはくれないだろう。彼の語る言葉は重苦しい切なさを孕んでいた。なので、エラは別の話題を振った。


「それにしても、立派なお城ですね」


 彼女は自分で呟いて、少し息が詰まった。喉に魚の小骨が突っ掛かる様に、『城』という単語が喉元で引っ掛かる。


「城を見るのは初めてか?」

「えぇ、家が無くなってからずっと路上で暮らしてましたから。……今日だってしばらくぶりに料理したんです」

「そうか。それにしては美味しかったぞ」


 レンは謝辞を述べて、胸に抱いた罪悪感をはぐらかした。自分の意思ではなかったとはいえ、豪華な城で悠々と暮らしていたのだ。

 路上暮らしを余儀なくされていた子供に見せるには少々嫌味が過ぎるのではないか。


 若干の気まずさを胸に抱えていると、エラもそれに気付き、尚二人の間に気まずい空気が流れた。

 それを埋めるようにエラは口を開く。


「えっと、この城って結構大きいですよね。それにしては町からは何も見えなかったんですけど、どんからくりなんです?」


 レンはまたしても振り返らずに答える。


「城に結界が張ってある。認識妨害や人払い、吸血鬼払いの類の結界がな。師匠が腕の立つ結界術師にこの城全体を覆える程の結界を張らせたらしい。民間人にはただ山があるようにしか見えないし、敷地内に入ろうとしても相手にとって都合のいい記憶が宛てがわれて自然とこの場へ踏み入れない様になっている」

「でも、私は普通に城に入れましたけど」

「それは俺の後をついて来たからだろ。この結界の対象外である俺に連れられ、この城を認識した時点で、お前に対する結界の効果は無力化されている。今のお前は例え結界外に出ても、この城を認識出来ない事はないはずだ」

「なんだか、難しいですね」

「まぁ、深層心理に対する魔術はややこしいんだ。いつか、勉強してみるといい。……とりあえず、おしゃべりは終わりだ」


 レンがエラに首だけで振り返った。


「着いたぞ」



 玄関口からさほど遠くない位置にそれはあった。

 煉瓦の屋根と重量感のある両開きのドアを持った石造りの小屋は他と比べると少し大きいが、正直、似た様なものがありすぎて、エラには違いが皆目分からなかった。


「これは一体なんですか?」

「武器庫だ」


 淡白に告げると、レンはドアに手を掛けた。両開きのドアはかんぬきを設置する為の金具こそあったが、そこに肝心のかんぬきはない。レンは錠など気にする事なく、武器庫の扉を開け放った。埃っぽい空気が一気に二人の肺に潜り込んでくる。

 そこにあったのはやはり武器だった。だが、それらの武器は言い知れぬ神秘感の様なものを纏っていた。妖艶とも言えるし、不祥とも言える。


「これは?」


 エラが尋ねると、レンは答えた。


「術式を刻む前の不完全な魔道具だ。自分の魔力を流しやすい構造になってはいるが、魔道具と違って魔術は発動しない。だが、中途半端に小手先の武器を使うよりこういう奴らの方がお前みたいなのには扱いやすいし、魔力を流せば強度も硬度も上がって吸血鬼の肉も削げる様になる」

「へぇ」


 エラは感嘆の声を漏らす。詳しい説明は理解出来なかったが、何やら凄そうだという事は理解できた。


「ここあるものは全て師匠が古今東西、いろんなところからから集めて来たものだ。この中からお前が欲しいものをくれてやる」

「え? いいんですか?」

「俺にはこれがあれば必要ないからな」


 そう言って、レンは腰に差した二本の刀の内の一本を引き抜いた。それは鍔がなく、鞘も柄も木で出来た飾り気のない刀だった。


「それも魔力の流れる刀なんですか?」

「いや、これは魂器——」

 

 反射的に言ってしまったレンはしまったとばかりにすぐ口を噤んだ。


「魂器?」


 またしても出てきた知らない言葉に彼女は首を傾げる。


「魂器っていうのは、……いや、その話はまた今度だ」


 レンは言葉を濁した。どこかその奥に深い海の底のような闇を感じる。

 雰囲気を変える様にレンは抜いた刀をエラに見せびらかした。


「とにかく、こいつは魔道具の上位互換と言えるものだ。名を赫蕾。切った相手の血と痛み、負の感情を吸収し、敵に痛みを与える事なく斬る妖刀。加えて、血から鉄分を抽出する刃こぼれ知らずの一品だ」


 レンは高々と自慢する。赫蕾の刃文は妖しいてかりを返している。彼女はその魂器の説明を聞きながら、彼がもう一本刀を差しているのを見つけた。


「そっちはなんですか?」

「ん? これか?」


 レンは刀を納めながら、腰に差したもう片方の刀に視線を落とした。豪華な装飾が柄や鍔などに対してふんだんに使われている。鞘に織り込まれて光っているのは宝石だろうか。何にせよ赫蕾とはえらい違いだ。

 その刀をレンは少し寂しい目つきで見つめる。


「これは師匠が生前に使ってた、いわゆる形見って奴だ。これも相当な業物らしいが、どうにも使う気になれなくてな。かと言って捨てるのも忍びないし、武器庫で埃を被せるのも勿体ないからこうして持ち歩いてる。まぁ、お守りってとこかな」


 レンはそう呟いた。エラは彼の言葉を聞く内、余り不用意に聞いてはいけない事だったのかとも思ったが、存外彼自身が気にしていない様子だったので安心した。

 それから、レンは静かに息を吐きながら目の前に横たわる武具たちを眺める。そして、言った。


「さぁ、どれを選ぶ?」


 その言葉に釣られて彼女も武器の方を見遣る。

槍に斧がくっついた様な形のハルバード。細身の刀身で鋭い切っ先を持ったレイピア。炎を模した波打つ刃が美しいフランベルジュ。多様な武器種が揃っている。


「どれって言っても……」


 彼女はそれらを眺めていくが、そもそも今まで武器を握った経験がない。良し悪しなんてわかるはずがなかった。

 だが、一つ。一つだけ彼女の目に止まったものがあった。

 

 木製の鞘と菱形に糸が巻かれた柄。それは緩やかに反った形で最低限の装飾がなされているもののレンの持つ赫蕾に似たフォルムだ。

 だが、彼の持つ刀よりは一回り小さい作りで、ナイフの延長線上、という感想を持った。

 その武具にエラは魅せられた。自分を呼んでいる。そんな気がした。


「小太刀か。まぁ、悪くないんじゃないか。扱いもそう難しくないし」


 レンは彼女の視線から察してそう言った。

 エラはそっとその小太刀へ手を伸ばす。鞘に塗られた漆の柔らかな感触が掌を通じて伝わって来る。


「抜いてみてもいいですか?」

「勿論」


 その答えを聞き、エラは刀を鞘から引き抜いた。刀身にはまるで大海の荒れ狂う波の様な刃文が浮かんでいる。禍々しいといえばそうだが、その奥には儚げな美しさが隠れている気がした


「魔力の流し方は分かるか?」

「えぇ、何となく。父親がジャミング系の軍用魔術研究をしていたので。最も、私は簡単な治癒魔術しか使えませんが」


 だが、魔力を流すだけなら簡単だ。

 集中して、目を閉じる。息を整える。体に流れる見えない力を一つに練り上げ、掌へゆっくりと向かわせていく。仄かな熱を帯び始める。

 その熱は増し、火傷のような痛みを感じ始めた時、刀の奥で何かが蠢くのを感じた。魔力に反応したのだ。


「上出来だ」

 

 その声に彼女は再び目を開けた。

 だが、刀に別段と変わった様子はない。本当に強化されているんだろうかと訝しむ彼女の頭をレンが小突いた。そして、言う。


「ほら、さっさと外に出るぞ」


 彼は少しにやつきながら、言葉を紡ぐ。


「試し切りだ」

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