第10話 うまい飯

「師匠、師匠起きてください」


 とある山の上に一つ古城がある。

 大ききな石積みの城壁、凝った彫刻が施された門、そしてそびえ立ついくつもの塔。朝日を受けた城は荘厳にして立派な面構えである。

 だが、その城を整備する者がおらず、今では至るところから蔓が巻きついていた。それでもなお、静謐を保つ城は森の中で静かに眠っている。

 

 その城の数多ある居館のうち、二番目に広い(とはいえ十分過ぎる程の広さを持つ)寝室にレンと少女がいた。

 レンは一人で寝るには随分と大きい天蓋付きのベットに体を埋めていて、身を乗り出す様にして少女は彼の体を揺すっていた。


「まだ、朝だろ。もう少し寝かせろ」

「朝だから起きるんですよ。ほら早く」


 少女はレンが包まっていた布団を剥ぎ取った。

 眼を擦るレンはうっすらと開けた視界の中にレンのシャツを着た少女の姿を確認した。丸い碧眼が彼を覗き込んでいる。少女の太陽のような金色の長髪が耳の後ろからレンの顔に垂れかかっていた。


「誰だお前」

「誰とは何ですか。昨日の朝に私の事を弟子にとってくれたじゃないですか。もしかして忘れたんですか?」


 弟子と名乗る少女はレンの顔を覗き込んでそう言った。

 彼は少女の事を思い出そうと記憶を遡った。確かに、吸血鬼から一人の少女を救ったような気がする。だが、靄がかかった記憶の奥底にそれがあるだけで、しっかりとは覚えていない。


「確かにそんな事を言った気もするが、あの日は何せ酔っていたからな。正直あんまり覚えていない」

「もう、しっかりしてください」


 少女から叱責の声が飛んできた。そこで、レンは先の少女の言葉が引っかかった。


「そういえば、昨日の朝と言ったな。なら、あれから俺は一日寝ていたというのか?」

「そうですよ。ここに帰ったきりそのまま寝てしまって。それから、あんまりにも寝続けるものですから、もう死んでしまったかと思いました」


 そんなに寝ていたのか。

 レンは半身を起こして首を鳴らす。それから頭を掻いた。


「朝ごはん作ったんで、冷める前に早く来てくださいね」


 少女はそれだけ言うと、レンの部屋を後にした。

 レンは少女にキッチンもダイニングも案内した覚えはなかったが、昨日の内に城の中を見て回ったんだろう。少女の足音は真っ直ぐダイニングの方へ向かっていった。



 城の中のダイニングには、一度に十数人は座れる程の長机が存在する。

 いつもは、料理など並べられる事のない長机だが、今日は二人分の料理が向かい合う様に並べられ、一方に少女が座っていた。

 着替えを済ませ、遅れて広間にやって来たレンはそこに用意された料理に驚嘆した。


「これ、全部お前が作ったのか?」


 長机に並べられた皿には肉厚なステーキが乗せられたいた。それに添えられるように細やかなサラダが付け合わされている。

 グラスには水が注がれ、銀製のカトラリーが料理を囲う。まともな料理をした事のないレンには天地がひっくり返っても創造できない代物だ。


「えぇ、ありあわせですが。肉は食料庫から、野菜は山の中から食べられるものを見繕ってきました」


 少女は既に席に着いていて、レンの到着を待っていたようだった。

 彼女はレンに対して、どうぞと目配せした。それに従ってレンも席に着く。改めて近くで見てみると料理はかなりの出来だった。これが毎日食べられるのなら弟子も悪くないかもしれない。


「うん。うまい」

「朝からステーキはどうかと思ったのですが、食料庫に猪の頭と燻製にされた大量の肉がある以外は全部腐っていて、これしか作れなかったんで。——一体師匠は普段どんな食生活を送ってるんですか?」


 少し呆れ気味に少女がレンに問いかける。

 吸血鬼は雑菌如きで腹は下さないから山の動物を赤身のまま食べている、とは言えない。少女の前ではレンは吸血鬼ではなく、凄腕のヴァンパイアハンターなのだ。


「まぁ、適当にそこらの山の中で採ったものを食ってる」

「流石、師匠。自給自足なんですね」


 少女は目を輝かせていた。きっと少女の思う自給自足では決してないが、嘘はついてないのでいいだろう。

 レンは銀のナイフとフォークで丁寧にステーキを切り取って口に運んだ。肉は見た目の期待に裏切らず、美味だった。臭みもなく、筋もほとんど感じられない。


 確か、食料庫に運び入れたものは、一昨日、レンが食べ切れなくて腐らないように燻製にしたものだったと記憶している。上質ではないし、ましてや新鮮でもない。さらに、燻製にして一度水分を飛ばした筈だが、どうしてこんなに肉汁が溢れるのか不思議でならなかった。

 サラダも癖なく食べられる。塩胡椒で味がそつなくまとめられていた。


「サラダにかけるものは少し迷ったんです。キッチンにドレッシングがあったんですけど、あまりにも人間が食べられる色をしてなかったんで。渋々、塩胡椒で味付けを」


 と、少女が述べた。


「なら、正解だ。ここにある調味料と食料のほとんどが俺の前の前の持ち主からのものだからな。ざっと数百年ってとこか。腐ってるなんてもんじゃない。初日から便所にこもりたくはないだろう?」

「なるほど。師匠はキッチンに毒を置いておく趣味がおありなんですね」

「まぁな」


 適当に答えながら、レンはグラスの水を啜った。

 少女の方を見遣ると、彼女はようやく食事に手を付け始めていた。どうやら、レンが食べ始めるのを待っていたらしい。そういうところは律儀だ。


「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」

「エラ・フリーダ・フォーゲル。エラで結構です」

「そうか。じゃあ、出身は?」

「ドイツ東部です」

「家族は?」


 その時、エラが口に含んだ水をゆっくりと飲んだのが分かった。


「両親がいましたが、死にました。敗戦直後に吸血鬼に襲われて」


 レンは少しの間、息が詰まった。エラとの初対面は裏路地で襲われていたところだ。少し考えれば、身寄りがない事は容易に分かった事だろうに。迂闊だった。

 レンは違う話題を模索する。


「えーと、お前はヴァンパイアハンターになりたいと言っていたな。剣術や武術、魔術の経験は?」

「魔術は少し、あとはからっきしです」

「そうか」


 喋りながらもレンは肉を口に運んでいく。

 酒を交えず、素面でこんなに話しながら食事をしたのは随分と久しく思えた。それこそ、かつての師匠との修行の時以来ではないだろうか。


 肉、野菜、水とリズムよく料理を食べ、最後の肉の欠けらを口に放り込むと、レンはナフキンで口を拭きながら立ち上がった。

 久々の朝食は心地良かった。その礼という訳ではないが、弟子を取ってしまったからにはあれを渡さなければならないだろう。


「食い終わったら外に来い。見せたいものがある」


 そういうとレンは玄関口に向かって行った。

 まだ、食事の途中だったエラは慌ててステーキと野菜を水で流し込んで、レンの後を追った。

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