第9話 来訪者
レンたちが立ち去った裏路地。そこをよく見渡せる民家の屋根に二人の影があった。
一人は神父風の男だ。幾つもの十字架を連ねたものを首に掛け、立襟の黒いカソックを身に纏う。
もう一人は 赤毛の長髪の女で上下のスーツできちんと身なりを整えている。黒縁の眼鏡の奥の瞳はもう一人の男を見上げていた。
男は認識妨害の結界を解きながら、路地に横たわる死体の群を眺めていた。
「どうしますか? 第五真祖様」
女は何も知らずに路地へと足を運ぶ民間人へ気を遣りながら男に尋ねる。
「別にどうもしないよ。彼らが見つかったところで特に害もないだろう」
しかし、と彼は続ける。
「ここに来た意味はなかったな。彼ならもう『あれ』を発現していると思っていたんだけど。……私たちの存在にも気づいていない様子だったしね」
肩透かしだったと、男は残念そうに言葉を溢した。
それから、静かに女の肩に手を乗せる。
「戻りますか?」
女はその仕草で男が何を望んでいるかを瞬時に理解する。
「あぁ」
その言葉と共に、女は目を瞑る。すると、次第に足元が光出し、奇怪な魔法陣が浮かび上がってきた。それはどんどんと発光していき、やがて光で二人の姿が見えなくなると、ふと朝の微風が吹いた。
天籟が耳につく。その風にかき消される様にして光は一瞬の後に消え去ったが、そこには既に男たちの姿はなかった。
あるのは血生臭い諍いの残り香のみだった。
レンと別れたナハトは先程は酔いを覚ますと言っていたのに、自宅から開けてないビール瓶を取り出して来ていて、一人で飲み直していた。
夜中のレンとの会話を思い出し、少し考え事をしたい気分になったのだ。第三真祖、復讐、ナハトはレンの事情を大方知っているつもりだ。知っているからこそ、そろそろ覚悟を決めねばならないのかもしれない。
思わず瓶を握る力が強くなった。
ラッパ飲みで残り僅かだったビールを力強く飲み干し、考えを切り上げた。今、ぼんやり考えていても埒は開かない。空になったビール瓶を抱え、そろそろ家で寝ようかと腰を持ち上げた。
家の方へ体を向けながら鍵なんて掛けていない玄関のドアノブを握る。そして、それを回そうとしたその時、後ろから声を掛けられた。
「お前はナハトか?」
咄嗟に振り向いたナハトは絶句する。
目の前には浮世離れしたゴスロリチックなドレスの少女がそこに居た。格好もそうだが、それ以上の衝撃に彼は絶句せざるを得なかった。
なぜなら、ビールを飲んでいたその時には見える限りの視界にこんな少女など居なかったのだ。酔いで朧げな視界だったが、ここまで目立つ少女がいれば見逃すはずもないだろう。つまり、家へ戻ろうと背を向けたその一瞬にここまで距離を縮めたという事だ。
「誰だい? お嬢ちゃん?」
ナハトはいつも女性に対して使う優しい甘ったるい口調でそう言った。だが、意図せずとも声音には警戒心が宿っている。
「誰? 誰とは心外だなぁ。お前は自分が殺そうとした相手も忘れるのか」
嘲る様に少女はナハトを詰る。
その言葉にナハトは皺を寄せた。彼にはこんな少女の記憶など存在しない。
「誰なんだ、お前は?」
語気を強めて再び問い直した。
「そんなに訊きたいか? なら特別に教えてやろう」
少女の口調は堂々としていて、少し男勝りなところがある。彼女は腰に手を当て、鼻息を荒く吐いた。
「私の名は—」
その時、晨風が二人に吹き付けた。
少女の言葉の先はナハトにとって落雷に直撃したかの様な衝撃をもって迎えられる。と、共に彼女に対する警戒をより強いものにした。自然と、手は腰に差したクレイモアへと伸びる。
だが、少女の眼の前で重力を無視して石が浮遊しているのを確認したナハトは本能的な危機を悟り、抜刀を諦めて咄嗟に回避行動をとった。
案の定、石はナハトが元居た空間を裂断し、玄関の扉を貫いた。少女の攻撃を辛うじて避けたナハトは慌ててバックステップで距離を取る。
少女は初撃を躱された事に関してはどうも思っていないのか、ゆっくりとナハトの逃げた方向へ頭だけで振り返った。少女の足元で新しい石が浮かび上がり、再びナハトへ狙いがつけられる。
これに対し、ナハトは片膝を突き地面に手を触れた。その途端、彼の前に巨大な氷壁が出現した。空気を多分に含み、あまり透明ではないが、ゆうに五メートルは超えそうな障壁である。これを生み出し、少女の追撃に備えた。
少女の方はナハトの生んだ氷塊に構う事なく、石を射出した。石は氷の壁など楽々破壊し、ナハトへと遅い掛かる、はずだったのだが、氷の向こうにナハトの姿はなかった。
突如としたナハトの消失に少女の表情は驚きではなく、感心した様子だった。
「上手いな」
焦りを見せることもなく、ただただ舌を巻いた。
「氷はデコイ。わざわざ純度の低い氷で視界を奪ったか」
少女は辺りを見回してみたが、ナハトの姿はどこにも見当たらない。
一方でナハトは少女の真上に居た。クレイモアを鞘から抜き、立ち尽くす少女の右肩に狙いを付けた。利き腕を奪い、着地と共に両足を切断、最短ルートで身動きを奪う算段だ。
上空でクレイモアを振り上げ、少女目掛けて振り下ろす。だが、それが右肩へと届く事はなかった。
振り下ろされたクレイモアの刃先を少女はそのまま握りしめ、止めた。その間、少女は一度だってナハトへ視線を遣る事はなかったのに、だ。
少女の掌が薄く切れるが、そんな事は気にしていない様子だった。
「だが、まだまだだな」
少女は掴んだクレイモアをナハトごと横方向へ振った。その勢いは凄まじく、あまりの力にナハトは柄を離してしまい、石畳の上を滑っていった。
吹き飛ばされたナハトは即座に反撃を取ろうと地面に手を突く。だが、行動を起こす前に少女はナハトの前まで距離を詰めていて、奪い取ったクレイモアをナハトへと向けていた。切っ先はきちんと心臓を捉えている。
ナハトは頭を横へ振ると、両手を上に挙げた。
「降参だ。この脳筋め」
「褒め言葉として受け取っておこう」
ナハトは少女を睨み上げた。
「僕を殺す気ですか?」
その言葉に少女は些か呆気に取られたが、すぐに言葉を継いだ。
「お前を殺す理由は、……まぁあるにはあるが、私は細かい事は気にしない質でね。それよりもだな—」
少女は待っているクレイモアを投げ、半回転させる。刃先を指先で握り、柄をナハトへ向けた。
「私に協力しろ、ナハト」
呆然とするナハトに少女は続ける。
「私の目的とお前の目的は概ね同じだ。ならば、協力すれば捗るだろう? 幸い、お前の腕はまだ鈍っていないらしいからな」
少女の言葉にナハトは首を傾げた。
「僕の目的?」
「とぼけるなよ。自分のやった事への蹴りをつけるんだろう? 悪い話ではないはずだ。私が協力してやるってんだから」
ナハトはそこで悩んでいた事を思い出した。
自分が起こした事の顛末の責任は取りたい。だがしかし、到底、ナハト一人で行える所業ではなく、半ば諦め掛けていた。諦念に潰されそうになっていた。しかし、この人とならあるいはそれが可能かもしれない。
勿論二人でも、どうこうするにはあまりに大きく無謀過ぎる目的だが、ここで彼女の手を取らなければもう二度と立ち向かえなくなる気がした。もう、二度と剣を取れなくなる気がした。
ならば、彼に選択の余地はなかった。ナハトは深く息を吐き、決心する。
「分かりましたよ。ていうか、僕が協力する側じゃありませんでしたっけ?」
悪態をつきながらも、ナハトは少女から差し出されたクレイモアを受け取った。それを静かに鞘に収め、彼はゆっくりと立ち上がった。
「それで? 何から始めるんです?」
ナハトの問いに少女は唸った。
「うーん。そうだな」
少女はしばらく黙り込んでいたが、やがて徐に口を開いた。
「それじゃあまずシャワーを貸せ。ここ数日まともに体を洗っていなくてな。気持ち悪くて敵わん」
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