第6話 酔いすぎだ

 暗い夜道を一人歩くレンは残り僅かになっていたワインのボトルを傾けて、一気に飲み干した。それから、空になったボトルを適当な道端に捨てた。

 ふと、今夜のモーントであった出来事を思い出し、気になって右の肩口を触ってみた。

 あの後に血入りのワインを飲んだ事もあって、ルーチェの男に打ち抜かれた傷痕はものの見事に塞がっていた。他の傷痕も何事もなかったように肌白い皮膚を覗かせる。

 

 だが、それよりもレンはコートの方が気になっていた。

 銃弾が貫いたコートは焼け焦げたような黒い縁を作ってぽっかりと丸い穴が空いている。おまけに今日はナハトの吐瀉物も被っていた。下に着ていたシャツとズボンと合わせてこのコートは廃棄になるだろう。なかなか気に入っていたのだが。


「全く今日は不運だったな」


 誰にも聞かれぬ独り言をそっと呟いた。

 そこで、レンはナハトの殺してしまえばよかったのに、という言葉を思い出した。

 あの場ではカッコつけて面倒だから、と言ってみたものの、実際、あの場で殺しはしたくなかった。もし仮に彼らが事前にあのバーへ訪れる事を誰かに伝えていたとしたら。

 確実にレンやナハトが疑われていただろう。嘘をつくにしても、あの場にはモーントもいた。ルーチェの連中なら犯人捜しの為にモーントまで拷問しかねない。くだらない私情でレンは彼に面倒を掛けたくはなかった。

 

 だが、仕方がないと割り切っていても、事実レンは内心相当苛ついていた。足元にあった手頃な石を蹴っ飛ばす。こういう日はさっさと家に帰ってベッドに体を埋めるのが一番と昔から決まっている。だから、彼は帰宅への途を急いた。

 その時、聞き覚えのある声を聞いた。裏路地から響くそれは暗い邪気を持っている。レンは反射的に足を止めた。


「こんな時間に一人で散歩とは感心しないなぁ、嬢ちゃん」


 悪い予感を抱えながら路地を覗くと、案の定そこにいたのはバーでレンたちと諍いを起こしたルーチェの男達だった。嘲る様な笑みを湛えながら、どす黒く卑しい感情を顔に浮かべている。

 

 しかし、先程と違うのは、そこには彼ら以外にもう一人、人間の少女の姿があった事だ。

 背丈は低く、薄汚いほつれたワンピースを着ている事から恐らくはストリートチルドレン。月明かりがほとんど差さない路地故にレンからは顔をあまり確認出来かったが、燃えるように煌く金髪とくりくりとした丸い碧眼だけは分かった。


「離して!」


 男に掴まれた枝のように細い腕を懸命に振り解こうとする少女。だが、男は腕にがっちりと指を食い込ませていてどんなに抵抗してもビクリともしない。


「この女どうするんです? 兄貴」

「血抜いてミイラにします?」


 腰巾着の男二人がリーダーの男に問う。


「まぁそう慌てるな、血を吸う前に女でしか出来ない遊びもあるだろう?」


 男が肩からぶら下がったワンピースに手を掛けた。


「なぁ、嬢ちゃん」


 にたにたと三日月のように口角を上げて気味悪く笑う男を前にして、少女は後退りしする。その顔を絶望の色に染めた。


「嫌……」


 絞り出すように出たか細い声はもう誰の耳にも届いていない。

 一連のやり取りを眺めていたレンは少女が辿るであろう結末を容易に想像出来た。だが、彼女が慰められる未来が見えていても、レンはその場を後にしようとした。この街ではこんな事日常茶飯事だ。それに、レンにはあの少女を助ける理由も義理もない。

 

 だが、運命はそれを許さなかった。

 去ろうと足を再び動かすレンは横目で彼女を見遣る。その時、その目を大海のように美しい碧眼が捉えた。それは丸く大きく広げられ、光を失っていた目に希望の火が灯る。暗い絶望の中で一筋の光を見つけた少女は藁にもすがる気持ちでレンを見つめた。


「……た…けて」


 少女は最後の力を振り絞って助けを乞うた。その重く切ない少女の声にレンは一歩たじろいだ。

 その間に、ルーチェの男は少女の声の先を追ってレンを見つけてしまった。一瞬驚いた表情を浮かべたが、直ぐにまた気色悪い笑みに戻った。


「これはさっきのバーの男じゃないか」


ルーチェの男に見つかったレンはガシガシと頭を掻いた。


「本当に今日は不運だな」


 レンは小さく溜め息をついた。

 男はそれから大きく嘲笑い、


「嬢ちゃん、本気でこんな男を頼る気かい? やめときな。この男は俺達に尻尾振って逃げ帰るようなとんだ腑抜けだぜ」


 だが、少女は男の言葉など聞いていなかった。ただ、レンの事を信じ切った瞳で助けを求める。普段なら関わらないはずなのに、今日はなぜだか心臓が大きく脈打って鎮まらない。

 お前を信じている少女を見殺しにするのかと罪悪感が頭を揺らしている。レンの目を捉えて離さない碧眼にまた溜め息を吐いた。

 

 それには諦念が含まれていた。

 この時にはもうナハトの忠告は頭の隅にも残っていなかった。


「まったく、人の事言えないな」


 独り言のように呟く。


「俺も大概に酔いすぎだ」

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