第5話 硝煙

「待て!」


 ルーチェの男が声を震わして言う。

 握りしめていたのはリボルバーだ。しかし、さっきと違うのは銃口から煙が上がっている点。そして、きつい火薬の匂いが場を支配している点。

 男は茹で蛸の様に顔を真っ赤にしていた。それから、震えた手つきのまま男は感情に任せてまたも引き金を引いた。


 鉛玉が左腿を裂く。ぶちぶちと耳に心地悪い音を撒いて、床に吸い込まれていった。

 右膝、脇腹、左腕、右の掌、右脚の付け根、とわざと心臓を外して狙いをつけているのだと気づく頃にはレンの体は文字通り蜂の巣の如く幾つもの風穴が開けられた。レンは膝をつく。


「お前ら、俺たちを誰だと思っている。ルーチェだぞ! 雑魚が一丁前に誰の首を狙ってやがる!」


 男は弾倉を交換すると、今度はナハトを狙い撃ちにした。いくつもの薬莢を撒いて、弾倉を空にすると、ナハトは血を吹き出して、倒れた。ナハトも心臓は撃ち抜かれてはいなかったが、見ているだけで痛々しい。

 男はカチカチと空になった薬室に何度も撃鉄を下ろし、弾切れと悟ると、弾倉を替えるのも億劫なのか、今度は蹴りが飛んできた。


 床に押し倒されたレンは特に抵抗することもなく、なすがままに暴力を受け入れた。男は無抵抗のレンをただひたすらに蹴り続けた。ご丁寧にも傷口を抉るように。隣では、ナハトも男と一緒にいた腰巾着の男二人に同じように蹴られていた。無表情で無抵抗にただ蹴られ続けた。

 どれくらいの時が経ったか。幾らやっても無反応な彼らを見て面白くなくなったのか、大きく振りかぶった右足をレンの鳩尾に捻じ込むと、それきり蹴りは止まった。


「失せろ、雑魚ども」


 それに呼応するように、隣でナハトを蹴っていた男達も止めて、三人はさっきまでレンとナハトが座っていたカウンターに腰を下ろす。そして、悪びれもなくモーントにワインを要求していた。

 モーントは対応を決めかねていたが、彼らの後ろでレンが起き上がり、「俺達は大丈夫だから」と告げると、渋々男達にワインを提供した。

 立ち上がったレンはナハトに手を伸ばし、


「悪いな」


 と、謝った。それは、レンには問題を起こしたくない理由があったが、ナハトもその都合に合わせてくれた事に対する感謝が含まれていた。

 レンの手を取り、ナハトも立ち上がった。立ち上がりながら、彼はレンの謝罪に対して首を振る。


「構わないよ、僕はね。けど、君は良かったのかい。殺して死体を隠してしまえば済む話だったんじゃないの?」


 その言葉に、男の眉が少し引くついたが、先程の乱闘騒ぎで疲れたのか、特に何もしてこなかった。

 レンはナハトの問いには答えず、モーントの方へ振り返った。


「さっきの釣りの範囲でいい。安酒を二つ寄越してくれないか」

「え? あぁ、はい」


 モーントはカウンターに二本のワインを置いた。

 心配そうな表情を浮かべるモーントに、また今度、ゆっくり来るからと、レンが告げると、少し顔を緩めて、


「いつでもお待ちしております」


 と、頭を下げた。

 レンはカウンターに置かれたワインを指に挟んで器用に持ち上げると、一本をナハトに放った。


「ほら、受け取れ」


 彼が片手で受け取ったのを見届けると、レンは雑にコルクを引き抜く。それから、ボトルにそのまま口をつけて体に血とワインを満たした。レンが外に向かって歩き出すと、ナハトもそれに続いた。


「お前、殺し苦手だろ?」


 レンは唐突に呟く。最初、ナハトは何の事か分からない様子だったが、先の問いの答えだと思い至ると、ナハトは茶化すように微笑んだ。


「まさか、僕の為?」

「まぁ、それだけじゃないがな」


 歩を止め、男達の方へ首だけ振り向く。


「こんな奴ら、殺して埋めるのも面倒だろう?」


 一瞬の沈黙が訪れる。その沈黙を破ったのはナハトだった。レンの言葉に思わず吹き出していた。


「確かに。違いないや」


 腹を抱えて笑うナハトに対して、激昂してるのはカウンターに着いていた男たちだった。


「貴様ら! どこまで馬鹿にすれば……」


 男は怒りに任せて振り向きざまに近くにあったワインのボトルを投げつけようとした。だが、直後に言葉を失った。


「どこ…行った……」


 振り返った先には誰もいなかった。あるのは四角く切り取られた入り口だけ。

 男は慌てて外へ出るが、そこにはただただ底の無い闇が延々と広がっていた。夜風が虚しく男の顔の辺りを攫って行った。



「悪いね、家まで送ってもらちゃって」


 ナハトが家(というには爆撃であまりにも原型を留めていないが)の前の石畳に直接座り込んで、告げる。時折、ナハトが道端に座り込んで動かなくなるせいで、モーントでの騒ぎがらもう随分と時間が経ってしまっている。


「僕はもう少しここにいるよ。ちょっと気持ち悪くてね。外の空気を吸いたい気分だ」

「酔いすぎだ、お前は。そもそも外っていったってお前の家の中だってほとんど外みたいなもんじゃねぇか」


 とろんとした顔のナハトが少し微笑む。


「辛辣な事いってくれるねぇ。何も好きでこんな……」


 と、いきなり言葉を切って口を押さえ出したナハトを見て、レンはすかさず思い切り左頬を蹴った。


「うっ」


 ナハトの首が九十度に右に曲がり、それと同時に噴水のように胃の内容物を盛大に吐き散らした。口の周りに残ったものは袖で雑に拭っていた。


「こっちに向かって吐くんじゃねぇ。帰ってくる時も俺のコートに思いっきり吐瀉物ぶっ掛けてくれやがって」


 レンのコートの足先の方から妙に酸っぱい匂いがするのをナハトは嗅ぎ取った。


「次、俺に掛けたら二度と俺の前で酒飲ませねぇからな」

「悪かったよ。悪かったから僕の家でもう一杯飲んでいかない? 家に数本飲んでないのがあるからさ。なんと今ならワインだけじゃなくてビールも飲めるよ」

「……お前、反省してないだろ。さっき外の空気吸いたいって言ってたばかりじゃねぇか」

「いいからいいから」


 ナハトは手を招く。

 レンはナハトの誘いに乗る事なく、ぼんやり東の空を眺めた。


「それに、もうじき夜明けだ。さっさと寝ろ」

「えぇー、いいじゃん。僕も君も日光で灰になるような低級の吸血鬼じゃないでしょうに」

「そういう問題じゃない。ただ、日が出てると気乗りしないんだ」


 まぁまぁ、そう言わずに、としつこく飲みに誘うナハトだったが、レンはさっさとナハトに背を向けて、自宅へ向かって歩き出した。


「まぁ、また飲みたくなったらうちまで来い。お前だったら時間を作ってやらんこともない」


 振り向きもせず、レンはナハトに手を振った。膨れっ面のナハトだったが、一応納得したのか、もう駄々を捏ねる事はなかった。

 レンの背中を見送るナハトはそこでふと何か思い出したように、


「あ、そうだ。くれぐれも気をつけるんだよ」

「何にだ?」


 レンは歩を止める。


「君が今から敵に回そうとしているのは真相だ。一筋縄でいくような相手じゃない。だから、下手しても厄介事には首を突っ込むなよ」


ナハトは低い声で言った。


「それはいつか君の足元を掬うことになる」


 さっきまで酔っ払っていたナハトから存外まともな言葉が出た事にレンは少々面食らったが、


「あぁ、肝に銘じておく」


 と、それだけ残して、そのまま去って行った。

 ナハトは未だレンのことが気掛かりだったが、それは腹からじっくりと蝕むように湧き上がる不快感に押しつぶされて、消えてしまった。

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