第3話 ルーチェ

 モーントはレンとナハトにもワインを注ぎ、彼らのグラスには仄かな赤紫が映された。そして、彼らは乾杯する。繊細な舌触りだった。どことなく甘味も感じる。


 横のナハトも感心した様に頷きながら、継がれたワインを吟味する。彼も今までのワインとは何か違うものを感じ取っていた。

 そこで、ふとレンは思い出したようにナハトに問う。


「そういえば今日はお前が呼び出したんだよな。一体何の用だったんだ?」


 その言葉にナハトの表情が少しばかり強張る。口角を上げて笑みこを浮かべているが、それが段々と渇いたものに変わっていく。


「用がなきゃ呼び出しちゃいけないのかい」

「いや、別にそんな事はないが」


 ナハトが二杯目を注ぐ。


「まぁ、でも、伝えておこうと思っていた事はある」


 ナハトは少し間を置いた。焦点を合わさず、ぼんやりとバーの木目を眺める。この先を言うべきか迷っている様子だ。レンは先を促す事はせず、彼もまた遠くを眺めていた。

 言いたくないのなら言わなくてもいい。レンはそう割り切っていたが、ナハトは徐に口を開いた。


「レン、『ルーチェ』って知ってる?」


 その響きに彼の眉がピクリと反応する。


「ルーチェっていうと、たしか第五真祖直属の吸血鬼集団だろ」


 第五種血統がその殆どを占めるイタリア系の組織。群れる事の少ない吸血鬼だが、ルーチェは第五真祖の血を分けられた幹部が支部ごとにおり、更にその下に数百もの吸血鬼が構成員として働いている。

 その全貌はレンも把握できなかったが噂によると構成員は数千に上るらしい。レンもそれなりに高位の血統の吸血鬼だが、それでもルーチェとの表立った抗争は好ましくない。


「それがどうした?」


 レンが訊くと、ナハトは少し口籠った。


「いや、その、二年後にルーチェで宴があるんだけども」

「あのド派手なパーティーか」

 

 四年毎に行われるルーチェでの宴。各所に散らばった支部のいずれかに第五真祖が来賓し、酒池肉林が執り行われる。そこでは当然、人間の生き血も提供される。


 ナハトは軽く息を吸って、吐いた。暫しの沈黙が降りた後、意を決した様にナハトが口を開いた。


「そのパーティーでどうやら件の『腕』が運びこまれるらしい」


 その響きに反射的にレンは飛び上がった。カウンターが抜けそうな程に強く叩いて、ナハ

トを覗き込む。勢いで立て掛けていた二本の刀が音を立てて崩れる。だが、それにも気付かず、掴みかかる勢いでナハトに問い返した。


「本当か?」


 急き切って詰め寄ったレンにナハトはただ首を縦に振った。

それを見て、爪が肉に食い込む程に拳を握り締めた。ただ、強く握った。


「来たぞ、とうとうこの時が」


 止めようとしても、喜びで体が震えだす。呼吸も荒々しくなる。胸が早鐘を打っているのが分かった。全身に血が巡り、頬が赤く染まる。


 不意に腿が疼いた。ズキズキと痛み、その痛みは次第に彼の体全体に食らい付いていく。だが、今の彼にはその痛みすら喜びに変わっていた。憎悪が彼の身を焦がした。自然と口角が吊り上がっていく。


 そんなレンに対して不安そうにナハトが見上げる。


「やっぱり君ならそう言うと思ったよ。それを使って第三を誘き出すつもりだろう? 本当は真祖となんて戦って欲しくないんだけれども。言っても君は聞かないよね?」

「ああ、やっと奴の胸にこの刀を突き刺す機会が来たんだ。これを逃すわけがない」


 その返答を聞いて、ナハトはレンの目を真剣に見据えた。ナハトにしては珍しい神妙な面持ちだ。その表情に少なからずレンは冷静さを取り戻した。

 レンの呼吸が落ち着いてきたタイミングを見計らって彼は忠言を溢す。


「それなら、絶対に第三真祖よりも早く『腕』を手に入れる事。誘うにしろ、あの真祖が先に『腕』を手に入れたら君に勝ち目はなくなる」

「……そう、なのか。実は俺もいまいち『腕』について知らないんだが」

「まぁ、簡単に言えば、第三におけるパワーアップアイテムだ。今闘っても勝ち目があるか怪しいのに、『腕』を奪取されたらいよいよ勝機がなくなる」 

「なるほど」


 レンが相槌を打つ。

 それと、とナハトは言葉を付け加える。


「たとえ、今後いかなる場面に陥っても、今開発してる魔術だけは絶対に使うな」


 瞬間、虚を衝かれた様にレンは固まった。飛び出して来た意外な言葉に目を丸くする。誰にも新術開発の話をした覚えはなかったのだが。


「何故それを?」


 素直な疑問を口にする。


「なんでもいいだろう」


 ナハトは彼の問いをはぐらかした。レンはいささか不満そうな顔を浮かべたがそれ以上は問わなかった。

 ナハトはより声を顰め、低い声で言う。


「とにかく使うな。これは友人としての忠告だ。でなきゃ—」

「でなきゃ?」


 思わず聞き返したレンに対してナハトは首を横に振った。


「やっぱりなんでもない、ただあの術は使うな」

「なんだそれは」


 やけに真剣な様子だったので、何を言われるかと思ったが、拍子抜けしてしまった。言葉の続きを待ったが、ただナハトはワインを啜るだけだった。訊いても答えてはくれないだろう。なので、レンは別の問いを尋ねた。


「にしても何故腕が?」

「どうやら腕は処分する気らしいよ。あの腕は異形だから地脈から魔力を吸い続け、一種の魔道具の様になってしまっている。それが何百年の時で劣化し、ようやく吸い上げる魔力量が自己防衛の為の魔力量を上回った。だから、祝賀として宴の場で破壊するんだと」

「でもそんな事をアイツが知ったら」

「まず激昂するだろうね。だから内密にやるんだそうだ。でも次の祭りは二年後だからな。それまで勘づかれないかどうか、それすら第五は楽しんでいるんじゃないかな」


 第五真祖が快楽主義者というのは彼の師から聞いた事がある。ならば、事実は大方ナハトの推測通りであろう。


「どこの情報筋だ?」

「それはね」


 ナハトがレンに対して左の小指を立てた。


「女の子」

「一体何人目だ」

「さぁ? もう数えてないね」


 ナハトが悪びれもなく微笑んだ。レンもつられて笑みを浮かべる。


「全く女遊びも大概に—」


 そこで会話が途切れた。

 途切れざるを得ない事情が彼らの前に横たわった。

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