052 悠川未散 3
突然の告白ですが、あたしは小学生の頃に「激辛料理が大好物」だと嘘をついていました。ああそうです。いわゆる黒歴史ってやつです。
本当のことを言えば辛い食べ物は苦手で、口のなか痛くなるのがフツーに無理で、普段はカレーライスも甘口派だったんだけど、でも小学生特有の勘違いというかなんというか、辛い物や苦い物を平然と食べられる人のことを「人間として上位」だと信じて疑わなくて、ゆえにそんな嘘をついていた。
端的に言えば、あたしは見栄っ張りだったのだ。
で、ある時。その虚勢ベタ張り精神が裏目に出る事件が起こる。
あたしの「激辛料理好き発言」を真に受けた叔父さんに、近所で有名な韓国料理屋さんに連れていってもらったのだ。
「
あの時の叔父さんの笑顔を、あたしは今でも夢に見る。
可愛い姪を喜ばせたい一心の、善意百パーセントの表情。
あたしのことを愛してくれるのは嬉しい。けど、けどだよ。
自分勝手甚だしい言い分だけど、こう思ってしまったんだよな。
あたしの気持ちをちゃんと見透かしてよね、ってさ。
────キーンコーンカーンコーン。
予鈴の音で、あたしの意識は回想から戻る。
『生徒の皆さん、ご来場の皆さん。
まずい。あたしは焦る。焦りながら、とにかく廊下をひた走る。
中学二年生、秋。あたしはいま文化祭の真っただ中にいます。
けれどその一大イベントも、まもなく制限時間を迎えるようです。
だというのに、あたしの手の中にある鈴は三つとも────
「はぁっ……はぁっ、
────まだ、赤色のまま。
***
あやめが教えてくれた、「ともだちの鈴」のおまじない。
鈴を交換した男女は、恋愛的にいい感じになれるらしい。とか、なんとか。
正直に申し上げて、信じちゃいなかった。
そりゃそうでしょ。こんなもので世の恋愛が成就するんだったら、政府主導で全国民に配ってやった方がいい。少子高齢化社会だとかなんとか言いますが、鈴を配るだけでそれが解決すんだ。こんな魔法のアイテムもないでしょ。
鈴ひとつで願いが叶うならキュゥベえは要らねえ、って話なんスわ。
奇跡も魔法もないんだよ。あたしには分かってんだよ。
そういうわけで、あやめの話は聞き流してやった。バッカだねぇ、とか言って、テキトーにあしらった。すると彼女も白状するように「あくまで噂って言ったでしょうが。出所も知らんし、なんならウチが聞いた話と他の女子どもがしてた話と、若干内容が違ったりもしたし」とか言って、鼻で笑った。「なかには、好きなヤツに貰った鈴を砕いて粉末状にしてブラックコーヒーに入れて飲むと効果がある、みたいな黒魔術的なやつもあったし」とかも言ってた。
「でもさ、要はみんな何かにつけて、自分の気持ちを盛り上げたいだけじゃない?」
その話題の最後に、あやめはそう言った。
「みんな結局、告白する勇気とかなくて、好きっていう感情は確かにあるけど勢いはなくて、そんな自分が不甲斐なくてキモいから、こーゆーイベント事に乗っかって、一歩踏み出すための言い訳を作ろうとしてんだとウチは思うよ」
「……なる、ほど?」
「だから、ミチも騙されてみたら? 噂話のせいにして、勇気、出してみたらいいじゃん」
繰り返すけど、あたしは噂を信じていない。
それでも、そのあやめの言葉はあたしにとってのお守りだった。
だから、走り出したのだ。蒼鳥祭最終日。
この学校のどこかにいる岡崎先輩の元へ。
先輩の教室に行った。彼はいなかった。
放送室に行った。彼はいなかった。
体育館にも行ったし、図書室にも行った。彼はいなかった。
時間だけがすぎた。そうして、あのアナウンスが響いたのだ。
蒼鳥祭終了まで、あと十五分。カウントダウン開始の合図。
「はぁ……あぁ……ばっかだなぁ、あたし」
アナウンスが聴こえてから二十秒くらいであたしはいちど立ち止まった。
廊下の窓際の壁に寄りかかって、誰にも聞こえないようにそっとひとりごちる。
「最終日なのに、こんなことのために走り回って」
呼吸を整える。火照っていた身体が、だんだんと冷めてくる。
いちどクールダウンすると、ダメだった。自分がしようとしていることを客観的に見ちゃって、バカバカしく感じてきた。
ふと、ちょうど目の前にある教室の中を見た。数名の男女が片づけを始めていた。
そこは一年三組の教室。知り合いはいないし、せっせと動く彼や彼女らが誰かも知る由はないけど、ついぼーっと動きを眺めてしまう。
はじめての文化祭ということもあるのだろうか。みんな、すごく楽しそうにワイワイと撤収作業を行っていた。てか、片付け、時間的にはちょっと早くない? でもまあ、そうだよな。このイベントはもう終わり始めてんだよな。なんて、考える。
終わり始めてんだよな。
無意識で頭の中に浮かべた言葉を、あたしは意識的に反芻した。
「でも、ま。いっか」
それから、そう呟いて深呼吸をした。
「これもあたしらしい」
わりと本心から出た言葉だった。強がりなんて微塵もなかった。
ちょっとその気になって先輩を探し回ってみたけど見つけられませんでした。
あたしの人生ってなんかいつもそうだし。
テスト期間直前に焦って勉強を始めたけど、結局、ヤマは当たらず赤点でした、とか。マラソン大会前日に練習してみたけど、下から数えた方が早い順位でした、とか。推しのVTuberを見つけたと思ったら、三か月後に無期限活動休止になりました、とか。振り返れば、そういうことばかり起きている気がする。
今回も、その類の話だ。
文化祭が終わる間際にその気になったあたしが悪い。ほんと、学習しないね。
ぐぐーっと背伸びを挟んで、あたしは自分の教室に戻ることにした。
うちのクラスも、そろそろ片付けを始めているだろうし。
廊下を歩きだす。階段に到着。階段を下りて、二年生の教室がある二階に到着。
そのまま一直線に教室に向かおうとして、
「……片付け、たぶんけっこーかかるよな」
なんて思って、その前にトイレに寄ることにした。
二階の女子トイレに向かう。トイレの前に到着。ドアを開けようとした。
その時だった。
「お、悠川」
「え」
あたしは、考えうる限り最も最悪なタイミングで──
「お、岡崎先輩じゃないっすかぁ……」
──ずっと探し求めていた彼と、鉢合ったのだった。
ああ。さすがに神を恨んだよ。
なんで……なんで、いま!?
おかしくない? おかしくないか!? マジで、なんでトイレの前なんだ!? しかも、入ろうとしたところで! 探し回ったけど会えませんでした、まではいいよ。全然いい。受け入れる。でもだったらそのまま、会えないままにしてくんねぇかな?
こんな最悪のシチュエーションで会わせることないじゃない! 今からトイレしまーす、っていう予備動作を見られるっつー辱めを受けなくてもいいでしょ!
岡崎先輩に声をかけられて、あたしは立ち止っていた。女子トイレの真ん前で。
「……あ、すまん。どうぞ」
で、彼も彼で「声かけるタイミングミスったなー」的な顔して、申し訳なさそうに右手でトイレを指し示した。
入れるかよ。
つーか見つけても声かけんじゃねーよ。
明らかにトイレに入る前なんだから、スルーしろよ。
マジで岡崎先輩ってそういうとこ。
あたしはまた、小学生の頃の苦い思い出を回想した。
激辛料理店に連れられた時に叔父さんに言いたかったこと、それと同じことを岡崎先輩にも思った。
岡崎先輩。あたしの気持ちを、ちゃんと見透かしてよ。
「っ……! ど、どうしたの、」
自分でも気づかぬうちに、あたしはトイレに背を向けていた。
そして、岡崎先輩へとグッと一歩踏み出していた。
彼の顔が、すぐ近くにある。
「あの……トイレは? だいじょうぶ?」
うるさい。いまそれどころじゃない。トイレなんてどーでもいい。そもそも念のため寄っとこうかな、ぐらいの尿意だったし、てか尿意とか汚い言葉を思い浮かべさせるな。あたしはいま、一日中探しても結局会えなかった、それでも会いたかった人の、あなたの前にいるんだ。あなたに言いたかったことがあるんだ。それに集中させてくれませんか。
「岡崎先輩っ」
「は、はい。なんでしょうか」
なんで敬語なんだよ、と思った。マジで心のなかとは言えツッコミもさせないで欲しいんですが。気持ちがブレるでしょ。あたしはいま、精神統一に必死なんだよ。まもなく蒼鳥祭が終わろうとしていて、でも鈴はまだ赤ばかりで、そんな中偶然にもあなたと鉢合って、だからこれがラストチャンス。最後なんだから、失敗するわけにいかないの。失敗させないでよ。他のこと考えさせないで。
今だけは、あたしを真剣にさせて。
あたしはポケットの中に仕舞いこんだ、それを取り出す。
それから、
「あっああああ、あのッ」
一世一代の大勝負を、仕掛けた。
「岡崎先輩ッ、あのっ、あたしと────!」
***
「付き合ってください、を言う流れだろうがそこは。バカだねぇ」
「…………」
「枕詞までは完璧だったのに、なんでアンタ、直前で発言を変えちゃったわけ」
「……だって」
「でも、ま。アンタにしちゃ頑張った方だ。偉いよ」
そう言って、あやめはあたしの頭を撫でた。
蒼鳥祭は終了した。岡崎先輩に告白できぬまま。
二階女子トイレの前、あたしは最後の最後で勇気を振り絞れなかった。
岡崎先輩、あたしと──そこまではよかった。けど、結局あたしが口にしたのは、別の文言。告白の一歩手前のセリフ。
あたしと、鈴を交換してくれませんか。
「よくやったね、ミチ」あやめが、あたしを抱き寄せた。「告白できなかったとはいえ、最低限のミッションはクリアしたじゃないか」
「……っ」
「ほら、鈴を交換した男女は恋愛的にうまくいく、らしいしさ」
あやめの胸に引き寄せられた時、あたしの手元に握られた鈴が揺れた。
赤い鈴二つと、青い鈴一つが、りん、と鳴った。
「あやめ」
「なにさ」
「……あたしやっぱり、その人のこと、めっちゃ好きなんだ」
「うん」
「どうしようもなく、好きっぽいんだ」
「うん」
「好きすぎて……怖くなっちゃった」
「そうだよね。わかるよ」
「もしフラれたらって……」
「ミチ」
あたしは顔を上げる。
そこには、まるで母親のような慈愛に満ちた表情があった。
「ウチはさ、ミチが大好きなんよ。だから、いまのうちに約束しとくよ──」
それから、あやめは、
「──もしもまた、ミチに大チャンスが巡ってきたときは、ウチも加勢する。ぜったいにアンタの願いを叶えたげるから」
......
............
........................
「あの約束を果たす時がきたっぽいね、ミチ」
現在。喫茶店。
目の前の席はふたつとも、空席。
あたしと、あやめだけが残されていた。
「……約束、」
「うん。……あの人でしょ? アンタが中学時代好きだったって先輩は」
「……」
「青い鈴貰った、って言ってたもんね? 言い逃れはできないね?」
あたしは、ゆっくりと頷いた。
「素直でよろしい。じゃあさ、もういっちょ、素直になって欲しいからひとつ質問するんだけど、」
「なに、」
あやめは立ち上がった。そして、彼女は両手をあたしの右手の上に重ねて、
「あいつらが言ってた人探しってやつ──」
真剣な表情で、言った。
「──利用してやる覚悟、ある?」
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