048 「パンツ脱がずの奥手野郎、っつうんだよ」「既存の慣用句みたいに言うな」

 峰岸みねぎしとはかなり仲がいい。友人になったのは高校に入学してからで、だから期間としては短い方だが、そのぶん濃い付き合いをしてきた。おかげで、いつしか彼の表情に潜む本音を嗅ぎ取れるようになった。


 ふざけている時、真剣な時、その違いを見極めることぐらい容易い。


 びちこと再会したら何がしたいか? 質問内容としては、冗談やいつものじゃれ合いに近いものだ。僕のリアクションを楽しむためのフリに聞こえないこともない。


 けれど、確信を持って言える──彼の表情を見れば、それが心からの問いかけである、ということは。


「恋バナだよ、恋バナ。しようぜ、相棒」


 口調は薄っぺらい。でも、その薄い膜を隔てた向こうには、彼の熱い感情が見える。

 本気で僕を応援してくれている、という気持ちだ。


 だったら、僕も真面目に答えなくちゃ、だよな。


「ずっと、訊きたかったことがあるんだよ」

「なんだ」


 そして僕は言う。


「彼女の名前。それが知りたいんだ」

「……いいねぇ」峰岸が腕を組み、浅く息を吸った。「名前を知って、呼び合う。人間関係の初歩だが、距離を縮めるにはチート級の手だ」

「そうだね。裏を返せば、名前を知らないままだとこれ以上の関係にはなれないから」

「あれだな。宇宙飛行士のアームストロング船長が、人類で初めて月面着陸したときのセリフを思い出したよ。『一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ』ってな。いいじゃねえか、決めようぜ。月面着陸級のミッションを。お前と、俺で」


 大袈裟なことを言う。でも、ありがとう。心強いよ。


 峰岸に微笑みを返して、それを合図のようにして僕らは、揃って視線を常磐北ときわきた高の正門へと戻した。ぞろぞろと生徒たちが校舎外へと出てくる。


 その時、だった。僕の視界に飛び込んできたのは、見覚えのある──


「あっ、あれ……」

「どうした! 見つけたか?」


 びちこ──ではない。ではなかったのだけれど、少なくとも希望になりえる光景。


「うん。あれ」


 僕は目線の動きで、それを指し示す。


 女生徒が二人、楽しげに会話をしながら歩いている。片方は黒髪のウルフカットが特徴的な背の高い女生徒だった。で、僕が気になったのはもう一人の方。隣を歩く女生徒よりは十センチほど身長が低い、それでも160センチ前半はありそうなショートへアの子──が身にまとっていた服装こそ、


「あれ、たぶん。同じセーラー服だ……」


 記憶違いでなければ、だが。


 雨宿りの日。ゼロ回目の出会いをしたあの日のびちことまったく同じ服だった。夏仕様の白地のセーラー服。襟元のセーラーカラーは紺色に白のラインが二本。スカートも紺色。


「その子本人を見つけたんじゃなくて、着ている服がビンゴしたってか?」

 僕は肯いた。

「ほら、特徴的なのはカフス……袖の部分だ。たくし上げたデザインになってるだろ」

「なるほど。セーラー服探偵のお前が言うなら間違いねえ」


 いつのまにかキモ職業を振り当てられていたが、ツッコミは我慢しよう。


「とにかく。この高校には、あのタイプのセーラー服を着る学生がいることが分かった……それだけでも大きな収穫だよ」


 やはり、びちこが通っている高校は常磐北なのだ。完璧な物的証拠を掴んだわけではないが、確信を持った。少なくとも消去法的に、状況証拠的に、可能性はかなり高い。


 そこで僕はふと閃く。


「なあ、峰岸。常磐北の学祭って、いつなんだろうな」


 峰岸が、こちらを素早く振り向いた。


「まさか……お前、」

「ああ。もしかしたらウチの高校と同じく、近々学祭が開かれるかもしれない。公的に校内に潜入して彼女を探す大チャンスだ……!」


 我ながら最高のアイデアだと思った。


 学祭。それは、生徒以外の一般市民にも敷地内への立ち入りを許可する唯一の日である。びちこが常磐北に在籍している可能性が高いと分かったいま、それを利用しない手はない!


 やろう。よければ一緒にやってくれないか。と、峰岸に力強い視線を送る。


 が、しかし。


「いや、そうじゃなくてよ」


 峰岸はそう言って、呆れたような表情を浮かべた。続けて、


「俺が言いたかったのは、まさかチャンスを先送りにするのか? ってことだよ」

「……は?」


 予想外の返答にたじろぐ。ちょっと待て、峰岸。お前なにを……。


「学祭がいつか、だって? 知らねえし、どーでもいいね。少なくとも今日じゃねえ、ならそいつに用はねえ」

「なんのはなし……」

「いいか、陽平ようへい。チャンスは数日先にあるんじゃねえ、いま目の前にあるんだ。そいつをみすみす逃すようなやつのことをなんていうか知ってっか?」


 そして峰岸は、これまた真剣な表情で言う。


「パンツ脱がずの奥手野郎、っつうんだよ」


 既存の慣用句みたいに言うな。ねーよ、そんな日本語。


 と、僕が心のなかでツッコミ役に回った隙をつかれて、峰岸は動き出した。おい、待てッ──と呼び止める間も与えられず、彼は走り出した。……どこへ? それは、


「へーい、ちょっとそこのお姉さんたちぃ! 時間ある? そう、君たちさ! セーラー服の君と、ウルフカットの子ォ! いーねっ! 似合ってるね、制服! そうそうッ君さァ! あのさッ、訊きたいことがあんだけどさっ! いーかな? いーよねッ!」

「うそだろ、おい……」


 思わず頭を抱えた。


 峰岸が向かったさき、それは例の二人組の女生徒の元だった。


 マジかよ、お前。正気かよ。


「い~や、いやいや。怪しいもんじゃないってのッ! 俺、怪しく見えるゥ? 待ってくれって、ちょ、冗談きっついなぁ! ガハ、ガハハ」


 正気じゃねえ、それだけは確かみたいだ。なんかよく分かんねえ変なキャラ作っているし。お前、そんな喋り方したことないだろ。


 二人組の女生徒を見る。……明らかに引いている。そりゃあそうだ。


 なあ峰岸、お前みたいなやつをなんていうか知ってるか? パンツ履かずの露出狂っていうんだよ。ちなみに、そんな日本語はない。僕がいま、お前のために産み出してやった慣用句だ。ありがたく受け取れ。そして引き返せ。頼むから。


「ウッヒョー! 間近で見ると、やっぱいいセーラー服だぜ! なあなあ、それどこで買ったん? ちなみにさ、それほかにも着ている生徒っているかな? 教えて欲し~な! ほっしいな!」


 峰岸は、やけにオーバーなジェスチャーを交えながらハイテンションかつ早口でまくしたてていた。その内容を聞く限り、一応彼がいうところの「目の前のチャンス」を掴みに行っているっぽくはあった。セーラー服の情報を引き出すとともに、同じ制服の生徒がいないか……つまりびちこはこの学校の生徒なのか、を訊き出そうとしている。そうだな、目的は正しい。けど、それ以外の全部が間違ってる。テンションとか、距離感とか。

「あっ、あそうだ、写真撮ってもいいかなっ?」

 モラルとか。


 おしまいだ。完全に空回ってやがる。あいつに全幅の信頼を置くんじゃなかった。二割幅ぐらいにしとけばよかった。そうだ。最近のあいつって彼女が出来てちょっと大人びて見えてたけど、よくよく考えたら同じ穴の狢でした。童貞仲間でした。


 そんなやつが、知らん女子高生相手にまともな聞き込みができるわけねえ!


「あのさァ……」


 マズい。ついにしびれを切らしたのか、セーラー服姿じゃない方、ウルフカットの女生徒が声を出した。肩を震わせている。遠くから見ていてもわかる。あれはガチでキレてます。追い払おうとしています。不審者を。


 これはすぐに行動した方がいい、と僕は思った。


「ちょ、あの。峰岸ッ……!」


 そして僕は走り出して、彼の腕を掴んだ。そのまま引っ張る。


「うぉッ! なんだよ、相棒!」


 このタイミングで相棒呼びすんじゃねえ! 共犯みてぇだろ!


「いいから、帰るぞ!」

「んでだよっ! いいとこなんだよ! 俺はなぁ、お前のためにッ」


 僕のためとかいうな! 共犯どころか首謀者に格下げだよ!


 とにかくこの場を丸く収めるため……いやもう無理かもしれないけれど……僕は女生徒二人に深々と頭を下げ、


「ほんと、すみません! ご迷惑をおかけしました! このバカは僕が責任をもって連れて帰──」

岡崎おかざき先輩?」


 ──たとき、だった。


 セーラー服の子が、僕の名を呼んだのは。



「…………へ?」



 頭を上げる。その子を見る。


 目が合った。彼女は、僕をまじまじと見て、言葉を続ける。


「やっぱり、そう。……岡崎先輩、久しぶりですね」


 暫時、混乱。


「え、ミチ。この変態と知り合い?」


 ウルフカットの子が、セーラー服の子に尋ねた。変態、とはいわれなき誤解だが、それはさておき、彼女の発言と同じ言葉を僕も心の中に浮かべていたので驚く。


 僕と知り合い……? あなたが……?


 正直に言えば、記憶にない。そもそも高校が違うし、直属の先輩後輩ではない。どこかで会ったっけか……。


 という僕の疑問に答えを出すように、


「覚えてませんか……?」


 彼女はスクールバッグの中から、なにやら取り出した。


 僕の目の前で、それを見せる──青い、小さな鈴を。


 そしてようやく、僕の記憶は蘇った。


「もしかして、君……」


 制服のその子が、ゆっくりと頷いた。


「岡崎先輩にもらったもの。大切なもの。お守りみたいなもの。そのおかげで、」


 それから、彼女はほんのり頬を赤らめて、


 僕が会いたいと願った、見つけたいと願ったびちこ──と同じ制服に身を包んだその子は言う。




「先輩のこと、やっと見つけた」

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