Episode 09

047 「俺のこと愛しすぎだろ」「あんな目に遭ったくせに」

 週が明けて、月曜日。


 登校した時にはまだ教室にはあまり人がいなかった。自分の席に座って、一時間目の授業の準備を始める。すると、背後からなずなの声が聞こえた。


「おはよぉ~、岡崎おかざきくん。はやいねぇ」


 僕は引き出しの中からノートを机の上に出しながら、答える。


「おはよう。なずなは今日も元気だね」


 あはは、という快活な笑い声と共に、なずなは僕の横を通り過ぎて、自分の席に着いた。

 すぐさま、背後から峰岸みねぎしの声が鳴った。


「よっ、陽平ようへい。はやいな」


 引き出しから教科書を取り出しながら、答える。


「おはよう」


 峰岸はあくびをひとつ、僕の横を通り過ぎていく。その背後を、声で捕まえる。


「そういえば峰岸。決めたよ」

「なにがだよ」

「セーラー服の子を見つけ出す。僕は本気だ。だから──」


 峰岸の足が止まる。一拍の間。そのあとで、彼は勢いよく振り向いた。


 振り向きざまに、僕は追撃を入れる。真面目な顔を作って、まるで魔王討伐に向かう勇者みたいな覚悟を瞳に宿して、胸を張って僕は宣言する。


「──やろう。第一回街角ナンパ選手権、開催だ」


 その言葉に、峰岸は沈黙した。そしてしばらくして、首を傾げて、


「ナンパ選手権? なんだそれ?」

「お前が言い出したんだろ!」


   ***


 第一回街角ナンパ選手権、もとい、びちこ捜索計画。そいつは早くも、その日の放課後から始まった。発案者の峰岸は、四か月前に彼が発した「ナンパ選手権」というフレーズこそ忘れていたものの、計画自体には乗り気で、全面協力の態勢をとることを約束してくれた。


「というわけだ、畑中はたなか。今日からしばらくの間、俺は陽平にこの身をささげようと思う」


 五時間目終わりに峰岸は、なずなにそう宣言していた。とはいえ、「というわけだ」の訳をまともに説明していなかったので、


「……? よくわかんないけど、はい」


 と軽くあしらわれてしまっていた。可哀そう。なずなの方が。ちゃんと説明してやれよ……いや、ちゃんと説明されると僕が困るから、これでいいや。ほんとよかったよ、この二人が察し力の高い恋人たちで。


「もちろん、埋め合わせはきちんとするからよ。なんかしてほしいこととかあったら言えよな」

「そうだねぇ。浮気するとかじゃなきゃなんでもいいよ」


 その言葉を聞いた峰岸がニヤけ面を僕に向けた。うぜぇ。はいはい、愛されてるね。


「もしも浮気したら右目とかエグるけどね」


 ニヤけ面が瞬時に苦笑いに変わった。冷や汗までかいてら。


 ちょうどいい。ちょっとからかっておこう。


「じゃあ、峰岸。行こうか、ナンパ選手権」

「おう。行こ……ちょっとまて、陽平」

「おい、待てや晴喜はるきくん」


 峰岸を置いて、僕は歩き出した。背後で、峰岸のうめき声が聞こえる。


「……。ねぇ、ナンパ選手権ってなに? 右目、大切じゃないの?」

「ちがっ……てめ、陽平! ハメやがったなッ! てっ、……やめ、やめろッ!」


 はははは。二人は今日も仲良くていいや。最高のカップルだね。羨ましいよ。ほんとさ。


「漏れ、漏れてるッ……! 右目から変な液体が……ぁッ! 出てるって、出て……水晶体が剥がれてッいてえぇ!」

 

   ***


 約三十分後。そういうわけで僕と峰岸は、候補一校目、「私立伊月西いつきにし高校」の校門前にやってきていた。


 峰岸曰く、この地区には二校の自由制服校があるらしい。僕が目撃したびちこはセーラー服だった、いう情報から考えるに、そのどちらかが彼女の高校だろう、という推理だった。


 とりあえず実際の生徒の服装を見て、その推理が正しいかどうかを確かめる。そして、あわよくばびちこを見つけて直接声をかけよう、という算段だった。


 もちろんそんなに簡単に行くとは思っていない。実際、到着した時には伊月西も放課後になっており、すでにいくらかの生徒たちは下校していた。仮にびちこが伊月西の生徒だったとしても、もう帰路についている可能性が高そうだった。


 いま、僕らは刑事ドラマよろしく、校門が見える少し離れた位置で張り込みをしていた。ちなみに峰岸は隣で、右目を手で抑えながら、うぅっ……、とうめいている。


「峰岸、どうした? 邪眼でも疼いたか?」

「てめぇ……ゆるさねぇ……っ」


 ちなみに、彼の右目はぜんぜん無事です。なずなが本気で右目を抉るわけないじゃないっすか。優しい子だよ、あの子は。あはは。


「あいつ……本気だったよ。冗談が通じねえよ……」


 嘘です。結構な制裁を受けておりました。

 いくらウザがすぎたとはいえ、ちょっとからかいすぎたかもしれない、と思ったところで、


「畑中、俺のこと、愛しすぎだろ……」


 とか言いやがったので、反省の気持ちは奥に引っ込めることにした。


 それにしても、だ。


「峰岸。あんな目に遭ったくせにそれ言えるんだ。ポジティブすぎる、無敵かよ」

「ああ、無敵だ。愛は人を強くする、ってガチなんだぜ」

「それ精神的な話だろ。攻撃無効魔法みたいな効果はねーよ」

「いいや、その通り、愛情って魔法なんだ。だってほら、右目、だんだん痛みが引いてきたぞ。畑中の愛情が効いてきたおかげかもしれねぇ!」

「神経機能だよ」


 そもそも加害者がなずなだし、道理がめちゃくちゃだろ。


 視線を惚気バカから正門に戻す。ほとんど誰も通らないが、たまに生徒が出てくる。男子共学の私立高で、生徒数は多いはずだが、この通行量だとほとんどの生徒は下校済みなのかもしれないな。と考えていた時、


「ここ、ハズレかもしれん」


 と峰岸が声を出した。


「……? どうしてそう思うんだ」


 尋ねると、峰岸は今まさに出てきた生徒の方を顎で指して、言う。


「見ろ。さっきから出てくる生徒はみんな、私服だろ」


 言われてみればそうだ。自由制服校、ということは、学校指定の均一の制服がないということで、それはつまり何を着てもいいということだが、いわゆるセーラーや学ラン、白のワイシャツにスラックスといったようなフォーマルな格好に身を包んだ生徒はいない。まったく、だ。


「聞くところによると、自由制服校に通う高校生の中には、毎日違うファッションをするのが面倒だから、と各々で制服を調達する人が多いらしい。が、この高校の生徒は皆、カジュアルなファッションだ」


 一拍おいて、峰岸は続ける。


「カジュアルかフォーマルか、多数派がどっちかによって、他の生徒のファッションって固定されるもんだと思うんだ。考えても見ろ、周りの生徒や先輩たちがカジュアルばかりだったら、自分一人がフォーマルなファッションをすると浮くだろ。で、俺達って周囲から浮くのを避けるお年頃だ。お前が見た子がセーラー服だったっていうなら、この高校に通っている確率は低い」


 峰岸はそう一気に語り終えると、僕の反応を待った。僕はしばらくして、口を開いた。


「……ひとつ言っていいか」

「ああ、なんだ」

「峰岸、さすがに名探偵がすぎるな」


 峰岸は微笑みながら、親指を立てた。


「蘭も和葉も惚れこむ男、それが峰岸晴喜よ」

「おっけー。今すぐサンデー読者に謝れ」


 とツッコミを入れつつも、さすがにすげーよ、と思った。


 峰岸の言う通り、びちこが伊月西の生徒である確率は低い。ともすれば、もう一つの候補、「常磐北ときわきた高校」が有力ということになる。


「明日は、常磐北を張るか?」

 峰岸の問いに、僕は肯き返した。




 翌日。僕らは常磐北高校の正門前にいた。


 うちの高校からだと伊月北よりも近いため、下校時刻すぐぐらいの時間に駆けつけることができた。到着した時には、正門から生徒たちがぞろぞろ出てくるのが見えた。


 そして、心の中で小さくガッツポーズを決めた。

 生徒たちの服装はほとんどフォーマルだったのだ。


「決まりっぽいな。気合入れるぜ」


 峰岸が言った。そのあとで、


「なあ、陽平」

「なんだ?」


 彼は僕の目を見て、口角を吊り上げながら言った。


「そのセーラー服の子さ」

「ああ」


「その子と再会したら……」

 それは、優しい微笑みだった。

「お前、まず何したいよ?」

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