045 「今度会ったら」「恋バナしよう」
「ダメだよ」
ペットボトルのキャップを閉めて、僕は勢いよく立ち上がった。
「それは、都合のいい解釈すぎるよ」
「……」
斜め下から差す
「名前を付けるのって大事だと思う。で、僕たちはこの関係性に幼馴染と名付けた。ちゃんと幼馴染になろうって約束をした。でも、その意味を拡大解釈して自分たちに都合のいい風に捻じ曲げてしまうのは、やめたいんだよ」
「……浮気の線引きみたいな話」
「え?」
思わず、楓の顔を見てしまった。でも、彼女の表情はこの真剣な空気を和ますように綻んでいたから、僕の心が揺らぐことはなかった。
「手を繋いだら浮気、チューしたら浮気、その先をしたら……どこまでいったら浮気? とかさ、そういう話みたいって思っただけ。私はよくわかんないけど……チューも浮気じゃないって言っている人もいるじゃん。でも、よーへいはそれが許せない、的なことかなって思ったの」
「正直に言っていい?」
「うん」
「あんまピンとこなかった」
「むぅ」
長台詞なのにハマんなかった時って切ないよな、楓。分かるよ。……ってそんなことはどうでもいいんだ。話題を元に戻す。
「まあでも、ちょっとはそういうことかもしれない。幼馴染の線引きを、ちゃんと決めていないから」
「すごく頭でっかちで、心が窮屈になる話だ」
「でもしょうがないじゃん。頭を使うしかないんだよ。だって、」
そう言いかけて、僕は楓から視線を外した。
「僕ら二人とも、心があてにならないんだから」
沈黙が流れた。といっても、ほんの少しの間だ。
ショッピングモールは賑わっていて、行き交う人が談笑する声でざわめいている。そんな雑踏のなかにおいては、僕らの無言なんて簡単に掻き消されてしまう。
楓はいろんなことを考えているのかもしれない、それゆえの沈黙。
少なくとも僕はいろんなことを考えている、それゆえの沈黙。
しばらく経って、雑踏の隙間を割って、僕が声を出した。
「正直さ」
いろんなことを考えた末に捻りだした、本当なら言うべきじゃないかもしれない言葉を吐く。
「楓に、心が引き戻されそうになることがある」
「……」
「一緒に学祭回ろうとか言われると、とくに」
「……ごめんね」
首を振る。違うんだ、僕の心が弱いのがいけないんだよ。
「でも、楓はそれを望んでいないから。頭を働かせて、理性で、感情を制御するしかない」
「私も……」
楓は深く息を吸い込んでから、言葉を継ぐ。
「私だってよーへいを振り回したくないのに、安心が欲しくなる時がある」
「……光栄だね」
「誇っていいよ、よーへいは最強の幼馴染だ」
嬉しいよ。けど、同等レベルにしんどい。
僕らはこうやって、同じところをグルグル回り続けるのだろうか。そんな予感が、胸の内に芽吹いた。ただの予感だけど、同様に確信もあった。
このまま、前に進まないままでいたら、互いを互いの心の安定剤として都合よく扱ってしまうだろう。あんなにちゃんと気持ちを確かめ合ったのに、ちゃんとしようって誓い合ったのに、堂々巡りは嫌だ。夏の僕らの葛藤が、無駄になってしまう気がした。
だから、ちゃんと決めなきゃ。線引きをしなきゃ。前に進まなきゃ──でもどうやって?
どうやったら僕ら、正しく幼馴染になれる? 前に進むためには、どうしたら──
とそこで、僕の脳裏をかすめたのは、
「ねぇ、楓」
「なに」
あまりにもな荒療治で、けれど、それしかないと思えるような方法だった。
「僕──誰かを好きになるよ」
楓が小声で「え、」と言った。空耳かもしれない。それぐらい、静かな反応だった。
「だって……楓との関係性に恋愛感情を持ち込まないようにするためには、それしかないかなって」
楓を見れば、彼女は口をぽっかり開けたまま、僕の目を見ていた。その半開きの口から、しばらくして声が出る。
「誰かって、誰」
「それは……誰かだよ」
「あてはあるの? ダメだよ、無理やり恋しちゃ」
「……無理やり、だなんて人聞きの悪い」
「心が動かないうちに先走って恋愛するとロクなことにならないよ」
「自覚あるかわからないけど、すっげー重たい言葉だな」
経験則かな? 心動かせられなくてごめんよ。ってやかましいわ、ちょっと泣く。
「とにかく、そうしようと思う。ううん、そうしてみたいんだ」
「……なるほどなあ」
楓は右手で、サイバー葛飾ドラゴンの頭を優しく撫でた。
「たしかに、それでちゃんと幼馴染になれるなら。私は……いいよ」
いいよ、の前の少しの間に、楓の気持ちが垣間見えるような気がした。
けれど深堀りはしない。しない方がいいだろ。
とそこで突然、楓も立ち上がった。そして、何かを決心したかのように、
「じゃあ、分かった! 私もそうするっ」
僕に身体を向けて、息を吸い込んで、言う。
「私も、誰かを好きになるっ!」
「……は?」
恋愛宣言に恋愛宣言カウンターが飛んでくるとは思わなかったぜ。なんだそれ。
「や、あの……たしかに私には難しいとは思いますが。……ご存じの通り」
「さっきから無自覚に僕の心を抉りすぎだな、楓は」
「自虐のつもりが、よーへいを刺してしまった」
「だな。大いに反省するように」
「ずびばせん……」
楓はわざとらしく泣き顔を作った。おちょくってんだろ、おい。
まったく、恐ろしく可愛い嘲りだ。僕でなきゃイラついちゃうね。
「てか、誰かって誰だよ」
「それは……誰かだよ」
「あてなんてないだろ。ダメだよ、無理やり恋しちゃ。心が動かないうちに先走って恋愛すると、相手を苦しめることになるぞ」
「ねぇ、自覚あるか分からないけど、すっごい重たい言葉だよそれ」
楓がそう言ってから、一拍の間。その後、僕らはどちらからともなく笑い合った。
そうして、ふと思う。
もしかして僕ら、少しは前に進めているんじゃないだろうか。
自分たちの過去を冗談にできるなんて、夏までの僕には無理だった。楓だってムリだったろう。けれど今の僕らはどうだ。
付き合っていた過去も、努力して恋愛しようとした過去も、結局それができなくて傷つけあった過去も、こうやって笑い合えるようになった。
僕ら二人三脚で、半歩先の未来に行けた、そういうことなんじゃないか。
でもその先が遠い、もう半歩先が届かない。
だから、そのための恋愛宣言だ。そういう言語外の了解が、二人の間に存在しているような気がした。
「楓」
「なに、よーへい」
ならば、と僕はもう少しだけ、心を奮い立たせてみる。
「じゃあさ、それまでは僕たち、二人で会わないようにしようよ」
「…………」
楓の口角がほんの少し下がった。けれど、彼女はすぐに首を縦に振って、
「そうしたいんだよね、よーへいは」
対して僕は、首を横に振って、
「そうしたいってよりも、そうなりたいっていうか。もっと希望に満ちた約束っていうか」
「と、言うと?」
それから僕は、できるだけ笑って、
「今度二人で会う時は、恋バナをしようよ」
言った。
「恋バナ?」
「うん。いまどういう人が好きで、とか、どういうところに行ってきたよ、とか。そういうキラキラした楽しい話を共有するんだよ。……どうかな?」
しばしの間をおいて、楓が笑った。
「……あはっ。いいね、それ。のろけ合うんだ」
「そう」
「なんていうかそれ、すごく幼馴染っぽい。お互いの幸せを願い合う、みたいな感じで」
「でしょ?」
「私、それすごくしたいかも」
楓の足が、半歩前に出る。
「だから、それまでは会わない」
僕の足が、半歩前に出る。
「うん。それまでは、それぞれ恋に集中だ」
その時、三階フロア中央の時計が「ゴーン」と音を立てた。午後六時をお知らせしてくれる。僕らは見つめ合って、そろそろ帰ろうかと頷き合って、次の一歩を踏み出した。
帰り道。隣を歩く楓が、次に口を開いたのはショッピングモールの出口をくぐったとき。
「よーへいさ。本当は、あてがあるんじゃないの?」
「……。楓、こうしないか? どっちが先に恋できるか、アイス一本賭けよう」
「このタイミングでそれ言うのって、やっぱりいるんじゃんか」
「いやいや、いないって」
これは嘘じゃない。これまでの人生で僕が好きになったのは、君だけだ。
少なくとも、現時点までは。
でも、
「で、どう? 賭ける?」
「いいよ。その賭け、受けてたとうっ!」
君と、互いの幸せを願い合う未来に向かうためのチケットとして、アイス一本分の賭けは、なかなか充分かもしれない。そう思った。
そして、もっと言えば。
いま心の中にいるその人と向き合う動機づけとしても、だ。
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