044 「幼馴染なんだし」「たまになら、いいよね」
当たり前の光景も、当たり前の時間も、季節の変わり目に意味を変えていく。当たり前じゃなくなっていく。
たとえばこの瞬間。放課後、僕の右隣を
今日。僕は二学期になって初めて、楓と一緒に放課後を過ごしていた。
どうしてこうなったのか。原因は二時間目が始まる直前にあった。
「借り物競争で、来た」
教室を訪ねてきて、僕を見つけるやいなや楓はそう言った。仰っている意味がてんで分からなかった。ただ、彼女の表情は柔いでいたから、冗談を言っていることだけは確かだった。
この時間に開催されている運動会なんてないし、借り物競争部なんてものもないしな。
「あのさ。今日、英文法の参考書忘れちゃって。次の授業で使うっていうから、よければ貸してくれない?」
「ああ、そういうこと。いいよ」
と僕は自分の席に戻り、一時間目に使った参考書を手に楓の元へ戻った。
彼女はそれを受け取って、にぱぁ、と笑顔を浮かべたあとで、
「ありがと。返すの、放課後とかでいい?」
「いつでもいいけど」
僕が渡した参考書を大事そうに胸の前で抱きしめながら、言った。
「おっけ! あ、じゃあさ。せっかくだし、久しぶりに一緒に帰る?」
せっかくだし。
なにがせっかくなのか分からないけど、その提案が嬉しくないわけがなかった。
楓の「せっかくだし」はもうひとつ続いた。せっかくだし、どこか寄っていこうよ。彼女はそう言った。そういうわけで僕らは、駅前のショッピングモールにやってきていた。
「わぁッ! みて、よーへい! このぬいぐるみ可愛すぎるよ!」
三階のゲームコーナー。クレーンゲームの景品の人形を指さし、楓は言った。
みれば、トドのような身体にオレンジ色の髪の毛を生やした不気味なキャラクターがそこにいた。頭の頂上に一輪の花を咲かせている。……おう、どこが可愛いんだろうか。有名なキャラではない。見たことはないし、名前も知らなかった。
「欲しいなあ、ジャバウォック
ジャバウォック斎藤? それがキャラクターの名前なのか。
「なんていうか、ピン芸人みたいなキャラ名だな……」
「そうかな? じゃあ、サイバー
「……? ちょっと待て、楓」
「ん、なに?」
「まさかとは思うが、楓が付けた名前なのか、それ」
訊くと、楓は満足げに微笑んだ。
「そうだよっ!」
不思議なもんで、十年の付き合いでも、心の底から好きになった相手でも、知らないことってたくさんあるらしい。初めて見た楓の一面に、僕は感慨深い気持ちになった。そして心のなかで叫ぶ。
おまえ、マジでネーミングセンスねぇな!
***
ゲームコーナーで散々遊んで、雑貨屋やら書店やらを回って一段落した僕らは、三階フロア南側の広場にきていた。そこにはソファ席が点々と配置されていて、壁沿いに自動販売機が並んでいる。
自動販売機で飲み物を買って、楓が座るソファに戻った。紅茶を渡すと、楓は小銭を僕の手のひらに乗せて「ありがとう」と微笑んだ。
楓の膝の上には、クレーンゲームの景品のジャバウォック斎藤……もとい、サイバー葛飾ドラゴンのぬいぐるみが置かれている。
「いやぁ~、まさか獲れると思わなかったなあ」楓がサイバー葛飾ドラゴンの頭をぽんぽんと優しく叩いた。「今日は運がいいね。いいことばっかりだ」
「だな。英文法の参考書を忘れたのも、いいことだよな」
軽口をたたくと、楓はぷくぅっと頬を膨らませた。
「あ、よーへい。そういう揚げ足取りみたいなこと言うの、よくないぞ!」
そのあとで、「でもまあ」と言葉を継いだ。
「よーへいと遊ぶきっかけになったから、いいことだったのかもね」
「……」
この天然め、と胸の内で唾を吐く。そんなこと言って、僕がまだ楓のことを諦めきれていなかったらどうすんだよ。
楓がペットボトルのキャップを空けて、口に近づけた。
「たまには、またこういうこともしようね。たまにだったら、いいもんね」
そして、一口飲む間際に追撃までくれた。
まったく、楓は変わっていないな。一方、僕はといえば、変わったつもりだ。
二度目の失恋以降、変わろうとしたつもり。だから、
「まあ、たまにだったら。いいんじゃないか」
平然を装って、こういうことを言える。
紅茶を飲む楓の動きが一瞬止まった、ように見えた。しかし、すぐに彼女の喉元がごくりと動いて、ペットボトルを唇から離した。
「だよね。嬉しい」
楓から視線を外して、僕もペットボトルのキャップを空けた。しゅわしゅわ、という音を立ててサイダーの泡が弾ける。
「幼馴染なんだし、遊ぶくらい普通にするよな」
その時、ブブブ、とスマホのバイブ音が鳴った。楓のだ。彼女はポケットからスマホを取り出し、画面を見た。真似するわけじゃないけど、僕もスマホを取り出す。
楓は、なにやら誰かと連絡を取り合っているらしかった。なのでその間、僕はボーっとSNSのタイムラインを眺めることにした。そこで視界に飛び込んできたのは、楓が「サイバー葛飾ドラゴン」と名付けた不気味なキャラクターの画像だった。
本当の名前は「トドきゅん」というらしかった。トド、は分かるが、きゅん要素がどこにあるんだろう。キモカワからカワを抜いたようなキャラに、キラキラキュートな名前を付けるんじゃないよ。
とはいえ、どうやらトドきゅんは一部で超人気のキャラらしい。グッズ発売のポストに七千を超えるいいねがついていた。
ふと、その話題を楓に共有したくなった。なので僕はスマホの画面を彼女に見せるようにして、
「ねぇ、楓。これ──」
と発した声を、楓の声が掻き消した。
「よーへい、さ」
その声は、どこか深刻なトーンだった。だから僕は直前の話題を引っ込めて、続きを待つことにした。
「……。なに?」
「学祭、どうする?」
「へ?」
しかし、暗いトーンとは裏腹に他愛もない話題が飛んできて肩透かしを食らった。
「なんだ、それ。……どうするってなにが」
「ん、いやあ。今ね、
「役者……なにそれ、ちょー見たい」
そう言うと、楓の頬が少しだけ赤く染まった。
「っ! や、やっぱりそう言うと思った……。みんなそうなんだよ、私が役者とかやらなそーだからって、興味本位で見たいって言うの。でさ、なんかやらなきゃなムードなんだよね」
「なるほどなあ。まあ、見たいってのは軽めの冗談だとして……。どーするってなに」
「ん、だから。よーへいのクラスはなにするのかな、とか。どう過ごすのかな、みたいな」
そういう話か。別にまだ何も決まってないんだよな。
「未定、かな。しいていえば、楓の演技を見に行く予定が立つかも、ってぐらいで」
「じゃあ、私が役者しなかったら、なんの予定もない感じ?」
「だなあ」
半分空返事で相槌を打った。何も決まっていないし、答えられることはなにもない。しかも今年は、
という絶望の底に沈んだ僕を、
「私が役者断ったら、一緒に回れるってこと?」
「……は、」
ド天然幼馴染さんは、掬い上げやがった。
けれど、すんでのところで踏みとどまる。だって、それって……なんていうか、違くないか。
「楓、さ」
「なに」
「僕たち、ちゃんと幼馴染になろうって話をしたよね」
「……うん、した」
「学祭を一緒に回るのって、なんていうか、どうなの」
だって、そんなことしたら僕ら──元に戻っちゃうだろ。
楓の視線が僕から外れた。彼女は俯き、言葉をこぼす。
「……やっぱ、ダメか」
「ダメじゃない。ダメじゃないけど」
「けど?」
「けど……その……なんていうか世間一般的に、というか。男女で学祭を回る約束をするって、その、幼馴染的にアリなのかなって……」
とその時、楓が僕の手元をちらり見た。そこにはスマホがあって、さっき楓に見せようとした画像が表示されている。正式名称、トドきゅん、の画像だ。
「サイバー葛飾ドラゴン」
それを見て、楓が言った。
「あ、いや。これさ……SNSで本当の名前知ったんだ。このキャラ、トドきゅん、っていうらしい」
「でも、私たちにとってはサイバー葛飾ドラゴンだよ」
きゅ、っと楓の拳に力が入る。両手を膝の上で握りしめて、彼女は強い語気で言った。
分からない。楓の心境が、よく分からなかった。
「何が言いたいの」
だから、そう尋ねた。すると楓は勢いよく顔をあげて、まるで懇願するように、
「世間一般的に、じゃなくて。私たちにとって、の話としてだよ。学祭を一緒に回る関係性のことを、幼馴染、って名付けちゃ──ダメなのかな?」
そう言った。
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