042「話聞いてた?」「おう。一から百まで」

「失恋したときはな、甘いものに限るだろ」ミルクレープにフォークをすとんと落としながら、峰岸は言う。「記憶の苦味成分を、糖分で相殺すんだよ」


 テーブルに視線を下す。そこには、小皿に盛られたティラミスひとつ。そのティラミスは、峰岸によそってもらったものだ。こいつ曰く、ここのティラミスが最高に美味い、とのこと。ならばぜひとも食べてみたい、とは確かに思ったのだが、直前のセリフと上層のココアパウダー、ついでに底層のコーヒー部分が矛盾しているのはいただけなかった。


「気持ちはありがたいよ。持つべきものは友達だな」


 言って、僕もティラミスにフォークの先端を落とす。


「しかし、一つ訊いていいか?」

「なんだ?」

「……スイパラってさ、お前らしくないよな」


 言うと、峰岸の手が止まった。それから、浅めに首をかしげてみせた。


「そうか? 俺らの放課後の居場所っていったらよ、スイパラって相場は決まってんだろ」


 そんな覚えはない。

 放課後にスイーツパラダイスへやってきたことなんて、かつて一度たりとて無かった。というか、選択肢にすら無かったハズだ。僕らはもっとこう……バッティングセンターとか、ゲームセンターとか、どこへもいかず教室で駄弁るとか、そういう男くさい場所を好んでいたはずだ。


 だのに、スイパラとはいったい、どういう風の吹き回しだ。


「邪推していいか?」僕は言う。「なずなの影響だろ」


 峰岸は、ミルクレープを口へ放り込んで、咀嚼。その後、飲み込んでから、やっと口を開いた。


「ちげーよ、大ハズレだ。つーか、いつもこうじゃないか。俺らが行く場所って言ったらよぉ、スイパラ、カフェ、カードショップ、自然公園。そういうナウでヤングでトレンディな場所を好んでいただろ」

「記憶が改ざんされている……」と言いかけて、僕はハッと気が付く。「ちょっと待て、峰岸」

「なんだ?」

「いま、カードショップ、とか言わなかったか?」


 細かいが、僕はどうもその部分が気になってしまったのだ。

 いま例に挙げたスポットの中で、唯一、カードショップだけ浮いている。


「ああ。言ってなかったっけか?」


 峰岸は、ミルクレープをもう一口分、フォークで掬ってから、そう言った。


「実はさ、なずな、デュエリストなんだよ」

「なにそれ。最高の彼女じゃん」


 てかやっぱり、なずなの影響じゃねーか。


 というツッコミは、心の中にとどめることにした。


   ***


 失恋の経緯を、峰岸は親身になって聞いてくれた。

 だから僕も、なるべく詳細に喋ったつもりだ。出会いから、再会。毎晩続いている通話。会わないか、と誘ったこと。ごめんね、と言われたこと。


 喋っている途中で、峰岸は「ああ、例の」と相槌を打った。そういえば、びちこと出会ってすぐ、こいつには話したっけ、と思い出す。


「まあ、まさかそのセーラー服とお前が、そこまでの仲になっているとはなあ。驚きだ」


 しかも、と峰岸は本日三皿目のミルクレープの最後のひとかけを飲み込んだ。


「お前、恋しちゃったわけだ」

「……恋っていうか。会ってみたくなっただけ」

「自分で、失恋、って言ってただろ。恋をしねーと失恋はできねーぜ。恋を失う、って書くんだからよ」

「当たり前のことを言わないでくれ」

「当たり前のことを、おまえは今、ごまかそうとしたわけだが」


 だな、と乾いた笑いを返す。


 失恋、とは昼休みにとっさに出てきた言葉であったが、今の僕の心境を端的に表現するならば、それが最も近い気がしたから口にしたにすぎなかった。空虚感、や、喪失感、という言い回しじゃ補いきれない痛みが胸にあったのだ。


「でも。恋だったのかは分からないよ」


 峰岸がフォークについた生クリームをなめとりながら、僕の目をじっと見て黙った。僕は、言葉を続ける。


「好き、とかさ、まだほとんど会ったことない関係性で抱く感情じゃないと思う。失恋、とは言ったけど、ほかに言い方が無かっただけで」

「ふーん、そういうもんか」

「うん」

「でも、会いたいんだよな」

「そりゃね」

「することもしてーんだよな?」

「……そうは言ってないだろ」


 会話がだんだんと堂々巡りになっていることに、僕は気づいていた。まあしかし、ディスカッションでも、カウンセリングでもなく、ただの会話なのだから、それでよかったのだけど。


 峰岸が、席を立つ。


「すまん。トイレ」


 僕は、おう、と頷き返した。そのまま、峰岸がトイレへと向かっていく背中を目で追う。

 

 一人、取り残された僕は、テーブルに肘をついて、向こう側にずらりと並ぶスイーツに視線を移した。糖分、糖分、糖分。そのまた隣に糖分。見てるだけで胃もたれしそうな行列である。

 まるっきり、僕の生活には縁が無さそうな光景だ、とかぼんやり思った。

 いや、今まさにここにいる以上は、縁があるのだけど、峰岸に連れてこられなかったらきっとスイパラなんて来ていないし、そもそもスイーツをたらふく食べたい、という欲求は無かったし。これからも無い気がする。

 峰岸は、僕とは違うんだよな。さっきの会話から察するに、以前、なずなと一緒に来て、それがキッカケとなって、スイパラ意外とええやん、ってなって、僕を誘うに至ったわけで。彼の行動の選択肢には、いまや「スイパラ」が存在している。


 それがなんだか不思議でたまらない、なんて、思った。


 夏休みの間、峰岸は、さぞいろんな経験をしたのだろう。スイパラに限らず。

 一方で僕は何もしていない。ずっと同じ場所にとどまっている。


 僕の人生は、ああいうスイーツの行列を、遠くから眺めるだけだなあ。


 とか、考えているときだった。

 峰岸が、席に戻ってきた。


「岡崎ィ! 思いついたぞ!」


 かなり、威勢よく。しかも、その両手には、お皿にのっかった山盛りのスイーツ。その二皿とも、峰岸は自分の手元に置いた。


「単純だ、単純な話だったんだよ」

「な……なにがだよ」


 唐突なハイテンションに気圧されて、僕は少し身を引きながら言った。


「そのセーラー服とさ、会いたいんだろ? お前は」

「そうだけど……」


 峰岸が、ふふん、と鼻を鳴らした。得意げな顔をしている。

 僕は彼の友人だから、知っている。峰岸がこういう表情をするとき、彼はなにかよからぬたくらみをしている。

 

 だから、身構えた。


「だったらよぉ……」峰岸が右手を握りしめて、拳をつくり、僕の左肩を突いた。「会えばいいんだよ!」


 これには僕も、ポカンである。


「……あのさ。話、聞いてた?」

「おう。一から百まで聞いてたぜ」

「なら、もう一度言わせないでほしいんだけどさ、僕、断られたんだよ?」

「ああ、そうだったな」


 峰岸が、あっけらかんと答えた。

 会話になってない。

 

「そう。だからね、もう詰んでるわけで」

「おいおい。お前こそ、俺の話聞いてなかったのか?」


 峰岸が言った。彼の発言の意図が全く分からなかった。

 僕は言い返すのをやめた。代わりに、彼の発言の続きを待った。


 峰岸は、大量のスイーツのうちひとつ、ショートケーキに狙いを定め、フォークを差し込んだ。それから、


「俺は、お前の話を、聞いた、って言ったんだぜ」 


 言った。


「は?」

「つまりだ。お前とセーラー服の出会いについても、よぉく聞かせてもらったってこと。ヒントはそこにあったんだ。というか、答えだな。灯台下暗し、とはよく言ったものだ。全然気が付かなかった」

「……あのさ、全然分からないんだけど」

「いいか? 確かにお前は断られた。会う約束をしようとしたら、ごめんね、と言われたわけだ。そうだな?」


 うん、と頷く。


「だったらよぉ、会う約束をしなきゃいいんじゃねーか」


 思考が停止する。ここまで聞いても、サッパリだった。

 しかし、峰岸はすぐさま、僕に解答を与えてくれた。


 彼が深く息を吸い込んだ。


「会いたきゃ、会えばいいんだよ」そして、したり顔で、言う。「


「……偶然?」


「そうだ。いいか、よく聞けよ。お前はセーラー服に会いたい。だったら、会いに行くんだ。セーラー服の女子が行きそうなところ、もしくは以前出会ったところ、そういう彼女の行動圏内に足を運んで、会えばいいんだよ。できることなら、通っている学校とか知りてえな。そうすりゃ、登下校のタイミングを狙えるし」


 峰岸はそう言うと、手を付けてない方の皿を僕の手元へとスライドした。甘い匂いが、とびっきりたくさんの糖分の香りが、鼻を突く。


「あくまで、偶然を装って、な」


 思わず、頬が引きつる。こいつ、正気なのか? 言ってること、ヤバすぎるが。


 何も言えなくなって、黙り込む。考え込む。なんて言い返してやろうか、を。

 こいつが言っていることは、屁理屈だ。ストーカーの口実だ。


 けれど、


「どうした? 食べないのか?」


 峰岸が、僕の手元にある大量のスイーツをフォークで指し示して、言った。


「…………食べる」


 僕は、そう答えた。


「だよな。せっかくスイーツが目の前にあるのに、手を付けないのはアホだ」峰岸が、嬉しそうに笑う。「欲求に忠実であれよ、相棒」


 

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