Episode 08
041「日本語って」「難しいね」
「ありがとう」僕から鍵を受け取った如月が言う。「ちゃんと返してくれるんだ」
「そりゃ、返すでしょ。借りただけだし。てか、如月さんが一方的に貸し付けただけだけど」
「そうゆーわりに、随分と有効活用してくれたらしいじゃん?」
まあ、と曖昧な返事をする。だいぶ小声のつもりだったけど、誰もいない朝の廊下では、ちゃんとその声は反響して、たぶん如月の耳にも届いた。
「これで、とりあえず貸し借りはゼロだね。さんきゅうね、陽平くん」
言いながら、如月は鍵をぎゅっと握りしめて、制服スカートのポケットの中へとしまった。
そのとき、右肩に唐突な衝撃が走る。
「おっはよー、岡崎くん!」
と同時に、右背後から聞きなれた声。振り返ると、そこにいたのはなずなだった。スクールバッグを僕の肩に一撃クリーンヒットさせたのが、さぞ痛快だったのだろう。満面の笑みを僕に向けていた。
それからしばらくして、視線を僕の奥にいる如月に移して、
「てか、あれ?」目を丸くさせて、言う。「美紀ちゃんじゃん、おはよー」
「おー。おはよ」
ここで僕は、当然の疑問をぶつける。
「あれ、如月さんとなずなさんって、友達?」
「うん」「まあ」
逆に、と言葉をつづけたのはなずなだ。
「美紀ちゃんと岡崎くんって、友達だったんだ」
これは、クラスが別々あるあるのひとつだろう。友達の友達が実は友達だと後々発覚するやつ。おなじクラスやコミュニティにいないと、意外と友人の交友事情って、案外気づきづらい。
僕は、浅めの頷きだけ返す。ま、友達、と呼べるほどの仲かは知らないので。
で、一方、だ。
「もちろんだよ。アタシと陽平くんは、そりゃあもうねんごろな関係でして」
如月は、誤解を招きそうな返事をした。
招きそう、ってか招くだろ。確実に。
「へぇ……、そうだったんだ。ふたりとも、お幸せに!」
てか、招いた。
「違う、違う。今のは如月さんの冗談で」
僕は、急いで訂正する。
「冗談じゃないよ。物をシェアしたり、深めの相談に乗ったり、手をつないで密室に逃げ込んだりした仲だよ。間違ってないだろ? ねんごろ、って、とても親密な関係、っつー意味だし」
如月は、いやらしく笑って、言う。
「主に、異性関係的な意味合いでな!」
僕は、追撃のつっこみ。
「つまり、ふたりは男女関係的に親密、という理解でいいんだよね?」
なずなは、完全に勘違いコース一直線。
「だぁかぁらぁ」僕は朝っぱらから声を張り上げてしまう。「違うっての」
言葉の意味は間違ってないのかもしれないが、なずなの認識はどうも間違ったものになってしまいそうで、なんというか、まあ。
「日本語って、意味がたくさんあって、難しいね」
と、本来は僕のセリフだったそれを、如月が吐いた。
***
さて。
九月。季節は秋。学内は、はやくも学祭ムードが漂っている。
そう、学祭。およそ一か月後に控えたそのイベントに、生徒たちは活気づいていた。僕に言わせてみれば、気が早いと思う。
でも意外と、ぼーっとしていると準備期間は瞬く間に過ぎ去ってしまい、いつのまにやら当日、なんてことになりかねない。去年、僕のクラスがそうだった。飲食系の出店にする、ということは早い段階で決まったのだが、肝心のその内容に議題が移ったとたん、クラスが「お好み焼き」と「マリトッツォ」に二分し、あわや戦争というところだった。
結論、間をとって、インドカレーに決まった。
僕は一年経った今でも思う。マジで、「間を取って」の取り方として、地理関係的に間を取るやつが、どこにいるんだろう。大阪のお好み焼きと、イタリアのマリトッツォの間が、インドのカレー、というのを最適解として認めてはならぬ。絶対にだ。
でも、めちゃくちゃ評判はよかったのだけど。
閑話休題。
ま、なんにせよ、だ。今年も、そういう時期が──。
「やってきたああああああああああああああああああああああああああ!!」
峰岸が、叫んだ。うるさかった。
「さあ、陽平もご唱和願います。今年も、学祭の時期がぁ?」
「…………」
「やってきたああああああああああああああああああああああああああ!!」
「峰岸」
「お、なんだ?」
「なあ、ここをどこだと、お思いで?」
峰岸は、どん、と胸を張って、口角を上げながら、
「図書室だろ?」
言った。
「うん。分かってるなら、だまろっか」
「……ッコケ」
僕らが今いるこの場所は、昼休みの図書室だった。
この学校は、基本、昼休みと放課後に図書室が解放されている。その時間は、生徒であれば誰でも利用可能なのだ。本を借りに来てもいいし、自習室として利用してもいい。でも、入り口の張り紙をみるかぎりでは、雑談スペースとしての利用はご遠慮願われている。
けど、
「べつにいいよー、岡崎くん。わたししかいないし」
カウンターの中にいる早乙女先輩が、言った。
「今日は暇っぽいからね。他の生徒が来るまでは、好きに喋っちゃってて」
「あざーす、先輩!」
「いいのいいの。それに」不躾な峰岸に対しても、聖母のような笑顔を向ける早乙女先輩。「また、手伝ってもらっちゃったしね」
まあ、と僕は嘆息する。
どうも、先日、如月に呼ばれて手伝ってから、僕はどうにも「図書委員の一員」として認識し始められているらしい。今日も、唐突に早乙女先輩に「昼休み、手伝ってくれない?」と呼び出されたので、峰岸も無理矢理つれだして、二人で昼休みのお仕事を手伝った次第である。
「人手不足だからさあ」
何も尋ねていないうちに、早乙女先輩が言い訳みたいに、そう言った。
「それこそ、学祭も近いしね」
そうなんすね、と相槌ひとつ。どうも、学祭に向けて図書委員も動き出しつつあるらしい。たぶん、学校中の団体すべて、そういうムードになりつつある。
「ほらな、陽平。どこもかしこも学祭学祭だぜ。お前もそろそろ、学祭スイッチ、オンにしろよ」
がくさいすいっち。ひらがなにすると、どこぞの猫型ロボットの秘密道具みたいな響きだと思った。思っただけで、それ以上、特に何もないが。
「だなー」
そう。高校中が、学祭ムード。
その高校に通っている以上、僕も例に漏れず。
に、なれればいいんだけれど。
「だなー、って。テンション低いなあ、お前。なんか、あったんか?」
「べつになにもないけど。疲れただけ。先輩にこき使われたから」
そのセリフに、早乙女先輩が、アハハ、と笑う。朗らかな笑いだ。
「感謝してるよー、後輩君。お礼に、学祭、デートしてあげよっか?」
そのセリフに、僕が、アハハ、と笑う。こっちは乾いた笑いです。
「先輩、あれっすよ。自分を安売りしない方がいいっすよ」
「やだなー、峰岸くん。安売りなんてしてないよお。むしろ、逆。わたしがわたしの価値を正しく理解しているからこその提案であって」
「どこまで真面目に言っているか分からないので、ここでいったん無視していっすか?」
なんて、峰岸と早乙女先輩が会話している。
僕はそれを聞きながら、図書室の椅子に浅く座り、背もたれに後頭部を預けた。そのままの姿勢で体の力を抜けば、視線はまっすぐ天井へと向く。ゆるーい会話と、だらーんとした時間だけが流れる。
なんだろう。
何気ない昼休みの一幕。学祭を一か月後に控えた、高校の、昼休み。
いま、この瞬間を切り取れば、当たり前を当たり前に享受している学生たち。その他愛もない交流が、安らぎを与えてくれている、幸福に満ち満ちた一コマな気がする。
こういう、何もすることがない時間って、何も考えなくていいよなあ。
とか、ぼんやり思っているときだった。
「……なあ、陽平」
視線の先、天井との間に峰岸の顔が、急に現れた。
「っわ、お前、ビビらせんなよ!」
「……ビビらせたつもりはないんだけど」
脊髄反射的に、大きな声が出た。それから一拍後、ただ、峰岸が僕の顔を覗き込んでいただけだってことに気づいた。
気づいて、すぐだった。
「お前、なんか、ぼーっとしてんな?」
峰岸が言った。
「……」僕は、素直に、なんて返すのが日常会話として正解かを悩みながら、「……そうか?」
とだけ、返事。
「おう。こういうときのお前、なんか悩んでるの、知ってんだよな」
峰岸が言う。それは親友としての、優しい言葉だった。僕の心を見透かしたような、一発で正解を引き当てるような、言葉。
……が、しかし、今回ばかりは。
「別に、悩んでないよ」
ちょっとだけ、外れだ。
悩みなんてない。……答えはもう、出ているので。
「じゃあ、なんでボーっとしてんだよ」
峰岸が尋ねたので、僕は、早乙女先輩に聞こえないように、
「ん。まあ、なんだ。ちょっとだけ」
彼にだけ聞こえる声で────
***
あの夜の会話を、
「前にさ、今からでも夏を始めよう、って話、したじゃん?」
「うん。……したね。さくらんには断られたけど」
「まあ……それは……。だって、約束が違う、って思ったから」
「だね。この広い街のどこかで、偶然三回会えたら、って約束だったもんね」
「そう。でも、やっぱり、僕たちさ、会わない?」
「…………………」
「偶然の再会、とかじゃなくて、ちゃんと、会いたいんだ」
思い出していた。
「……そっか」
「うん」
日本語って、意味がたくさんあって、難しい。
「………………………」
では、あの時の、びちこが発したその言葉の意味は、
「ごめんね、さくらん」
ごめん。
その言葉は、
一体、どの意味だったのだろう。
……なんてな。ごまかしたところで、本当は、わかっちゃいるさ。
***
「またもや、失恋、したよ」
──悩むまでもなく、すでに出きった答えを、伝えた。
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