038「いっぱい出ましたねえ」「だ、誰のせいだよ」

 如月美紀が「安心しなよ」と口にするとき、文頭に「死にはしないから」が省略されている。

 厄介なのは、それを彼女が自覚していないことだ。「(死にはしないから)安心しなよ」は、言い換えれば「死にはしないけど、相応の苦痛は覚悟してもらうよ」であるにも関わらず、彼女はさも「君に利益のある話だ」というテンションで僕を誘う。

 知らんけど、こんなもん詐欺師の手法ですよ。


 けれど、いちおう如月には如月の想いがあるらしい。

 これまで彼女が「安心しなよ」の呪文を使用したのは、もれなく、僕と楓との間にある不和を危惧してのこと、だった。二人の関係性を──いや、正確に言えば、楓個人のことを想っているからこそ、なのだろう。


 たとえそれが、僕を強引に巻き込む形になったとしても、手段が少々行き過ぎたものであっても、すべて楓のための行動。それは、友情や善意、他人を思いやる気持ちからくるものだ。ならば、詐欺とは真逆の信条があるに違いない。


 これまでの如月は、そうだった。


 では、今回はどうだろう。


「岡崎くん。手伝ってくれてありがとね」

 と僕に声をかけたのは、この学校の図書委員長、早乙女紬さおとめ つむぎ先輩。眉上で切りそろえられた前髪、襟足の短いベリーショートの清潔感ある髪型が、より一層年上っぽさを演出している。

「助かったよ。ありがとね」

 と言ったのが、如月美紀。夏休みが明けてイメージチェンジを図ったのか、長い髪を肩上あたりで一つにまとめている。

「はぁ……」

 と溜息をついている僕。以下、割愛。


 いま、僕と如月と早乙女先輩の三人は、図書室にいた。


 何のために? 図書委員の仕事を片付けるために。


 どうやら夏休み前と休み中に借りられた大量の図書が、この時期一気に返却されるらしく、その返却作業に追われて大変なのだ、と早乙女先輩は言っていた。閉館時間が終わっても、一向に終了する目途が立たなかったのだという。


 だから僕を呼んだらしい。


 僕は言われるがままに、一冊一冊、図書のバーコードを読み込んで返却処理をかけ、それらを如月がジャンルごとに仕分けし、荷台に乗せ、早乙女先輩が棚へと戻しに行く。とまあ、そういう作業をした。

 正直、かなり大変な仕事だった。

 

 ところで。ここでひとつ不思議なことがある。

 何を隠そう、僕は図書委員ではない、のだ。

 図書委員に所属しているのは、早乙女先輩と如月だ。もう一度言うが、僕は違う。ちなみに、如月が図書委員であることを知ったのは、ついさっきのことだ。なぜ知らなかったか。それは、僕が図書委員ではないから。図書委員ではないので、図書委員の事情を知る由ない。


 なのに、図書委員の仕事をした。

 如月さんの「安心しなよ」に誘われて。


「如月さん」

「なに?」

「仕事終わってから言うのもなんだけどさ、なんで、僕を手伝わせたわけ?」


 如月は、フンッ、と鼻を鳴らしてから、答える。


「暇そうだったから」


 なるほど。今回ばかりは、友情も善意もクソもない。

 百パーセントの詐欺だ。どうぞ裁判長、即座に有罪判決を。


   ***


「ごめんって~」如月が、缶ジュースを僕に差し出しながら笑った。「いやでも、まーじで助かったから。ありがとね」


 如月的には、この缶ジュースがお駄賃のつもりなのだろう。受け取ってしまえば、いよいよ雇用契約書に判を押したことになる気がするが、ここまできたら意義を唱えるのでさえ面倒だし、不承不承、それを受け取る。


 缶ジュースを開ける。開封音が校舎の壁に反響する。


 仕事を終えた僕と如月は、中庭にいた。早乙女先輩は仕事が終わるとすぐに帰ってしまったから、いまここにいるのは二人だけだ。

 如月は、僕が座っているベンチに「よっ」という掛け声を出しながら座った。人一人分の間隔をあけて、僕らは隣同士に座る形になった。


「今日、まじで、僕を手伝わせるためだけに呼んだの?」

 念のため、如月に尋ねてみる。彼女は、自分の分の缶ジュース、そのプルタブに指をかけながら、

「まあね」

 と言う。直後、ぷしゅぅと炭酸の抜ける音が聞こえた。

「さすがにコレ終わんないなあ、ってなって、でも今からじゃあ誰も捕まんないよなあ、ってなったけど、いや待てよ陽平くんなら、と」

「だからなんで僕なんだよ」

「放課後、いつも教室に残ってるの知ってたし」

 それに、と彼女は缶に一口つけてから、

「陽平くん。アタシに借り、あるでしょ」と言った。そのまま続けて、「物理的、借り」


 はて。物理的借り、とな?


「なんのこと──」まで言いかけて、僕はようやく思い出した。「──いや、あった」


 鍵。秘密の場所、カケル四か所分の鍵だ。


 楓との一件で深夜の屋上に忍び込んだときに使った鍵。如月から「誠意」として預かった鍵。を、まだ返していなかった。そういえば。


 し、ずっと自室に置きっぱなしだ。

 こればかりはちょっと……申し訳なさが勝ってしまうな。


「……ごめん、いま、家にある」

 僕は、正直に罪を告白し、謝った。

「あは。いいよ、べつに。また今度、持ってきてくれれば」

 すると如月は、すぐに許しのセリフを吐いた。

 

 なんだろうな。そうやって笑顔を浮かべる如月を見ていると、なんというか、急に仕事を手伝ったことの妥当性を感じてきた。

 彼女のサボり道具であるソレを、今日までほぼ借りパクしていたわけだし、そのことを失念していたわけだし。


 それに、思えば、あの鍵のおかげで、楓と一緒に夜景を見れたという恩もある。

 見れたことで、いくつか、ハッキリしたこともあった。


 ということを、物理的借りの件と同時に、僕は思い出した。

 思い出してしまったので、


「……楓とのことなんだけどさ」


 まあ、一応。僕は如月に、楓との間にあったことを、伝えようと思った。


「楓と話し合って……というか、お互いの気持ちを確認しあって、とりあえず、一段落したから。というわけで、なんだ。本当、お世話になったというか」

「あは。なになに、急に改まっちゃってさ」

 とか、如月は笑う。

「いや、だって。心配してくれてたんでしょ?」

「うん、まあ。どっちかっていうと、楓の心配をね」


 でも、と如月は続ける。


「陽平くんのことも、ちょっと気がかりだったかな。実はさ、その話、だいたい楓から聞いてたから」

「……そりゃ、そうだよな」

「うん。付き合わない、ってことになったって。ちゃんと、話したって。……となるとさ、完璧に失恋した男が一人、生れ落ちるわけじゃん? この世に。それって、結構、危ないことなんじゃないかな、とか考えてたから」

 僕のこと、誤って生まれた怪物みたいに言ってるように聞こえたが、いったん、スルーを決め込んだ。

「ま、今日手伝いに呼んだ理由とは、また別なんだけどね。それは。単純にこき使えそうと思っただけだから」

「如月さん、正直すぎるのも罪だよ」

 言ってやった。すると、如月はまた笑う。

「まーまー。少年よ、元気出せって」

 そう言って、僕の背中を思いっきり叩く。直前に飲んでいたコーラ、ちょっと吹いた。

「あッ……あのなあ」コーラでぬれた口元をぬぐう。「急に、叩かないでくれよ」


 それから如月は、何が可笑しかったのか分からないが、ひとしきり笑って、落ち着いたかと思えば、また僕の顔を覗き込んで、笑った。

 なんだよ、と返すと、陽平くんツボかも、とか言う。

 いつのなんのどれが彼女の琴線に触れたのか、分からなかった。


「いっぱい出ましたねえ」

 如月が、ポケットティッシュを一枚、僕に差し出しながら言った。

「だ、誰のせいだよ」

 僕はそれを受け取り、膝上にこぼれたコーラを拭いた。


「いやはや。安心する、ねえ」と一言、彼女が呟いた。

「え?」

「いや。……安心する、って楓が言ってたから。陽平くんといると」


 記憶をたどって、そういや言われたな、と思い出す。ついでに、勢いで楓を抱きしめたことまで思い出して、ちょっとだけ恥ずかしくなった。


「それ、なんとなく分かるな、って今思った。陽平くんは、聞き上手だし、リアクションが良いんだ」

「……褒められてるんだよね?」

「もちろんだよ」彼女は缶ジュースを、最後まで飲み切ったようだった。中身が残ってないかを確認するために、右手で缶を軽く振る動作をした。「話してて、楽だ。余計なことも言わないし、求めてこないし」

「それって、都合がいい、って風にも聞こえる」

「若干、そう言ってる。でも、アタシの前の彼氏は、ほんと逆で大変だったからさ。いいよ、君みたいな人間のほうが。絶対」

「そう」


 前の彼氏、というワードにちょっとだけ皮膚が敏感に反応した。

 生々しい恋愛がらみの話題に、抵抗があまりないのだ。だって、あんまり恋愛したこと無いから。


「……やっぱ、楓はその辺、おこちゃまなんだろうな。君もかもしれないけど」

「なにが?」

「人と恋愛することに、期待しすぎ。ドキドキするとかよりも、安心する、とか、楽、とかのほうが絶対重要だと思うんだよ、アタシ」


 ずっと話し続ける如月が気持ちよさそうで、というと語弊があるけど、このまま話し続けてほしいな、という気持ちになってしまったので、僕はうなずきだけ返した。


「だからね。……というか、だからこそ、かな」


 如月は、一呼吸おいて、夕闇の空を仰ぎながら、


「アタシ、ちょっとだけ、残念だったなあ」


 言った。

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