幕間
035 岡崎陽平
「ってなわけで、まあ、なんだ」
「今日から、お世話になりまぁす!」
「つーことでな、今日からお世話してやれ、陽平」
「だぁ! 晴喜くん! 何その言い方、まるで人をペットみたいにぃ!」
はてさて、これは一体どういう状況なのだろう。
「ばっか。ジョークだよ、ジョーク。まあ、どっちかって言えば、お世話してやる方だしな、俺ら」
「たしかに!」
「陽平、なんか欲しいものあるか?」
「痒いところありますか?」
「…………」
「……あのさ、お前ら」
「なんだ?」
「なぁに?」
「……僕をなんだと思ってるの」
「幼馴染との関係を失ったさびしき童貞」
「孤独を選択した気高き青年」
「そして俺たちは」「私たちは、そんな友人を心配する」
「「心優しきクラスメイト」」
「さては、バカにしてんな?」
そんなこたあねぇよ、と峰岸が半笑いで言う。
その隣で、なずなが鼻で笑った。
「オッケ。戦争だ、お前ら」
「おぉ、かかってこいよ! 未来の野球部エースが相手してやらあ!」
「私も加勢するよ、晴喜くん! 水泳バッグ、準備よーし!」
二対一は卑怯だろ、と僕は反論した。奇数なんだからしゃあねぇだろ、と峰岸が吠える。そうだそうだ、となずなが椅子の上から野次を飛ばす。
なんだこの状況は。
昨日までの、僕と峰岸の二人だけの放課後に、
「ま、とにかく、だ。今日から三人、仲良くやっていこうや。陽平よ」
「そういうわけだよ。岡崎くん」
今日から、新メンバーが加わった。
……らしい。
***
僕のクラス。放課後の二年三組の教室は、峰岸と二人で無駄話をするためにあると言っても過言ではない。
だいたいのクラスメイトは部活動に所属しているし、そうじゃなくても、わざわざ教室に残る理由がない。だから、ほぼ毎日、貸切。今日だって、峰岸との素敵な放課後ライフを満喫中……なのは、今じゃもう昔の話になったという。
いつも通り、帰りのホームルームが終わり、他のクラスメイトが部活動や何やらで教室を後にする中、僕は峰岸の席まで行き、前の席の椅子に腰掛けた。すると、だ。その隣に、至極当然のような顔をしたなずなが、ちょこんと鎮座していたのである。
最初は、何故だ、と思った。
が、すぐに、昨日の峰岸との会話を思い出して、一人合点した。
この状況から察するに、なずなが「峰岸のお相手さん」ってわけだ。
「しかしまあ、峰岸が、なずなと、ねぇ……」
隣同士座る二人を交互に見やって、やはり首を傾げた。どこからどうみても、違和感しかない。あの万年童貞の峰岸が、ロリ巨乳と名高い畑中なずなと、そういう関係だなんて……。月とスッポン、いや、スーパームーンとカメアタマ、ぐらいの差がある。実際、峰岸なんて、本体がカメアタマといっても相違ないのだから、これはもはや、比喩というより写実描写だ。ちなみに、なずなの豊満な胸をスーパームーンと表現したわけじゃない、という点だけ急いで補足しておく。
「いっとくが、陽平よ」ビシッと右手のひらを前へと突き出して峰岸がいう。「まだ、そういう関係じゃないぜ、俺たち。だよな?」
「うん。違うね。まだだね」
息を合わせたかのようなテンポで、二人は言った。
「まだ、って、なに」
「あ、一応言っとくけど、肉体関係の話じゃねーぜ。付き合ってない、ってことだからな」
「わ、わーってるよ!」
そう張り上げがちに声を出してツッコむ。ちらりと、なずなに目をやったが、彼女は斜め下を向いて頬を赤らめていた。多分、肉体関係、というワードに対する照れだろう。峰岸、ほぼ彼女みたいなやつを隣に置いておきながら、よくまあそういうストレートなこと言えるよなあ。
「ん、や。今のだとあれか。肉体関係はもうあるけど付き合ってはない、って聞こえ方になるか? それはマズイな。断っておくが、俺はまだ童貞だぜ」
「お前、もう黙っとけよ」
こいつの口を縫い付けてやりたい、と思った。なずなの為にも。
やれやれと、僕は自分の眉間をつまみながら、言う。
「で」閑話休題。「いろいろ聞きたいことがあるんだが。まず、だ」
「おう」「なに?」
「二人で帰んねーの?」
第一にして至極まっとうな疑問をぶつけた。交際間近の関係性ならば、上手いこと言って僕を放っておいて、二人きりの時間を作るべきだ、と思った。し、お互いにそれを望んでいるだろう。
が、しかし。
「うん。帰らない」「岡崎くんと三人で帰る」
二人は、こう、即答した。
「ホワイ? 何故?」
「畑中と同じくらい、陽平と過ごしてぇから」
「私も、岡崎くんと晴喜くんの三人がいい」
……なんだ、この変態カッポーは。意味不明だった。
「……なんだか、お似合いに見えてきたよ……」
ボソリと本音を零して、続いての質問を投げる。
「じゃあ、お前ら、いつ付き合うの?」
「え?」
「……僕と一緒に帰ったりさ、そういうことしてると、付き合うタイミング逃すんじゃないの。もう両思いなんだろ? みてる感じ」
「まあ、両思いだね」「両思いです」
その即答、腹たつなぁ。
「なら僕なんて気にせず、二人で帰れよ。僕もそっちのがいい。ってなわけで、じゃあな」
とりあえずそう言って、荷物を持って席を立った。別に、嫉妬心だとかがあったわけではなく、シンプルに二人のためを思っての行動のつもりだった。
が、あえなく、僕は二人に引き止められてしまった。
シャツの背中部分を、二人揃ってギュウッとつかんでやがる。一歩も先に進めん。眼前に出入り口のドアがあり、それを右に引くだけで、その先は廊下なのだが、この調子だとドアの取っ手に手もかけられそうにない。
なんという吸引力。
「……離してくれ」
「やだ」
「俺らは三人で帰るんだい!」
「そうだい! 三人で買い食いしながら帰るんだい!」
引っ張られる力が強くなっていく。気をぬくと、背中から倒れそうだ。全く、これはどういう類の拷問だ? あ、そうか、拷問なのか、これ。二人のいちゃつきを永遠見せつけられるという、新手の拷問。
ははん。バカップルめ。そういう魂胆か。
「お前らの考えが読めたぞ! その手には乗るもんか!」
引っ張られる力に負けないよう、僕は一歩強く踏み出した。姿勢が前のめりになる。
「考え? ちょっと待てよ、陽平。俺らに考えなんてねーぞ。これは、シンプルな友情表現であってだなあ!」
吸引力が強くなる。重心が後ろ側へと引き戻される。
「お前、僕よりも先に彼女が出来そうだからって、調子に乗るのも大概にしろよなぁ!」
負けじと、重心を前に戻す。
「調子に乗ってねえよ! 心外だ! いいから、俺らに付き合え!」
引っ張られる力と踏み込む力が、ちょうど拮抗する。
「い、や、だぁ!」
その、時だった。
眼前、ドアが開いた。
「え?」
と声を出したのは、ドアを開けた主。続けて、僕、峰岸、なずなの順に「え」と声を上げて、そのまま、僕を引っ張る力が、
「あ、うわっ、ちょっ、」
解かれた。
結果。
「ひゃあっ!」
「あわぁっ!」
僕の顔は、ドアの前にいた生徒の胸元へとダイブ。
これは、いわゆる。
「ラッキー」「スケベ」
峰岸となずなが、言った。
言ってる場合か、と急いで彼女の胸元から顔を上げる。が、時すでに遅し。目の前の彼女は、どうやら、
「……よ……」相当、ご立腹の様子だった。「よーへいの……ば、ばかやろー!」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
そんな彼女を僕は引き止めるべく、名前を呼んだ。
「楓!」
慌てて、僕は後を追って廊下へ飛び出していく。教室を出て、右折。そしてすぐ、僕は足を止めた。
数メートル先で、楓もまた、足を止めていたのである。
くるり、楓が振り返った。それから、僕に人差し指を突きつけて、声を張り上げた。
「私たちの丁度いい距離感って、こういうことじゃないと思う!」
対して、僕は思ったままに言う。
「めちゃくちゃ、仰るとおりです!」
***
楓と僕。昨晩ぶりのご対面。廊下にて、向かい合わせ。
「あーあ。せっかく、帰りの挨拶にきてあげたのにな」
いじけるように、楓が視線を下へ向けながら言った。
「……すめん」
「人のおっぱいに顔こすりつけておいて、ごめんで済むかぁ! ばか!」
「……じゃあ、お返しに」
そう言って、僕は胸元を突き出した。
「求めてないやい!」
「はは、ですよねー」
乾いた笑いで茶化しながら、楓の様子を伺う。視線は相変わらず僕から逸れているけれど、口角が緩く上がっているのを発見して、なんだ怒っているわけじゃないんだ、と思った。
「……ま、いいけど」
そう言って、楓が顔を上げた。
「私さ、今日、美紀と帰るね」
その言葉に、僕の口角も緩く上がった。一緒に帰れないことに対する強がり、ではない。
今のセリフが、楓の「宣言」に聞こえたからだ。
「今日、ってか、今日から」
楓の頬が緩む。
「私、昨日から、ちゃんと考えて。美紀にも話して、こういうことにするように、したから」
そうか、と僕は頷く。
「よーへいとの丁度いい距離感。探そう、って私、決めたから。今までみたいに、よーへいに依存しっぱなしの私から、変わろうって」
昨日。屋上で二人で交わした約束。について、楓なりに考えたということらしい。僕はまだ楓のことが好きで、その気持ちは変わらなくて、でも楓は僕に友情を求めてきていて──そういう絡まり合った双方の情を正すための、楓なりの案。
今まではずっと一緒に帰宅していた。それは楓が僕に「今まで通りの友情を求めていたから」なわけだが、そのことが僕の恋慕を増幅させてしまったのも事実で、有耶無耶なままの未練があり続けてしまった原因にもなっているわけで。
だとすれば、とりあえず一旦は、「一緒に帰る」という関係性を断ち切ってみる。そこから始めてみる。という彼女の判断は、正しいと思えた。
「いいんじゃないか」
僕は、素直にそう言った。
正しい。と賛同できるからこそ、彼女の決断に応えるべきだと思い、大きく頷いたのだ。
「でしょ?」楓がニッコリと笑った。「だから、よーへいも、私に依存するのやめるんだぞー! 早く乳離れしなさい!」
乳離れ、って楓よ。ちょっとジョークにしては生々しいぞ。さっきのラッキースケベを遠回しに咎めているつもりなのかもしれないけれど。あの感触がまだ顔に残ってるせいで、余計生々しく以下略。
えーっと、ごほん。咳払い、一つ。
「だから」言って、僕も笑う。「育てられた覚えはねーっての!」
「そーだったね。一緒に育ったんでした!」
にっ、と満面の笑みを残して、楓は僕に背を向けた。
そのまま、廊下の奥へと走っていく。その彼女が走っていった方向に、見慣れた長髪の姿があった。如月だった。彼女は、真顔でこちらへと手を振っていた。多分、楓に対して、だと思う。けど、一瞬、目があったような気もした。
と、僕は、如月と楓に意識が奪われていたので、
「おい、陽平」
すぐ背後に、峰岸と、
「岡崎くん」
なずなが立っていることに、名前を呼ばれるまで気づかなかった。
「……な」振り返る。「なんでしょう」
「いつ、楓ちゃんと仲直りしたんだよ」
あーえっと、と少しだけ濁しながら、
「昨日です」
と正直に白状。
すると、なぜだか、峰岸もなずなも、額に右手を当てて上を向いた。どういう反応なんだ、それは。何が、あちゃー、なんだろう。
「陽平。話がある」
そのままの体勢で、峰岸が言った。
「そうだね。岡崎くんに、ちゃんと、言うべきこと、あるよね。晴喜くん」
そう言って、二人はゆっくりと姿勢を元に戻したのち、お互い視線を交わして、頷いた。
「俺たち。峰岸晴喜と畑中なずなは、付き合うことになりました」
「よろしくね、岡崎くん」
これまた、僕は思ったままに、言うことにした。
「やべえ。全然、展開についていけねえ」
「ついてこいよ。簡単なことだろ。俺に彼女が出来たって、ただそれだけの話だよ」
「さっきまで付き合ってなかっただろ」
「さっきまでは、な」
「この数分で何があったんだよ」
「お前と楓ちゃんが仲直りしていることを知った」
だから、なんだってんだよ。
「分かってねえなあ。お前と楓ちゃんが疎遠になっちゃった、って話はよ、俺の現在と未来を書きかえるほど、重大な懸念事項だった、ってことなわけよ」
もう一度言おう。それが、なんだってんだよ。
「……ま、分かんなくてもいいか。もう事は済んだワケだし」
「よかねぇよ。ちゃんと説明しろ」
まぁまぁ、となずなが僕と峰岸の間を割って入ってくる。
「とにかく、そろそろ帰ろ?」
「ああ。さっさと帰れ、お前ら」
「何言ってんだよ。三人一緒だって言ったろ」
「そこは変わってねえの?」
「うん。変わってない。よーし! アイス食べながら帰ろー!」
なずなが、そう言って、走り出して行く。それを追いかけるように、峰岸も駆けていった。僕は、後を追うわけではなく、しかし帰り道が一緒なので、結果的に同じ方向へと歩き出した。
やっぱり、なんなのだろう。この状況。
峰岸が僕の日常を踏み荒すかのように、傍若無人に振る舞って、僕はそれにゼェゼェ言いながら着いて行って、けれど不思議と心地がいい。そういう騒がしさが今日もまた、ここにある。しかし今までとは違う放課後の匂い。新しい今日、だった。
なずなが加わったからか。
それとも──君が、ここにいないからか。
昨日、屋上で交わした約束。
ちゃんと、幼馴染になろう。
僕たちだけの、距離を見つけよう。
その結果、僕たちは、別々の放課後を選んだ、というわけで。多分、放課後に限らず、隣にいながらも、「隣」の意味を探りながら、変えながら、「一緒に」生きていく。そういう選択をしたわけで。
そういう新しい今日を、迎えたわけで。
「……どうだ、僕。これで、満足か」
後悔は、なくなったかい。僕よ。
「……分かんねーな」
そう。結局のところ、答えはまだ出ていないんだ。これから共に見つけ出そうよ、というスタートラインに立っただけなのだ。
でも間違いなく言えるのは、楓との十年間は失われなかった。あの告白で、僕たちが永遠に離れ離れになることは、避けられた。それだけでも十分すぎる気が、今はしている。
だから、僕は。
「待てよ、峰岸! なずな!」
彼と、彼女の後を追う。
二人に追いつこうと、早足で駆けて行く。
変わっていく関係と、変わらない関係と、変わるべき関係が、今の僕にはあって、それらすべてが、尊い。それらすべてを、大切にしたいと思っている。
ただし君がここにいなくても、君とだけの関係を見つけたい僕がここにある。
そう気づけた僕がここにある。
季節は巡る。
僕たちと、僕たちの関係性は少しずつ、成長していくのだろう。
今は、そう、強く思えた。
「3回会えたらシようよ私と」「あ、おう。は?」
第二章
〈ただし君はここにいない〉編 幕。
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