032「離れてみるとあっけない」「──そう思った」
夏の夜。
等間隔に並ぶ電柱。
上がりっぱなしの遮断機。
超えて、しばらくして、交差点。
点滅する信号。
足を止める、私。と彼。
着替えたばかりの服に滲む汗。
隣、制服。
向こう岸の光は、赤から青へ。
歩き出す、彼。と私。
放課からもう五時間の通学路。
を、行く。
「どこまで?」
私は尋ねる。
「行ったろ。これから登校だって」
彼が答える。冗談まじりに、小さく笑って。
「まさか」
「……うん。僕もまさか、本当に行くことになるとは思わなかったけど」
それから、彼は右手を挙げて、眼前を指さした。
「着いたよ」
その方向、見慣れた建物。
「……高校、じゃん」
私は、呆気にとられてしまった。まさか、ともう一度繰り返したくなる。
この街で一番高い場所に行かないか。
彼は私をそう言って、誘った。具体的な目的地は教えてくれなかった。なるほど。その理由が、これか。
最初から「夜の高校へ行こう」と言われていたら、当然、私は断っていたもんな。
「よーへい」彼の名を呼ぶ。「本気?」
「うん。本気」
「……不法侵入だよ?」
「そうなるね」
「見つかったら、ただじゃ済まないよ」
彼の返事は無かった。
彼が、自分よりも背の高い門によじ登り始めた。間も無く、門の頂上。振り返り、私を見下ろした。
「楓」私の名を呼ぶ。「行こう」
「よーへいって、いつの間にそんな不良になっちゃったの」
「どうだろう。今さっき、じゃないかな」
「そんな子に育てた覚えはないんだけどな」
ははは、と彼は笑った。
「育てられた覚えはない。一緒に育ったんだろ」
「……」
「行こう。楓」
一緒に育った、その言葉が私の中で色濃く印象付いた。そうだね。私たちは、この十年間、いつだって一緒だった。同じ時間や経験を共有してきた。一緒に育った、ようなもんだと思う。ほとんど同じ人間みたいに感じていた時期もあったろう。
この街で、私たちは十年間、一緒だった。
私の家から、高校へ来るまでの間に通り過ぎた見慣れた街並み。私たちが小学生の頃からほとんど変わらずに在り続ける街だ。それでも変わってしまったところもあって、例えば、駅前のコンビニが五年くらい前に一軒増えて二軒になったり、例えば、三丁目のパン屋が潰れて跡地にコインランドリーが出来たり。例えば、高校斜向かいの書店が山岸おばちゃんの個人経営から有名企業の店舗に変わったし、例えば、書店の隣の空き地が駐車場になったりした。
この街は変わらないまま、少しずつ変化しているのだろう。
それに。例えば、この街に住む私たちだって。
陽平をじっと見る。
いつしか、彼は男として、思春期を迎えていた。同じようにして、私はどんどんと女になっていった。そういえば出会った頃は、たまに手を繋ぐことがあったっけ。けれどすぐに私はそれが照れ臭くなって、陽平が手を握ろうとするたびに拒否ってたような気がする。思えば、私の方が、はやく女になっちゃっていたのかもしれない。
そうして今やもう、私たちは、立派な男と女だ。
彼は私のことが好きだ、と言った。私に恋をしている、と言った。
私は、そんな彼の気持ちを、受け取ることが出来なかった。
どうしてこうなっちゃったかな。なるべくしてなっちゃったのかな。避けられないことだったのかな。そういうこと、この期に及んで、思ってしまう。
「ほら」
彼がもう一度、私を誘うように、声を出す。そして、門が設置された塀の上に移動し、手を伸ばした。
それをなんだか、不思議と懐かしいと思ってしまった。
小学生の頃。陽平と私は一緒に、この街のいろんな場所を巡った。公園、河川敷、駅、神社、入っちゃダメって言われていた藪の中。
どれもこれも全部、私が行こう、って言ったんじゃなくて、陽平が私を連れ回したんだっけか。探検家の真似事のつもりだったのかもしれない。時には足元の悪い少々危険な場所にも行った。高い場所に登る時は、あぶないよ、きをつけて、と言って、私を引っぱりあげてくれた。
そういう記憶が、蘇る。そういう記憶と、目の前の陽平が重なった。
「……よーへい」
「なに?」
「……。知らないからね」
「何が?」
「私は無関係だから。何かあったら、よーへいが全部責任とってよね」
彼が、はは、と笑った。笑い事じゃないよ。犯罪なんだからね、これ。
「いいよ」
彼はそう頷いて、私の手を取る。
それから、
「危ないよ。気をつけて」
言った。
私は思う。
君は、変わらないな。
もちろん、変わっていないで欲しい、そう願う気持ちがあったからこそ、そうやって胸中でこぼしたのだけれど。でも、やっぱり、はっきり、断言させて。君は変わっていないよ。私を連れ回すところ、あの頃のまんまじゃないか。
門の内側、高校の敷地内へと、ついに足を踏み入れて、私は彼の横顔を見た。
「……ねえ」
「ん」
「……はやく、行こうよ。よーへい」
彼の最終目的地はどこか分からない。さっき見せられたキーチェーンから、概ね検討はつくけれど、でも行ってみないと分からない。彼の考えが、まだボンヤリとしか理解できない。
理解したい。答え合わせがしたい。
だから。
この先で、ちゃんと、答え合わせをしよう。彼と。
私は彼と向き合って、全部を話そう。
***
僕は楓と向き合って、全部を話そうと思う。
校舎の外壁に沿って設置されている屋外階段を登りながら、そう決心していた。
四階まで上がる。すると、校舎内に入る扉に突き当たった。ポケットから、如月に借りたキーチェーンを取り出し、扉の鍵穴に挿入。どれがどこの鍵なのかは判別つかなかったから、三本目の鍵でようやっと解錠できた。校舎内へと入る。
屋上へは、四階から続く屋内階段で行くことができる。普段は立ち入り禁止の場所。扉の先へと行ったことがある生徒は、そう多くないだろう。
「はじめて」楓が言った。「屋上、行くの」
「まあ、だよね」
「よーへいは、はじめてじゃないんだ?」
「如月さんに、教えてもらったから」
「……朱に交われば赤くなる」
「確かに。彼女は不良娘だ」
僕の言葉に、楓が小さく口角を上げた。
扉の鍵穴に鍵を挿入。今度は一本目で、解錠できた。
開扉。
その向こうに見えた、夜景。
「……ここ?」楓が尋ねた。「この街で一番高い場所、って」
「そうだよ」
頷く。
「ここに来たかったんだ?」
「うん。そうだね」
「私と?」
「……うん。そうだよ」
ふぅん、と楓が納得したのかどうなのか、曖昧な相槌を打った。
「夜景が見たかったんだ。楓と」
「……そうなんだ」
屋上へ、一歩踏み出す。上を見れば、屋上の出入り口、扉の上には壁から突き出る形の屋根があって、視界の邪魔をしていた。もう二歩、三歩踏み出して、ようやく視界が開けた。頭上には満天の夜空と、目の前には光を放つ街並み。
二人揃って、沈黙のまま、外周を囲う柵の手前まで歩いていく。そこから地上を見下ろす。
この街が、一望できた。
隣の楓をチラと見る。彼女は黙ったまんま、表情を変えずに夜の街を眺めていた。
「……ねぇ」
楓が口を開いた。
「なに」
「私、この街を遠くから見たの、初めて」
「そうなるか」
うん、と頷いて、彼女は続けた。
「……これさ、変な意味じゃないんだけど」
「うん」
「今ね。こんなもんか、って思ってる」
「こんなもん?」
「うん。……あのね、なんだろう。すごく、言葉にするの難しいんだけど」
言ってよ、と僕は言った。
「……てか」楓が僕の方を振り向いた。「……もしかして私、せっかく連れてきてもらったのに機嫌悪そうにしてる性悪女になってる? 今」
僕は笑った。
「ごめん、それ思っちゃった。なってるよ」
「……やっば。訂正させて。ワァ、キレイ」
「もう遅い」
「むう」
楓も笑った。ここへ来て、初めて笑顔を見たから、僕は少し安心した。
「……よかった」
「ん?」
「楓、迷惑してるかな、って思っちゃった。ずっと、笑わないから」
「……はは。迷惑はしてるよ。犯罪に付き合わせやがって。しかも、真夜中」
「まあ、ですよね」
「そだよ」
「むう」
「真似すんな、ばか!」
もう一度、楓が笑った。これもまた、久しぶり、の感覚だ。僕、今、楓と二人で笑い合っている。
でも、と楓が口を開いた。
「……迷惑してるけど、なんか懐かしいから、いいや」
懐かしい? と聞き返す。
「うん。……昔、よく二人で、いろんなとこ行ったじゃん。よーへいが、私を連れ回してさ」
「……あったな。そんなことも」
「あの頃を思い出して、超ノスタルジー、って感じになってる」
「のすたるじい」
「うん。のすたるじい」
楓がくるり、夜景に背を向けて、柵に背中からもたれかかった。
「てか、なんの話してたっけ?」
「こんなもんか、って」
「あ、そだそだ。それ」
楓が顔だけを僕の方へ向ける。
「よーへいは、思わない? 私たちが住んでいる街。いつもは至近距離で見ている街並みもさ、こうやって俯瞰で見ると、こんなもんなのかって」
「そうだな」誤魔化すように笑って言う。「僕は、綺麗な夜景だなって……」
「……そっか」
「……言って欲しかったんだけど。楓に」
本音を吐く。楓がバツの悪そうな顔をして、言う。
「……よねぇ。それは思ってた。私と見たかったんだもんね」
「まあ……うん」
でも、と僕が口を開いた。
「それ以上に、楓の本音が気になるよ。取り繕われても違うし、取り繕われたら困ったと思う。もう他人行儀な関係性じゃないしな、僕ら」
「あは。そうだ。その通りだ」
「そうだよ」
納得するように二度頷いて、楓は視線を上に動かした。
そして、
「離れてみるとあっけない」
そう言った。
「近づいているうちは、思い入れのある街に見えても、遠くから見れば、ただの景色になっちゃう」視線を変えず、楓が続ける。「私の本音。そう思った」
「哲学かな」
「うん。哲学かも」
「そっか。哲学は、僕には難しいな」
「よーへいだもんね」
どういう意味だよ、と言って、また二人笑いあった。
そうしてひとしきり笑いあって、冗談を言い合って、落ち着いた頃、楓が言った。
「私、よーへいと話したいことがある」
僕は少し黙ってから、頷いて、
「僕も、楓と話したいことがある」
そう返した。
「そっか」
「うん」
楓がクルリ振り返って、夜の街を見下ろした。
「……いいよ。じゃあ、話そうよ」
その隣で僕も、地上を見下ろす。
「うん。話そう」
二人、視線は夜景へと向いたまま。
「私、長谷部くんをフった」
「……知ってる。如月さんから聞いた」
「……。なんだ、そうだったんだ」
「うん。……訊いてもいいかな」
「うん。どうぞ」
「なんでフったの」
目線も顔も交わらないまま、
「難しい質問ですなあ」
「……だよね」
同じ方向を見たまま、
「自分がフった相手に、フった人の話をするのも、なあ」
「……段々と正直になってきたね。僕は今まさに傷つきましたけど」
会話は続く。
「あは、ごめんて。……よーへいと、理由は一緒だよ」
そこでようやく、僕は楓の方を向いた。
彼女はまだ景色の方を向いたままだった。
「……一緒?」
「ねぇ、よーへい」
そしてそのまま、楓がぼそり、呟くように、
「一年前のこと、覚えてる?」
「……一年前?」
「うん。私とよーへいが付き合って……別れて。そして──」
言う。
「──そのあとの私たちのこと」
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