025「やっと、声、出たね」「じょ、条件反射だ」
如月が一歩踏み出すたびに、チャラン、チャラン、と金属のぶつかる音が鳴る。彼女の手元に視線を移す。音の発生源は、その手に持たれた鍵、だ。学内の幾つかのスポットへ、侵入するための鍵。
「ついてきてくれてありがとね、陽平くん」
如月の背中をじっと見つめたまま、小さく頷く。彼女はずっと前を向いたままだから、僕の応対には気づかない。それでいいのだろう。僕がイエスを言おうがノーを言おうが、如月にとっては関係ないのだ。
「そんな君にさ、今日はとっておきの場所を教えてあげるよ」
彼女の後をついていく。階段を登る。
「二人きり、密談にもってこいの場所」
階段を登りきった場所。先のない踊り場に設置された、扉。
如月が、手元の鍵を挿入する。回転。鍵が開く音がしてすぐさま、ドアノブをひねり、開扉。
「ささ、行こう。陽平くん」
如月がそう言って、微笑む。
彼女の身体の向こう側、扉の先は──屋上だった。
***
「ここが、この街で一番高いところ」屋上の外周、転落防止のために設置された柵に背中を預けながら、如月が言った。「どうだい? 絶景でしょ?」
眼下に昇降口前のひらけたスペースと、正門。その外側にこの街が広がっている。立ち並ぶ一軒家、点々と設置された信号機、コンビニエンスストア。さらに奥側に駅や、小さな百貨店。牛丼チェーン。ポツンと存在する公園。
「陽が落ちれば、わりかし夜景が綺麗だったりするんだ。まあ、今は陽が長いから、見れないだろうけど」
「如月さんは、よく、ここに来るの?」
「たまーに。授業中とかね」
相変わらず、鍵の用途は「サボり」一筋なのだな。
「こいつを持ってるアタシだけの、秘密の場所」
そう言って、如月は見せつけるように鍵を挙げた。
「秘密なのに、僕に教えちゃっていいんだ?」
「用心深い君に信用してもらうためさ」
「信頼を得る手段がズレてる気がする」
「これはね、」鍵を胸ポケットにしまいながら、彼女は言った。「陽平くんと対等になるための誠意、なんだよ」
意味が分からなかったので、
「意味が分からない」
と言った。
「分かるでしょ。アタシしか知らないことを、陽平くんに教えたんだ。つまり次は、陽平くんしか知らないことを、アタシに教えて欲しい。そういう意味だよ」
「……なるほどね」
ズレている、という所感が覆ることは無かったが、彼女なりの誠意であることは理解した。
「しかし、だ。僕に話せることはないよ」
「……。ツレないねえ」
「そうだろ。何を訊きたいか知らないけど、答えられることなんてない。楓のこととなればなおさらだ。僕らはもう」
言いかけて、一瞬、言葉に詰まる。
「……。僕らは、もう、なんでもないんだから」
けれど、ちゃんと、最後まで言い切った。
「………………」
如月が黙ったまま、心情を伺うように、僕をじっと見ていた。心地悪い。
「……」
「……じゃあ、こういうのはどうかな?」
「なに」
僕が相槌を打つタイミングで、彼女は胸ポケットに手を突っ込んでいた。それから、鍵を取り出して、
「ほらっよっ」
僕に向かって投げた。チャラン、と音を立てて、それは地面に落ちた。拾い上げることなく、視線だけ落として、
「……これ、なんのつもり」
尋ねた。
「もういっちょ、アタシの誠意。教えるだけじゃなくて、くれてやろうと思って。秘密の場所。カケル四ヶ所分の鍵」
「……いらないんだけど」
「受け取ってよ」
分からなかった。如月は、僕に何を求めているんだろう。
秘密の鍵。これは、僕にとってガラクタに等しいが、彼女にとっては大事な「サボり道具」だろう。それを僕にくれてまで、何を喋って欲しいんだ。
「……如月さん」
「なぁに?」
「僕に、何を訊きたいの?」
「お、いいね。喋ってくれる気になった?」
「違う。てか、何を喋ったらいいのかすら分かんないから、せめて教えてくれ、って言ってるんだけど」
ふふ、と笑って如月は視線を地面へと落とした。そして、
「安心しなよ」
いつも通りの台詞を吐いた。
「陽平くんにとっての不都合は無いはずだからさ」
「…………」
「アタシはただ、楓の事が心配なだけなんだよ」
「………………」
「だから、君に協力を要請したい。それだけ」
「………………」
僕が黙ったまま耳を傾けていると、彼女が視線を上げて、続けた。
「長谷部をフッた。そう、言ったでしょ?」
ついに、本題に入った、と身構える。相変わらず僕は、沈黙を貫いていた。
「その理由が、陽平くんには分かるんじゃないかな、と思ったんだけど」
「……」なんだそれ。分かるわけなかろう。
「だってさ、楓は陽平くんのこともフッたわけじゃん? なのに、なんで長谷部もフるのさ」
「……」告白の日を思い出して、胃が痛くなる。が、なるべく表情を保ったまま、無言。
「普通、二者択一なんじゃないの? そゆのって。どっちかを選ぶもんなんじゃないの?」
「……」普通、なんて人の数ほどあるんだ。両方フるのが普通でもいいだろう、と思った。
「で、アタシは考えたわけさ。……楓ってさ、やっぱり──」
そして、如月は人差し指を僕めがけて、突き立てて、
「──陽平くんのことが、好きなんじゃないのかな、って」
言った。
「は?」
思わず、声が出た。出てしまった。
「やっと、」嬉しそうに如月が言う。「声、出たね」
「じょ、条件反射だ」
「感じてくれたんだ?」
「なんでヤらしく言うんだよ」
ハハハ、と如月が笑う。
「で、どう思う?」
「何が」
「楓、陽平くんのこと、好きだと思う?」
「…………」
何馬鹿げた事を言ってんだろう、と軽蔑しかける。僕はフラれているんだ。その事実がある以上、そんなわけがなかろう。
「アタシね。最初からそう思ってたんだよ。楓が長谷部に告られる前から、いつだってあいつの話題は、幼馴染のことばっか。アタシが知らない男の話ばっか。それって、好きなんじゃないの、って。ずっと思ってた。一度、言ったこともあるよ。楓は否定したけどさ」
「…………ほら、否定してるじゃないか」
「口では何とでも言えるでしょ? ここで大事なのは、心の方」
今となっては、大事なのは心よりも、僕がフラれたという事実の方ではないだろうか。それが覆ることはないのだ。楓が僕のことを好きなんてことは、どうしたって、ありえない。
「じゃあさ、仮に──」
如月が首を傾ける。
「──楓が自覚してない、としたら?」
「え?」
どういうことだ、と思った。
「あいつ、恋したこと、ないんでしょ? 彼氏だって、いたことないって。……そうなんだよね?」
黙って頷く。今はそういうことにしておこう、と思った。一ヶ月だけ僕と付き合っていた時期がある、という事実を伝えるのは、話をややこしくする気がした。
「だったらありえるよ。楓は、恋と情の区別をつけられない子供なんだとしたら、ありえる。陽平くんへの恋心を、無印の情だって思い込んでいるだけ。もっと言えば、その気持ちを恋心と名付けてしまったら、関係が壊れるかもしれない、そういう面倒な悩みを抱えているのかもしれない。本当は好きなのに、好きじゃないことにしたのかもしれない」
「………………」
「そうすれば、合点がいかない? 君の告白を受け入れなかったのは、君との関係を壊したくなかったから。長谷部をフッたのは、本当は君が好きだから」
「……お、おい」
「そういう面倒くさい女なんだよ、あいつは。幼稚な奴なんだよ。アタシにはそう見える。だって、君をフッてから……いや、君と疎遠になってから、楓はずっと落ち込んだままなんだよ。ずっと、暗いんだ。健気に明るく振舞おうとしているけど、明らかに前とは違う。皮肉な話だよね、君との関係が続くことを願ったのに、君とは離れ離れになってしまった」
「…………ちょっと、」
「そんな楓を見てるのは、もうまっぴらなんだよ。だから、アタシは君を呼び出した。君に助けを求めに来た。……楓の本当の気持ちを、君に背負って欲しくて」
「…………ちょっと待てよ」
「陽平くんに、楓のことを──」
「ちょっと待ってくれって!!!」
我慢ならなかった。だから、叫んでしまった。屋上全体で、声が反響した。一瞬、静寂が生まれた。
如月の目に、視線をやる。
彼女は、僕を一直線に見つめていた。
「……なに。陽平くんも、楓と同じってわけ」
「……同じ、ってなんだよ」
「現状を直視できずにいる、幼稚なヤツだって言ってんの。それが、自分たちを不幸にしているってことに気づかずに、ずっと目を逸らし続けてる」
「……誰が決めたんだよ。その現状、って」
「君たち自身が決めたんでしょ」
「違うだろ……如月が、勝手にそう思い込んでるだけだ」
「アタシは確信してる。君たちが……」
「如月だって、同じじゃないか!」
如月が黙り込んだ。僕は続ける。
「君だって、楓が僕のことを好きだったら良かったのに、って都合よく考えているだけだ。楓に元気が無い、って、そんなこと今の僕は知らないけどさ、その原因が僕にあればいいのに、って思っているだけだろ。本当は、別のところに理由があるのかもしれないのに。そういう現状から目を背けている……ほら、如月だって、同じだろ」
「…………」
「もう、やめてくれよ。終わったことなんだよ、全部」
「…………終わった?」
「そうだよ。僕が、楓に告白して、フラれた。それで全部終わったんだ。なのに、君は」
「本当に、そうなの?」
その問いかけに、何を言っても無駄だ、堂々巡りだ、と諦めの気持ちが湧き上がる。
「陽平くんは、フラれたことで、全部終わったと思っているわけ?」
「……思ってる、じゃない。事実だ」
「楓との、関係性が、終わったって? そう、思ってるんだ」
「……だって、そうだろ」
「楓との十年間が、全部、なくなっちゃったって、そう思ってるんだ!?」
もう、やめてくれ。
言いたくて、言えない。
僕たち二人で、僕たち二人の関係性を終えてしまったのは、もう決まってしまったことなんだ。今更、部外者に口を出されたくなかった。
「……分かった」
如月が、か細い声で、そう言った。
「もう、いいや。……ごめんね、陽平くん」
彼女が歩き出す。僕の隣を通り過ぎていく。しばらくして、背後で扉の開く音が聞こえた。
「でも、」背を向けたまま、如月の声に耳を傾ける。「これだけは、覚えといてよ」
頷くことも、振り返ることもせず、立ち尽くしたまま、彼女の言葉の続きを待った。
「アタシはね、楓のことが好きなんだよ」
視線を落とす。そこには、拾われることのなかった、鍵が落ちていた。
「楓のこと、悲しませたくないんだ。もう」
そして、彼女の去り際、最後のセリフ、
「……だから、勝手に終わりにしないで。楓とのこと」
如月が言い残していったそれが、僕の頭の中で、何度も何度も、反響した。
彼女が去ってから、どれくらい時間が経っただろう。
ようやく、屋上を後にする決心がついて、僕は鍵を拾い上げた。それを、ポケットにしまう。今更、これを如月に返しに行くのは、億劫だった。なんだか、彼女にあわす顔も無くなってしまった。
「……どうしろってんだよ……」
呟く。
本当に、僕はどうしたらいいんだろう。如月の妄言を信じるつもりはない。楓への気持ちを忘れようとしている自分を否定することだって、まっぴらごめんだ。
けれど。
「……僕は……どうしたら……。ふざけんなよ……あの女……」
またしても、胸の内に空いた穴から、特大の感情が湧き上がってきてしまった。
楓のことが、やっぱり、好きだ。
まだ好きだ。
楓との日々が恋しい。今だって、楓と、話したい。
「……終わりにしただろ……。終わりにしたんだよ……」
頬を、一筋の涙が伝う。
僕は、楓への恋心を終わりにできない自分に、気づいていた。
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