021「そ、そうでもないぞ」「……。やっぱり、なんかおかしい」

 いま思えば、あの日は、長い一日だった。


 楓とのデート。告白。フラれ、強い雨にも降られて、現実から逃げるようにたどり着いたなぎさ公園で、びちこと再会した。雨宿り。いくつかの会話を経て、彼女から「伏線」を預かった。文庫本。なんだか期待しているみたいでバカだけれど、あれから二週間経った今でも、常に携帯している。


 その小説だが、まだ一ページも読んでいない。元々、読書はあまり好きじゃないのだ。ぼちぼち読んでみようかなぁ、と思う瞬間もあるけれど、やはり億劫になって、結局表紙すら開かないまま。今度びちこに会った時、感想を聞かれたらどうしようか、と若干後ろめたくもなるが、二度目の再会は今のところ無い。し、接点のない二人が、この広い街の中でたまたま出会うなんて、そうそうあることじゃないから、まあ、焦ることはないだろう。


 峰岸は相変わらず、元気だ。


 楓との関係性が断たれたことで、僕の交友関係のほとんどを彼が占めることになってしまったワケで、ともすれば、今まで以上に喧しい毎日になった。


 放課後になるたび、やれ「ゲーセン行こうぜ」だの、やれ「ボーリング行こうぜ」だの、時には「年齢詐称して相席居酒屋行ってみようぜ」だの非合法な誘いもされた。それは丁重にお断りしたのだが、その後の彼の駄々がまるで未就学児のそれだったから、少し鬱陶しかった。結果、折衷案でメイド喫茶にした。「折衷案になってねえよ」と峰岸はまた駄々をこねた。


 峰岸は僕の日常に、ズケズケと入りこんで、かき乱すことを辞めなかった。しかし、僕はそれを楽しいと思っていたから、拒絶することはなかった。


 それに、だ。


 彼は、大事な一線を、絶対に超えない。具体的に言えば、告白以降の僕と楓の関係には、一切口を挟まなかった。僕が触れて欲しくないところには、決して触れないで、隣にいてくれる。不服だが、いい友人を持った、と思う。


「ねえ、岡崎くん。小山さんと、なにかあった?」


 と、例の件に一番最初に触れたのは、意外にも隣の席のなずなだった。先週の火曜日。二時間目終わりの事だった。


 畑中はたなかなずな。丸いシルエットのショートヘアが似合う小柄な女子。確か、水泳部。まるで小動物のような愛らしさと、割に大きな胸が、一部の男子から寵愛されているクラスメイトだ。峰岸は裏で「ロリ巨乳」と呼んでいる。マジで失礼だと思う。


「い、いや。別に? 何も……」

「そう……。最近、一緒にいないから、不思議だったんだけど」


 その事に気づく方がよっぽど不思議だな、と思った。それほど、僕と楓がいつも一緒にいる印象が強いのだろうか。


「なんだろうな。あ、あいつ、彼氏でも出来たとか、そういうのがあるんじゃないかな?」


 テキトーに誤魔化す。それから、そういえば長谷部とはどうなったのかな、と思い出す。もちろん聞かされてないし、訊くタイミングも無かった。


「え、そうなの? 小山さん、彼氏いるの?」

「や、知らないけど……」

「ふーん」なずなが、何か考えるように斜め上に視線を動かしてから、続けた。「断言できないんだ。岡崎くん、小山さんのこと何でも知ってそうなのに」

「そ、そうでもないぞ」

「……。やっぱり、なんかおかしい」


 結論を言えば、なずなのその言葉を最後に、僕は雑な言い訳を吐いて、逃げた。なんか痛いところを突かれそうな嫌な予感がしたのだ。できれば、告白の件は誰にも知られたくない。


 ……けれどやっぱり、勘付かれてしまってもおかしくないんだろうな。


 それくらい、僕と楓の間にあった親密な雰囲気は、告白を境にして完全に消滅してしまった。


 もう、楓とは会話をしていない。もちろん、一緒に帰るなんてこともない。顔も合わしてない──いや、一度だけ、あったか。


 あれは、今週の頭のこと。


 昼休み。

 偶然、如月に遭遇した時のことだ。


   ***


「飯、付き合ってよ」


 教室前の廊下。如月は、開口一番、そう言った。


「……今度は、何?」


 思わず眉をひそめた。コイツは、毎回突拍子もない発言をする。


「怪しまないでよ。別に、深い意味はないよ」

「嘘つけ」

「うん、嘘。深い意味、アリアリ」


 にっこり、屈託のない笑顔を浮かべて言う如月。思考を読めないのが、シンプルに怖い。


「……ほらね。なにか企んでる」

「意味はあるけど、企みってほど悪い思惑は無いよ。まー、アレだ。楓との近況をね、まあ、聞かせてもらおうかと」


 そんなところだろうと思った。とすれば、断るに決まっておろう。


「じゃ、ヤだ」

「ええ〜。女子からランチに誘われてるのに、断るんだ? これがキッカケでロマンスが始まるかもしれないぞぉ〜」

「……ロマンスじゃなくて、地獄が始まる予感がする」


 あは、と乾いた笑い一つ。


「構えるのもわかるけど。アタシは深い事情を知っちゃってるわけだし」

「…………」

「大丈夫、大丈夫。君のことを悪く思ったりはしてないさ」


 言葉に詰まった。


 僕と楓、それから峰岸以外にも、例の一件を知っている人間がいる、という事実。


 そうだろうなとは思っていたけれど、いざ目の当たりにされるときついものがある。


「……楓から、聞いたんだ?」

「うん。聞いた」


 あっけらかんと言ってのける、如月。


「だからこそ、陽平くんと話したいんだよ? アタシは。楓の友人として、この状況を良く思ってないからさ。安心して欲しいんだけど──」

「出た。世界一信用ならない『安心して』」

「……。本当に安心してよね。詰問するつもりはないんだから」


 果たしてどうだろうか。


 自由奔放すぎる彼女のことだ。行動の全てに興味本位の匂いがするし、センシティブな領域を踏み荒らされる事になってもおかしくない。


 これは断固、拒否するべきだ。


「ごめん。話したくないんだ」

「……いいの? 楓とこれっきりになっても」

「しょうがない」

「あ、そ」

「うん」


 沈黙。僕の腹の内を探っているかのような、如月の視線が突き刺さる。顔を背ける。


 彼女なら全てを見透かしそうで、すごく居心地が悪かった。だから、僕はこの場を去ろうとした。


 その時だった。


「美紀〜、お待たせ〜!」


 遠く向こう、如月の背後から聞き慣れた声が飛んできた。思わず反応し、その方角へ目をやる。瞬間。僕らは、本当に久しぶりに目が合ってしまった。


「あ……」

「………………」


 声の主、楓と、目が合ってしまったのだ。


「やあ、楓。待ったよ、待った」


 如月が、何食わぬ表情で、そう言った。


 しかも、だ。


「いやね。今さ、陽平くんをランチに誘ってみたんだけど、断られちゃったよ。勇気出したんだけどなぁ」


 そんなふざけた事を、言った。


 なるほど。如月め、僕と楓を同席させようとしてたわけだ。


 やはり、信用ならないやつだ。僕と楓の気持ちを、少しでも考えているならば、そんな発想は浮かばないはずなのに。如月自身も、方やフラれたやつ、方やフッたやつと一緒に昼食をとるなんて、地獄だろうに。どういう類の勇気なのだ、それは。


「……あ、そう」


 小さく、楓が相槌を打った。


「ま、そゆわけで、今日も二人きりだ。飯、行こうや。楓」

「う、うん」

「じゃ、陽平くん。またね」


 それだけ言い残して、如月が去っていく。僕は、離れていく二人の背中を、じっと見ていた。


 取り残された僕は、かき乱された心の整理でいっぱいいっぱいだった。目が合った時の楓の表情が脳裏に焼き付いて離れない。


 そして、告白した時の楓さえもフラッシュバックしてしまい、心臓が痛くなる。端的に言って、しんどかった。


 結局、楓は僕と言葉を交わしてくれなかった。僕も、楓に言葉を投げかけることはできなかった。気まずさだけが、二人の間に横たわっている。まだ、あの日の出来事が風化するハズもなく。


 この昼休みの出来事が、僕に、二つのことを思い知らせた。


 ひとつ。今までのように、僕と楓が仲良くできる日は、来ないかもしれないということ。


 そして、もうひとつ。

 僕はやっぱり、楓のことがまだ好きだということ。


   ***


 それでも、何事もないように日々は巡る。時間は進む。


 僕は、楓への恋心を失えないまま、生き続けなければならない。峰岸と過ごす、バカみたいな日常の中を、生き続けなければならない。クラスメイトに不審がられながらも、楓との間に起きたことを隠し通して生き続けなければならない。あとアレだ、如月から逃げ続けよう、ちゃんと。


 そんなこんなな日々。苦しくても、続く日々。


「……人生、って感じだなあ」


 自室にて、一人呟く。現状の辛さを、どうにかして希釈するために、仰々しい言い回しをしてみたのだが、やはりしんどいものはしんどい。


 言葉では足りないから、何か行為でもって、気を紛らわそう。そう思った。


 僕の目に飛び込んできたのは、例の文庫本だった。びちこから預かったもの。彼女曰く、僕たちの「伏線」。


 手に取る。


「……どうせだし、読んでみるか」


 そこで初めて、僕は表紙を開いた。タイトルに目をやる。『雨が降るから。』、名も知らぬ日本人作家の作品だった。


 ページをめくる。


 僕は小説をほとんど読まない。から、文体とか表現の特徴とか、面白いかどうかさえよく分からない。けれども、そんな僕でも読みやすい文章だと思った。なんとなくでも、読めた。洗練されている印象を受ける。スッと言葉が頭に入ってくる。


 どれくらい時間が経ったろう。いつの間にやら没頭していた。気づけば、文庫本の半分あたりに突入していた。


 と、その時だった。


「ん、」


 本の中から、長方形の紙が床に落ちた。


 見れば、紙製のしおりだった。出版社の名前が書いてあった。僕は、それを拾い上げた。


 ──拾い上げて、何気なく裏返して、僕は驚いてしまった。


「なんだ、これ」


 目に飛び込んできたのは、数字。十一桁。


 ……まさか、と思う。いやでも、それ以外に考えられなかった。


 ふと、あの日のびちこのセリフが脳をよぎった。




「私は、君との伏線を用意しておきたいのさ」




 伏線。それを僕は、もう一度出会うための伏線、という意味だと認識していた。


 が、どうやら、また別の意味もあったのだと気付かされてしまった。


 だよな。そういうことだよな、びちこ。


「……。マジで、魂胆を教えてくれ…………」


 しおりに書かれていた、十一桁の数字。それは、どう見ても。


「……なんだか、試されてる気分だ」


 びちこの連絡先。

 電話番号、だった。


   ***


【あとがき】

 いつも読んでいただきありがとうございます。ブクマ・ハート・星もとてもありがたく、通知が来るたびに嬉しくて、発狂しています。この前、道端で発狂していたら、通りすがった猫に奇異な視線を向けられてしまいました。「猫」も「奇異な視線」も両方大好きなので、最高に嬉しかったです。


 さて。


 以前、近況ノートにて「毎日更新を中止する」との旨をおしらせしたのにも関わらず、ここ数日毎日更新してしまってすみませんでした。プライベートな要件が思ったよりも早く一段落つき、執筆できる環境が徐々に戻ってきたのです。


 そういうわけで、できる限り更新頻度を維持していこうと思いますので、引き続きお付き合いいただければ幸いです。


 それでは、また次回っ。

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