016「つい勢いで……」「私、安い女じゃないんだけどなっ!」
小山楓。僕の、好きな人。
出会いは今から十年前。小学一年生の時だ。あの頃は集団登校というものがあって、安全性のために、近所に住む子供たちが一緒に登校させられた。その中に楓はいた。けれどその時はお互い顔も合わさず、あまり会話もなく。家も近くて、クラスも一緒だったけれど、ランドセルの色が違ったから、なんとなく仲間意識みたいなものが欠如していたんだと思う。
きっかけは、二度目の席替え。そこで僕らは隣同士になった。
先に声をかけたのは、楓の方からだった。
陽平くん、だよね。あ、うん。家、近いよね。うん、そうだね。集団登校、一緒だもんね。いつも、いるよね、君。うん、あ、楓。え。私の名前、小山楓。楓ちゃん。うん、そう、楓。よろしく。うん、よろしくね、陽平くん。
気づけば、その日から。いつだって、一緒だった。
隣にいるのが当たり前で、常に隣同士でいることに疑問を持つことなどなかった。この関係性が心地良かったし、一生このままの二人でいれたらいい、なんて大仰なことを願っていた。でも──いつしか、その願いは膨張して、心の中で抑えきれなくなって、破裂してしまった。
恋愛感情に変わってしまった。好きになってしまった。
こんなに近くにいるのに、もっと近づきたい、と思ってしまった。互いの肌と肌が触れ合うよりも、もっと、奥深くで重なり合いたい。そう、思ってしまった。
だから、告白をした。一度目の告白。
彼女は、それを受け入れてくれた。
しかし、やはり、僕には大それた願いだったのかもしれない。
一ヶ月で、僕らは、別れた。
ただの友達に、触れ合うことのない隣同士に、そういう関係性に、戻ったのだ。
それでも、僕はまだ、楓が好きだ。
「……ち、ちょっとッ……よーへい! どこへいくの!? ねえ!」
夜の中、彼女を連れて駆けていく。伊月南。知らない街へ。
駅の出口が見える。LEDライトに照らされた駅構内へ、暗闇が射し込む。まったく、見たことがない景色。景色。景色。
「ね……ぇッ、はぁッ……よーへいッてばッ!」
走り続けたせいで、彼女の呼吸が荒くなる。勿論、僕も息が苦しい。
速度を緩め、呼吸を整えながら、僕は言う。
「し、知らん!」
「えッ、ええ? はぁ?」
「分からん! 勢いで走り始めちゃったし……それに……降りたことないって、言ったろ?」
「ど、ドヤ顔で言うことじゃないっしょ、それ!」
「ま、まぁな」
駅の外へ飛び出して、徐々に二人の足が止まる。周囲は暗闇。あまり、街頭もない駅前の光景。乗換駅だというのに、随分と殺風景である。
「じゃ……ハァッ……じゃあ……何のために、私を……て、てか!」
「な、何だよ」
「手……手ぇ!」楓が繋がれた右手をぶんぶんと降った。解ける。「つ、繋いでた……」
「あ、や……」
僕も気づいて、恥ずかしくなって、両手を背後に回す。
「す、すまん。これも、つい勢いで……」
「も、もう。ばかッ。……わ、私、そんなに安い女じゃないんだけどなっ!」
「すまん……」
でも、小学生の時はいつも繋いでたじゃないか。
と思ったけれど、これは言わなかった。
「……で、なに。マジで、なんなの。なんの、勢いだったの……?」
「……あ、えっと、その……」
言葉に詰まる。
なんの勢いか、と聞かれれば、答えは決まってるんだけど。言ってしまえば、ネタバラシみたいになる。それは避けたかった。
と、その時。僕の視界に、微かな光が飛び込んできた。
アレは……時計台……だろうか。
「楓」視線をそのままに、言う。「行って、みないか?」
***
光に誘われるがまま足を運べば、そこはやはり、公園だった。
中央にレンガ造りの時計台があって、そこから半径数メートルに広場、周囲に点々とベンチ。その隣の区画には、公衆トイレらしき建物と、小さな砂場。そういう公園だった。
「……へえ」楓が息つくように言った。「いいところだね」
「ああ、だな」
返事。
「駅前、なんもなさそうな雰囲気だったのに、こんな良き場所があるなんて。見た目で損してるね、伊月南」
「かもしれん」
「よーへいみたいだ」
「や、意味わからん。褒めてんのか?」
「貶してんだよ?」
「おう。素直でよろしい」
楓が、クルリと方向転換して、歩き出す。その先、ベンチ。楓は、そこへ腰を落とした。
「……ちょっと、休憩。なんか分かんないけど、走らされたから」
そう言って、右手で僕を手招いた。
「よーへいも、おいでよ」
ベンチの右側を、とんとん、と二度叩く。それに僕は頷き、ベンチまで行き、彼女の右側に座った。
「……ふぅ。……で?」
視線を僕に向けず、前を向いたまま、楓が言った。
「よーへいは、ここに来たかった、ってワケ?」
「え、ああ。そうだな」
「ふぅん。……わざわざ、今日?」
「まあ。だな」
「へえ。よほど、気になってたんですなぁ。……ま、分かるよ。いい場所なのは確かだ。知らなかった」
僕もこんな場所があるなんて知らなかったよ、と胸中で返答した。
はてさて。
さあ、ここから。
……どうしよう。
「………………」
「………………」
無言に次ぐ、無言。
帰宅ムードから打開して、公園にきてみたものの、どうやって告白まで事を運べばいいか、分からん。どうすればいいんだろう。
「………………」
「………………」
隣同士、座って、無言の間は続く。
チラと横目で楓を見る。彼女は澄ました表情のまま、ただ正面をじっと見ていた。夜の公園には静寂だけがあって、ズズッ、と楓が鼻をすする音だけが、一度聞こえたきり。
楓は、今、なにを考えているんだろう。そういう考えが浮かぶ。
今日一日を思い返せば、ここまで重たい沈黙は初めての気がする。
……やっぱり、迷惑しているのだろうか。急に、連れ出してしまって。
「な、なあ」
とりあえず、楓の機嫌を伺うために、呼びかけてみる。
「……んー?」
語尾こそ明るく聞こえたけれど、低く、冷たい声だった。
「えっと、その……ごめんな」
「……ん、なにが」
「急にさ……あの、なんだろう……」
ふふ、と楓が薄い笑いをこぼした。
「謝るくらいなら、連れてこないでもらえます?」
彼女は笑顔でそう言った。別に、怒ってはないけどね。そういう含みがあるように思えた。
「だよな……」
「そーだよぉ。……ま、いいけどさぁ」
楓が、ぱたぱた、と両足を動かす。
「延長戦、ばっちこいだ。本音を言えば、私も、帰るには惜しいと思ってたんだ」
「……え?」
思わず、瞬きを三回。
それって、どういう意味なんだろうか。と、小さく期待してしまった。
「やっぱね、楽しかったからさ。現実に戻るのが、ちょーっともったいないよね」
楽しかった……楽しかった……楽しかった……その一言が、僕の中でこだまする。
楓の顔を見る。楓も、僕を見ていた。
見て、満面の笑みを浮かべていた。その表情が、可愛くて、つい見惚れてしまう。くりくりとした瞳、くるりカーブする毛先。口元、柔らかそうな唇。艶やかな、頬。
見惚れて、改めて思う。楓は、出会った頃よりもずっと、女の子になっている。小学生の頃は、同級生としか思ってなくて、ちっちゃくて華奢なクラスメイトでしかなかったけれど、今は違う。可愛くて、魅力的で、愛おしくて、好きで──大好きなんだ。
楓は、楽しかった、と言ってくれた。僕だって、楽しかった。
別れてから二人きりなんて無かったし……まあ放課後は一緒に帰っているけれど、あれはただ家が近いから、そういう理由であって、こういう特別な──デートなんて、無かったから。
今日が来るまでは。実を言えば、とても怖かった。けれど、やっぱり、楓と出かけるとそんな不安は全て、杞憂だったんだって思えた。
だから本当に、今日、楓と一緒に日曜日を過ごせて良かった。
ありがとう。
そう、答えようと思った。
「あ、あの」
……けれど。
何故だろう。
「は、話が──」
そんな感情を超えて、口が、勝手に、
「──話があるんだ。楓」
先走ったことを、言った。
「……え?」
「あ、え。……や、その」
「う、うん。なに?」
楓が首を傾げて、訊いた。
なに? って、なに? 僕は、なにを言おうとしていた?
ま、まさか、と自問自答。まさか、僕、このまま。
告白しようとしてんじゃないだろうな。
「いや、実は……実はね、楓……」
「……うん」
思考と身体がチグハグになる。掌が汗ばむ。心拍が速度を上げる。
ダメだ、抑えきれない。
「僕、実はね……楓に……楓に伝えなくちゃいけないことが……」
「……え?」
「楓に伝えたいことが……」
「……ちょ」
「楓……僕は……」
「ちょちょ、ちょっと、待って……!」
その声で、ふと、我に返る。
目の前を見る。楓の顔が、もうすぐそこにあった。
気付かぬうちに、僕は、楓に急接近していた。
楓が焦って、立ち上がる。僕から、距離を取った。
「ちょっと……よーへい……? お、おかしいよ、どうしたの?」
「あ、いや……」
僕も立ち上がる。すると、楓が一歩、後退りをした。
「……ち」楓が声を出す。「違う、よね?」
「え?」なにが、と思った。
「……まさか、そういうんじゃ、ないよね……?」
彼女の顔を見る。
「つ、伝えたいことって……さ……」
この時。僕は、気づいてしまった。
もう、楓に、勘付かれていることに。
「ねえ……よーへい……」
そして、それが──。
「……私たち…………友達、だよね……?」
──告白するということが、僕たちの「約束」を壊し始めていることに。
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