017「それより。まずは──」「……え?」

 空っぽの言葉が浮かぶ。私は、それをすぐに飲み込む。目の前で、陽平が顔を歪ませている。やめてよ、その表情、なに。


「も、もう」急いで笑顔を作って、言う。「び、ビックリしちゃったよ……」


 何かが完全に壊れてしまう前に、すぐさま次の言葉を探す。この状況を、陽平と私の間に跨がる不安定な空気を、私の台詞で作り変えてしまおう。そう思った。


「ごめんね、そんなワケないよね。ハハ……。思い上がってんなー、私。で、でも、よーへいも悪いからねっ。急にさ、そんな、深刻な空気出してさ……こっちだって勘違いしちゃうっての」


 震える手で、自分の髪の毛を触れる。いつも通りの感触に、心のざわつきが少し収まる。


「わ、」視線を、陽平から外す。「忘れて。今の、発言。自意識過剰みたいで、恥ずかしいから、さ」


 そう言い終わったときにはもう、彼の顔を見る勇気は無くなってしまった。どんな表情をしているのか、確かめるのが怖い。今、私がでっち上げた事柄を否定されるのが怖かった。


 いや、でも、と思う。あながち、捏造でもないのかもしれない。本当に、私の思い過ごしなのかもしれない。てか、普通に考えたらそうだよ。ありえないよ。


 陽平が、私に──告白しようとしている、なんて。


 そんなこと、あるわけないじゃん。


 けれど。


「ち、違く、ない」


 陽平が、そう、ハッキリと言った。私は思わず、彼の顔を見てしまう。


「違くないんだ、楓」


 呼吸が、めちゃくちゃになる。なんか、苦しい。


「僕は……」

「………………」

「……僕は、楓のことが──」

「ちょっと待ってよ!」


 やっとの思いで、声が出た。私の叫び声に、陽平が口を閉じる。


「……違うってば、よーへい。違う。違うよ、それは。今日が楽しかったから……久しぶりに二人で出かけたから……。そうだよ、きっと」


 陽平が、小さく、首を振った。


「ま、舞い上がってる……っていうのも、きっと違うけど……。でも、そういう……いつもと違う感覚が……そう錯覚……させてるだけだと思う」


 もう一度、彼は首を横に振った。


「だって……私たち…………もう十年も一緒なんだよ……。今更……違うよ。違う。違っ、た……じゃんか……私たちは……。一年前……よーへいだって……頷いてくれた……でしょ……」


 私はいつも陽平の隣にいて、そこは私が一番落ち着く席で、たとえば青春に漂う恋の気配とか、社会に蔓延する湿っぽい連帯感とか、私に突き刺さる過剰な期待だとか、そういうものからの逃げ場所だと思っていた。


 彼の隣にいれば、私は私でいられるし、私は私以外にならなくてもいい。


 だからこのまま、私たちは無印の関係性のまま、ずっと一緒に居られればいい、なんて思っていた。


 そうありたい、と願っていた。


「ねえ……そう……だよね……?」

「…………楓、聞いてよ」


 声を震わせて、陽平が言った。私の視界が滲む。


 ……本音を言えば、心の奥底では分かっていたのだ。そんな甘えが通用するわけもなくて、それはどこまでも自己中心的な考えで、陽平を利用しているだけだってこと。ともすれば、いつか破綻するのは必然だったのだろう。


 この顛末を、想像していなかったわけじゃなかった。


 けれど、可能性が頭を過るたびに、私はそれに蓋をした。有り得ないよ、という言葉でおまじないをかけた。だって、私たちは友達。私たちは幼馴染。恋愛感情とは、もう二度と縁がないよ。そうでしょう。そういうことにしたでしょう?


 ……なんて、やっぱり、私は私の都合ばかりだ。


「僕は──」


 頬を、涙が伝った。


 それから、彼は、私たちの関係性を決定付ける言葉を、


「──楓が、好きなんだよ」


 ついに、口にした。


   ***


 独りにさせて。


 楓がそう言うまで、どれくらいの時間が経っていたことだろう。見知らぬ公園では、夜も静寂も深まっていたから、もはや永遠と瞬間の分別がつかなかった。


 彼女は僕の告白に、イエスもノーも返さず、背を向けた。小さな肩が小刻みに震えていた。その背中を抱きしめることも、言葉を投げかけることも、僕には出来るはずがなく、ただ呆然と見続けるしかなかった。


 楓が歩いていく。離れていく。僕は立ち尽くす。楓の背中が小さくなっていく。見えなくなっていく。


 今日という一日の結末。もっと言えば、僕たちの関係性の終末。


 それは、こんな有様だった。


   ***


 我に返った時、僕は、自宅へ帰る方向とは真逆の電車に乗っていた。


 そう気づいたのは、乗り込んでから三駅過ぎた頃。次は新伊月、という車内アナウンスの声で、ようやく間違いを知った。


 夜の公園、楓が僕の元を去ってから現在に至るまで、正直、記憶が曖昧だった。なんで僕は今、逆方向の電車に乗っているんだろう。逃避本能がこうさせたのだろうか。


 でも、それでいいや、今は。と思ってしまった。もう夜も遅いけど、そろそろ帰らないと親に叱られるけれど、そういうこと全部ひっくるめて、僕は今、現実と関わりたくないのだ。


 電車が止まる。新伊月。電車を降りる。


「……どうすっかな、これから」


 ホームにて、呟く。声は、電車の発車音にかき消されてしまったので、多分僕にしか聞こえてない。そもそも独り言だから、僕以外に聞かれてしまっては困るけれど。


 これから、どうする。


 それは、反対の電車に乗って、またもや新伊月に降り立ってしまった現状に対しての台詞でもあったし、今後の身の振りに対してでもあった。


 僕は、楓に、拒絶されてしまったのだ。


 思い返すだけで、吐きそうになる。


 ほんの数時間前までは、楽しく休日を共にしていたのに、今やもう取り返せない失敗を犯してしまって、ホームにて孤独を憂いている。本当にバカみたいだ。


 いつもならば「峰岸のせいだ」だとか何とか言って誤魔化すこともできるけれど。


 今日の失敗は、完全に、僕のせいだ。僕だけのせいだった。


「……そういえば、なぎさ公園……だっけか……」


 峰岸、のワードで、ふと思い出す。なぎさ公園。峰岸が、絶好の告白スポットだと教えてくれた場所。新伊月駅の南口すぐ、階段を登った丘の上、だっけか。


「……どうせだし、行ってみるか……」


 歩き出す。「どうせだから」、それ以外に理由は無かった。夜景が綺麗だと聞いているけれど、それで僕の心が癒されることなどないだろう。別に、救いを求めて足を運ぶわけじゃないから、そんなのどうでもいいんだけど。


 とにかく、少しでも、目の前にある現実から逆走したい。それだけだった。


 駅の外に出る。南口は、コンサートホールのある北口の印象とは打って変わって、閑散としていた。それが、今の僕にはピッタリだった。感傷に浸るならば、賑やかな場所よりは、静かな方がいい。


 それでもさすが新伊月、車通りが多く、完全な無音ではなかった。何となく、ほんの小さな音でも騒音に聞こえてしまうから、僕はイヤホンを取り出した。耳に装着して、外界をシャットアウト。そのまま、歩き出した。


 この先、なぎさ公園。そう書かれた看板を見つけた。ここがどうやら、麓らしい。階段が上へ上へと伸びている。何の躊躇もなく、僕はそれを登り始めた。


 何か、音楽を流そう。


 そう思って、スマホの画面を見る。曲を選ぶ。とりあえずフレコネのアルバムを、ランダム再生で聴こう、と思った時、液晶画面に水滴が落ちた。


「……んだよ。一日中、快晴じゃないんかよ」


 雨、だった。


 それでも、足を止める事はなかった。別に、関係ない。土砂降りにでもなればいい。そうすれば、身体の内外にこべりついた後悔の念を洗い流せる気分になるから、むしろ丁度いい、とさえ思った。


 頂上を目指す。足を進める。


 イヤホンから流れるフレコネ。


 頭の中でポツポツと湧いて出てくる、今日の回想。


 楽しかった記憶が蘇る。蘇って、消える。消えては、浮かび上がって、また消える。その繰り返しのリズムで、階段を登っていく。


 イヤホンから流れる曲が、切り替わった。


 僕が、一番好きな曲。「新しい明日のはじめかた」だった。


 ふと思う。音楽は不思議だ。聞くたびに、その時の心境に合わせて印象を変える。初めて聴いた時……カラオケで峰岸が歌っていた時、現実を現実と受け止めて、それでも前に進んでいく愚直さを清々しく歌い上げた詞に、背中を押された気分になったが、今聴くと、全く違う景色を僕に見せる。


『新しい明日は来ないよ』


 サビの入り。その歌詞が、ただただ僕に現実を突きつけてくるようで、キツい。


 そう。来なかったのだ。僕に、新しい明日は来なかったのだ。


 楓との間に隔たっていた、十年来の友情という壁。それをブチ壊す逆転の一手。を、僕は打とうとした。けれど結果として、脆くも崩れ落ちたのは、僕の秘めたる想いの方だった。


 楓ともう一度、恋人関係になる未来を願ったのだけれど、そんな明日は来なかった。その現実が音楽の形になって、鼓膜から侵入し、心臓へと突き刺さる、ような感覚が僕を襲った。


 雨が強くなる。


 濡れた前髪をかき分けると、階段の先に、頂上が見えた。


 あそこが、なぎさ公園だろう。


 そう思ってから視野を少しだけ上にズラせば、美しい夜景が垣間見えた。確かに、峰岸の言う通りで、絶景の予感がする。一歩、また、一歩、踏み出す。もっと近づいて、景色を見たい。そう思った。新伊月の夜の景色が見たいと──。


「………………」


 ──そう思っていたけれど。


「……え?」


 僕の目に飛び込んできたのは、眼下に散らばる粒状の灯りや、ミニチュアの車が描く光線や、空一面にかかる夜の帳、星々の煌めき……そういったものではなく。


「……どうして……」

「…………あれ」


 公園に、ひとり佇む、女性の姿。


「……君、どうして、ここに」


 見覚えのある、女性の姿。


「君こそ、何してんの? ……いや」


 耳元、音楽が鳴り続けている。


「それより。まずは再会の挨拶、だよね──」


 瞬きを二回。それでも、僕の目の前の光景が変わる事はなく、彼女の実在を確信した時には、イヤホンから流れる曲が最後のサビに突入していた。


 息をのみ込む。彼女の長い髪が風に揺られて、夜に溶けていく。僕の内側にある、感傷も泥濘も、すべてが、音楽と詞と彼女の笑顔に攫われてしまうような錯覚に陥った。


 この状況を、今の僕は何と呼べばいいだろう。未来の僕は何と呼ぶのだろう。まさか、「運命」などと名付けやしないよな。


 けれどしかし、この状況を、奇跡的で運命的な邂逅に仕立て上げるかのようなフレコネの歌詞が、僕の心へと一直線に届いていたのも、確かだった。


 音楽は不思議だ。

 僕に、違う景色を、見せる。




 出逢ってしまったのだ 君と

 出逢ってしまえたのだ 君と




「──また、出逢えたね。さくらん」









「3回会えたらヤッてよ私と」「あ、おう。は?」


第一章

  〈新しい明日のはじめかた〉編 幕。

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