015「まだ、帰りたくない」「ワガママだなあ」
まもなく、一番線ホームに電車がまいります。
危ないですから、黄色い線までお下がりください。
「…………」
「…………」
電光掲示板に目をやる。午後八時三十一分発、鈍行。
僕らは、それに乗って、いつもの街へ帰っていく。
今日のデートを終わらせて、いつもの日常へと戻っていく。
「………………」
「………………よーへい」
楓が、爪先に声を零すように、言った。
「今日は、ほんと、楽しかったよ」
まるで、一日の締め括りの言葉みたいだ。
「…………」
けれど、まだ、終わらせるわけにはいかないのだ。
今日を。
だって、まだ、僕は──。
ホームに強い風が吹いた。電車が到着する。駅メロが鳴って、目の前で扉が開く。
「…………」
この電車に乗り込めば、僕らは、今日を終わらせてしまう。楽しかった思い出だけを持ち帰って、変わらない明日が始まる。変わらない。僕と、楓の関係も、変わらない。だろう。
「………………」
「ほら、来たよ。電車。乗ろう?」
それが、嫌だったんだろう? 僕は。
「……? よーへい、どうしたの?」
だから、決意したんだろう? 僕は。
──楓に、告白する、って。決めたんじゃないか。
***
……だのに。
「明日、学校とか信じられなくない? まだ余韻抜けきってないのにさー」
「……だな」
「あ。乗換の伊月南駅、次だよ。あーあ、やだなぁー。到着しなくていいー。もっかいライブいきたーい」
「……まじ、それな」
だのに、僕は。
なーーーーーーーーーーーんで、電車に乗っちゃってるかなあ。
正直、自分でも驚いている。あれほど堅く揺るがない決意を持ち物に、家を飛び出したのに、土壇場になって、行動に移せていない自分の不甲斐なさに、心より絶句していた。なに当然の成り行きで帰宅しようとしてんだよ、僕は。
再度、峰岸の言葉を思い出す。
「告白に一番大事なのは、シチュエーションだ。どういう場所で、想いを伝えるか。成功を左右する要因は、ほぼそれだと断言してもいい。俺調べだから、確かな情報だぞ」
峰岸調べって言ってもお前彼女いたことないじゃん、と僕が刺すと、今まで全部シチュエーションをミスってきたから彼女がいねーんだよ、と彼は言った。多分、そこじゃないと思う。
「ともかく、だ。場所、絶対ミスるなよ。間違っても楓ちゃんの家の前とか、やめろよな」
じゃあどうすれば、と僕は尋ねた。
「まー、そんくらい自分で考えて欲しいんだが……お前の為に、調べといてやったぜ、とっておきの場所を。……新伊月駅の南口、なぎさ公園。駅近の階段を登った先、丘の上にある公園だ。高いところから一望できる夜景がオススメのスポットらしい。告白するには、絶好だろ?」
そう聞いた時、峰岸って本当はモテるんじゃないか、とありもしないことを思ってしまった。それくらい、コイツのデートにおけるリサーチ力と演出力は光っている気がした。
だから、言われた通り、楓をなぎさ公園に連れて行こうと思った。そこで、想いを伝えようと思った。思っていた。思っていたんだ、マジで。
だというのに、僕は。
「伊月南、伊月南。降り口は、右側です」
扉が開いて、僕と楓は電車を降りた。
もはや、新伊月は遥か彼方。なぎさ公園は、未だ見ぬ遠方の地。
完全に、告白のタイミングを、逃した気がした。
何をミスった?
そう自問しながらも、答えは明白だった。後半、全部だ。ライブ会場を出てから今に至るまでの全部をミスっていた。
恐らく、フレコネのライブが余りにも良すぎたせいだろう。余韻冷めやらぬまま、ファミレスに入ったのが第一のミスだ。そこで感想戦を始めてしまったのが第二のミス。時間を忘れて語り合ってしまったのが第三のミスで、気付いた時には帰る時間になっていたのが最後にして最大のミスだ。
告白、というイベントが付け入る隙もなかった。
いや、と思考が一旦立ち止まる。それだけじゃないような気もした。
だって、告白へと踏み切ろうとすれば幾らでもチャンスはあったはずだ。けれど、そうしなかった。
幾つか言い訳を並べてみたけれど。
もしかしたら、もっと単純な話なのかもしれない。
僕が、告白する勇気を──。
「出してくれないかなぁ」
楓が言った。
「あ、え?」
直前の思考と交わるような台詞に、つい、たじろぐ。
「え? いやさ。フレコネ、新しいアルバム。出してくれないかなぁ、って」
「あ、ああ。そうね。うん、確かに」
焦った。バチクソ焦った。
まあ、そりゃそうだ。僕に対しての台詞なわけがない。いけない。完全に動揺している。告白のことで頭がいっぱいになってしまっている。
とりあえず、だ。深呼吸をしよう。
それから、改めて考えよう。
逃したタイミングを、どう取り戻すべきか。
まず、だ。ムードが良くない。二人の雰囲気は、完全に「帰宅モード」になっている。 僕らの足はすでに、乗り換えの為に改札へと歩き出してしまった。乗っていた電車も、既にホームを去った。もう乗り込む事は叶わないし、そもそも、新伊月へ戻るなら向かいのホームだし。僕らの行動の選択肢には、自宅へと直進する以外にない。
次の懸案事項は、告白する場所だ。なぎさ公園へ戻ろう、と提案するのは不自然極まりないし、ともすれば他の候補地を探すしかないが……残念ながら、最寄駅から僕らの自宅の間に、そんなよきスポットは存在しない。
これ、万策尽きてないか? まだ、一策も打ってないのに。
改札を抜ける。次に乗る路線のホームは、ここから三分ほど歩いたところにある。
そこへ辿り着く前に、なんとかアイデアを捻り出すしかない。今日、楓に、告白する為のアイデアを。
「どしたの?」
「え?」
気づけば、楓の顔がすぐ近くにあった。僕の顔を覗き込むように見ていた。
「めちゃくちゃ、難しい顔してるけど。考え事?」
「あ、いや、えーっと」
やばい。顔に出てたか。
なんとか誤魔化さねば。告白しようとしていることを察されるほど、痛ましい事はない。
「別に、なんだろうな、その」
言いながら、考える。
「この駅って、降りた事ないなーって。ハハ。乗り換えにしか使わないじゃんかぁ?」
我ながらいい誤魔化し方だと思った。
「あ、まあ。そーだね。伊月南とか、普通来ないよねー。……って、そんな事、真剣に考えてたの?」
「お、おう。何事にも真剣、岡崎陽平です」
「なにそのキャッチフレーズ。政治家なの?」
アハハ、と乾いた笑いを零して、ふと、気づく。
……待てよ。もしかして、これ、突破口なのでは。
伊月南。僕も楓も、知らない街への往訪。それは帰宅ムードを打開する、いい口実になるのではないだろうか。寄り道を提案し、落ち着いた場所を探し、告白する。これならば、イケるかもしれない。
「あ、」心を落ち着かせて声を出す。「あのさ」
「ん? なに?」
楓が振り向く。
「ちょっと、降りてみない?」
「え?」
「この駅。せ、せっかくだしさ」
言った。言い切った。よくやった、とすぐさま自分を褒めてやりたくなった。
あとは楓が「いいね! それ!」と言ってくれるだけ。それだけで、告白への道は開かれる。
言葉を待つ。
しばらくして、楓が口を開いた。
「んー、そうだなあ」そして、「やめとく」
「……あ、そう」
失敗に終わった。
「なんだかんだ言って、明日学校だしさー。また今度、ゆっくり来ようよ」
急いで、笑顔を取り繕う。
「ま、まあ……だよな」
「うん。時間ある時がいいよ」
今度こそ、万策尽きた。
気づけば、もう数十メートル先に、乗り換え改札が見えた。アレを通れば、僕らはいつもの路線に乗って、最寄り駅へと帰っていく。駅に着いたら、見慣れた道を歩いて、すぐ自宅。解散、だ。
諦めざるを得ない。そう思った。
ああ、なんというか、残念な男だな、僕って。
一丁前に、気概だけは達者で、けれど実際のところ、行動には移せない。色んな言い訳を用意して、勝手に諦める。そういう人間だということを、痛いほど思い知らされた気分だ。
出なかったなあ、勇気。
出来なかったなあ、告白。
これでまた、明日からも悶々とした日々が続くのだ。長谷部と付き合うのかどうかを心配して、断って欲しいなどと身分不相応な願いばかりを永遠にループして、楓を好きな気持ちは一向に昇華されないまま、毎日を繰り返すのだ。
「ごめ、チャージしてくる」
楓がそう言って、財布から交通系ICカードを取り出し、券売機の方へ駆けていった。僕はその背中をただただ呆然と見つめている。
好きだ、楓。好きなのに。
心の中ではそう何度も言えるのだけど。
「ごめんね、お待たせ」
「うい」
表に出てくるのは、そういう何でもないコミュニケーション。
「よーへいは、チャージ大丈夫?」
「ああ、五百円くらい残ってた気がする」
どうあがいても愛情表現にならない、他愛もない会話だらけ。
「え、片道六百円くらいしなかったっけ?」
「流石にしねーよ。こっからまた旅行にでもいくつもりか?」
「アハハ。そっかそっか。流石にね」
笑いあっているけれど、ただの友人同士。
「やばっ! 二分後に電車来るよ!」
「あ、ああ」
改札を抜ければ、明日からも、ただの友人同士。
「ほら、急いで! よーへい!」
電車に乗ってしまえば、明日からも、僕らはただの──。
それで、いいのか?
本当に、いいのか?
「……ん? よーへい?」
足が動かなかった。答えが出なかったのだ。
このままの関係性が続くことを、僕は良しとするのか。そういう問いに答えが──いや、違うな。「いい」と思えなかったのだ。肯定できなかったのだ。
それって、つまりさ。そういうことなんじゃねーの、僕。
嫌──なんだろ? 僕よ。
「もう、なにしてんの。行くよ。電車、来ちゃう」
改札の前にいる楓が、言った。ICカードを、改札にタッチしようと、近づける。
その時だった。
僕は思わず、楓に向かって、走り出していた。
そのままの勢いで、彼女の腕を掴んだ。
ピピッ、と音がなって、改札のランプが赤く光る。エラー。もう一度、タッチしてください、のアナウンス。
「……え、ちょっと、よーへい?」
「…………」
「ど、どうしたの? ってか……腕……」
楓。
僕は、勢いをそのままに、彼女の名を呼んだ。
「な、なに?」
「……帰りたくない」
「え?」
「まだ、帰りたくないんだ。……もう少し、一緒に……」
「あ、アハハ。もう。よ、よーへいはワガママだなあ。ダメだよ、夜も遅いん……」
目が合う。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。
「……よーへい?」
「…………」
「……ねえ。ほんとに、どーしたの?」
その時、視界の端に、黄色の案内板が見えた。駅周辺スポットの案内だった。視線を移す。そして、僕の目に飛び込んできた、文字。
公園、の二文字。
なぜだろうか。それだけで、それを見ただけで、ここまで湧き上がることのなかった勇気が、不意に、心の底から顔を出した。
「行こう」
「はぇ?」
言って、走り出す。楓を連れて、僕は走り出した。
「ちょ、よーへい! どこいくの? よーへい!」
止まれない。
僕はもう、止まれなかった。
新しい明日なんて、待っているだけじゃ来やしない。
楓との、新しい明日が、僕は欲しいのだ。
だから、僕は走り出した。
楓に想いを伝えるために、彼女を連れて、知らない街の中へ、走り出したのだ。
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