014「……だな」「……だよね」
暗転。照明、ステージを照らす。
ほとんど満員のコンサートホール。前から七列目。隣同士、僕と楓。
楓がフレンチコネクションを初めて知ったのは、半年前だって言っていた。如月から教えて貰って、すぐにサブスクでアルバム全部をダウンロードして、とりあえず曲名の左側に星がついているものを端から聴いたらしい。
僕がフレンチコネクションを初めて聴いたのは、四日前。楓とライブに行くことが決まってからのこと。それは言わなかった。一応、前から好きだっていうことになってるし。
「〈エイティーンス・エンドロール〉もいいけど、やっぱり〈スウェルスウェイ〉かなー。意外とね、激しい曲の方が好きなんだ。私」
「分かる! 僕は〈新しい明日のはじめかた〉。あれ、ホント、良い」
「うわー、最高。よーへい、さてはめちゃくちゃセンス良いな?」
「いまごろ知ったの?」
そんな会話を、さっきした。
だから僕は──たぶん二人とも、すごくワクワクしていた。
フレンチコネクションの音楽を、生で聴けることに、トキメいていた。
爆音、一斉。
楓が、「わぁ」と小さく声をあげた。
ほとんど同時に、僕も「わぁ」と声を出してしまった。
徐々に幕が上がっていく。
ライブが、始まった。
***
一番新しいアルバムの一曲目に収録されているインスト曲、「インタールード」でライブは幕を開け、四曲目の「スウェルスウェイ」まで一気に激しいロックナンバーで駆け抜けた。会場の熱気は、早くも最高潮。そこから、メンバー達によるMCを挟み、中盤戦へ突入。スローテンポな曲が続き、徐々に穏やかムードが客席に漂う。自然と、身体が緩く左右に揺れる。気持ちいい。
そんな心地の良い空気感を引き裂くように、突如、ギターの轟音が鳴り響いた。
その音程に、音の歪みに、聞き覚えがあって、ハッと気づいた。多分、楓も瞬時に気づいたのだろう。僕の右肩を、トントン、と彼女の左手が、叩いた。
右側を向く。楓の笑顔がそこにはあった。
「きたよ」
うん。
と、頷くと同時。「新しい明日のはじめかた」の演奏が始まった。
会場後方から、男性の歓声が聞こえた。別の方角から、指笛の音も聞こえた。皆、この曲を心待ちにしていたんだろう。
ここにいる全員が、同じ音楽を聴いて、同じ音楽に心掴まれて、同じ感情を共有している。
そう思うと、なんだかとても嬉しくなった。
音楽は世界を一つにする。ラブアンドピース。なんてものは妄言だと、どこか思っていたけれど、今ならば肯定できそうだ。少なくとも、ここ、ライブ会場にある世界は、一つになっていた。
たった四日前に知った音楽に、ここまで心を揺さぶられるなんて、正直思っていなかった。
気づけば、メンバーが一斉に音を鳴らしてから、ステージを去るまで、二時間とちょっと。そのあいだ、僕は、ただただフレンチコネクションの演奏に夢中だった。自分でも信じられないけれど、隣にいる楓がどんな風にフレコネを見ているんだろう、とか、楓は楽しんでいるんだろうか、とか、気にする間も、ほとんどなかった。
もはや、すべては一瞬の出来事に思えた。拍手が鳴り止んで、客席の明かりがついて、客が皆、帰る準備を始めた。
楓を見る。楓も僕を見た。目が合う。
「よーへい」
「なに?」
楓が、にっ、と笑った。
「さいッッッこうだったね!」
自然と、感情が動く。口が動く。
「さいッッッこうだった!」
そう言い合ってから、僕らは、ライブ会場を後にした。
***
「っぱさー、歌詞がいいんだよねぇ! フレコネは!」
向かいに座る楓が、言った。
「こう、心にグッと、直接突き刺さる感じ? 突き刺さった部分からブワーっと、温もりが広がっていく感じ? もう、ホントさー……さいこうっ」
ライブが終わって、僕らは新伊月駅前のファミリーレストランに来ていた。感想戦もしたかったし、お腹も空いていたしで、二人して、帰る前の寄り道を即決した。楓がミートドリアを注文したから、僕もそれにした。真似しやがってー、と楓がニヤつきながら言っていた。僕の方が楓より早くミートドリアに決めてたから、と返した。嘘だった。本当は、真似した。
同じ音楽を聴いて、同じ気分になったのだから、同じ物を食べたい。なんだか、そういう気持ちになっていたのだ。
食べ終わるタイミングは、まあさすがに、同じじゃなかった。僕の方が早かった。楓が遅かった理由は、別に、ゆっくり食べていたからじゃないと思う。ずっと、しゃべり続けていたから。フレコネのライブのこと。彼女が好きな音楽のこと。
「私さ、半年前に、初めて聴いたって言ったじゃん?」
スプーンを置いてから、楓は言った。
「ああ、言ってたね」
「私その時、すごく落ち込んでてねー。色々あって。でさ、そんな時にフレコネを初めて聴いて、思ったんだよ。音楽が人を救う、ってアレ、ほんとだなーって」
水を一口。楓が続ける。
「曲聴いただけなのに、なんか頑張ろうって気になっちゃって。ベッドから出られないくらい落ち込んでたはずなのにさ、次の日にはケロっとしてたもん」
「めっちゃいい話じゃん」
「でしょ?」
楓が下を向いて、ははっ、と笑った。
「すごいね。音楽。すごいよ」
楓が、今度は天井を仰ぐように、顔を上げた。
彼女の顔を見る。
その表情は、打って変わって、どこか儚げに見えた。さっきまでの熱くフレコネのことを語っていたそれとは違う。夜の中へと消え入りそうな、表情だった。
途端に、なんだか不安になる。
いま、楓は何を考えているんだろう。そういう気持ちが、胸の奥で芽生えた。
「……私、音楽が欲しいのかも」
楓が、ポツリ呟いた。
「…………え?」
一瞬、思考が止まる。
「あ、ううん」楓が笑顔を取り戻して、言う。「ごめ、なんでもないよ」
「なに、その含みのあるはぐらかし方は」
「別に、含みなんてないよ」
「いやいや。……音楽が欲しい、とかいう電波発言をみすみす見逃すわけにはいかないな」
「電波だなんて、失礼なー。本当に、ふと、そう思ったんだけど」
「その心は?」
「え?」
「楓の言う、欲しいもの。音楽、って何?」
んー、と声を発しながら上を向いていた彼女が、視線だけ僕の顔へと下ろした。
「ほら。音楽って、なくても生きていけるけど、ないと死んじゃうモノじゃん?」
「……すまん。全然わからんかった」
「あは。素直でよろしい」
「まあ、でも、わかるよ」
ただの相槌。直前の発言と、真逆の発言をしていることに、自分でも気づいていた。
「嘘つけー」
それを、秒で見透かされる。
「よーへいはそういうテキトーなところ、あるからなあ」
「うっせ。四六時中、マジメでいられるかよ。適度に、テキトーにならないとな」
「マジメの割合のが低いと思いますけど?」
「ぐうの音も出ねー」
あはは、と僕らは笑い合った。彼女の笑顔を見て、安心する。良かった、変わらない、元気な楓だ。
笑い合って、また幾つかの軽口を叩き合って、それが一段落つくと、二人の間に沈黙が流れた。
それから、沈黙にも一段落ついた頃、
「じゃ、そろそろ」
楓が言った。
「店、出よっか」
その言葉に、僕は慌てて、腕時計に目を落とす。
午後八時二十分。
「結構、もう、いい時間だよね」
窓の外を見る。
「……だな」
「帰る時間だよね」
夜は深まっていた。
「……だな」
「……だよね」
解散の時間が近づいていた。
「……さ、帰ろう。よーへい」
楓が立ち上がる。
「…………」
「今日は、ありがとね」
「……こちらこそ」
夜は深まっていた。僕らの休日が終わりに近づいていた。
僕らのデートは、終わりに近づいていた。
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