Episode 03
013「緊張するから、やめて」「させてんだよ、ドアホ」
日曜日。
イヤホンから流れる、フレコネ。すっかりお気に入りになった曲、「新しい明日のはじめかた」。メロディーラインの心地良いリズムに、胸は弾む。いや、どうだろう。この、高鳴る胸の理由は、もしかしたら他にあるのかもしれない。
天気は快晴。ここまで綺麗な青空は、梅雨入りしてからは初めてじゃないだろうか。外出するには、最高のコンディションだ。
玄関前に立つ。イヤホンを耳から外して、深呼吸。そして、おそるおそる、チャイムのボタンに人差し指を置いた。押す。
「おっそーい!」
チャイムを鳴らしてから、ドアが開くまで、一秒と無かったと思う。
楓が勢いよく飛び出してきて、開口一番、そう言った。
「お、おはよう……」
「うん。おはよう! っていう割に、もう午後ですけどねぇ〜」
嫌みたらしく言っているけれど、集合時間を指定したのは楓の方だった。お昼ご飯を食べてから集合しよう、そういう話だったハズだ。
「……ん〜?」
楓が、後ろ手で玄関のドアを閉めながら、僕をジロジロと見る。頭の先から、つま先まで、なめ回すように。
「な、なんだよ」
「あは。よーへいの私服、めっちゃ久々に見た!」
「あ、ああ。そーだな。……僕も楓の私服、久しぶりだ」
自分で言っていて、歯切れの悪いコメントだな、と思った。おうむ返しでしかないし、なんかもっと気の利いたこと言えないのか、と外出早々(まだ迎えにきただけなので厳密には始まってすらいないけど)自分に呆れる。
「へへ」
楓は笑ってから、目の前で、くるりと一周した。
「どう?」首を傾げながら、尋ねる。「似合う?」
「うん、まあ」
「反応薄いなー。今日はねー、ライブだから。下ろしたてのジーンズチノで、まー、カジュアル〜に決めてみました!」
キャップを深くまで被りなおし、上目使いで僕を見る楓。
「ええやろ?」
なんで関西弁なのかは分からないけど、素直に、ごっつええ、と思った。
キャップやスニーカーのせいで、一見スポーティーにも見えるけれど、だからといってボーイッシュというわけでもなく……なんというか、こう、あのう、あれだよその……可愛い。
ダメだ。ファッションに疎すぎて、語彙の持ち合わせがない。
でもとにかく、似合っていた。し、二百パーセントの良い意味で、いつもと違う印象だった。普段の楓は、そこまで高くない身長や制服が「年相応」って感じを演出しているけど、今日は、どことなく垢抜けて見える。
「ん、もう。もっとしっかり言葉にせんかーい。楓の激レア私服姿、ヴァージョン高校二年生、なんだぞ!」
「あ、うん。そーだな。……か、可愛いよ」
楓が満足そうに、二度、ウンウンと頷いた。
「ま、よし。合格、ってことにしてやろう。よーへいもカッコイイよ。決まってる」
「えっ、あ、」
あまりに自然な成り行きで褒められたものだから、激しく動揺してしまう。
取り繕うように、視線を右下へ左上へと動かしながら、「あー。えー」と言葉にならない発音をする。
その何度目かの繰り返しののち、ようやっと落ち着きを取り戻して、
「ま、マジ? あ、ありが──」
と返そうとしたけれど、
「うし、出発だ!」
言い切るより早く、楓は駆け出していってしまった。
はあ、なんて、幸福なため息をひとつ。
「ほら!」数メートル先で立ち止まり、振り返った。「行こう!」
うん、行こう。僕が、返事をした。
今日は、外出。しかも、楓と二人きり。
ひょんなことから、約束してしまった、ライブデート。
その、当日だった。
***
楓から渡されたチケットを見る。
フレンチコネクション、全国ツアー。ワンマンライブ。
ライブ会場。乗り換え一回、片道二十分の新伊月駅が最寄りのコンサートホール。
全席指定。楓と連番、つまり隣の席。
開場、午後四時。開演、午後五時。
現在、午後一時過ぎ。ライブ会場へ直接向かうには、まだ少し早い。
「ちょっと早いよね〜。どうしよっか?」
新伊月駅の改札前で、楓が言った。
「ああ、そうだな……」チケットを、財布の中へ仕舞いながら返事。「ちょっと、ぶらつこう」
言って、歩き出す。
「お? どっか、行くあてでもあるの?」
言って、付いてくる楓。
「まあ」
「え、マジ?」
「なんだよ、その反応。まるで僕のことを無計画ヤロウだと思ってたみたいじゃん」
「へへ。……バレた?」
「ひでー」
と、強気に出ているけれど。
正直に言えば、直前まで、無計画だった。
そんな僕を、峰岸が咎めてくれた。昨晩のことだ。
峰岸から突如電話がかかってきたので、出た。いくつかの世間話を交わし、その流れから今日のデートプランの話になった。僕は正直に、ライブ以外の予定は全て白紙状態という実情を彼に伝えた。ら、だ。
「はあ!? 無計画? マジでないわ!」
鋭い怒号が飛んできた。
「お前、自分の状況わかってんの? デートなんだぞ? 一年ぶりの! しかも、楓ちゃんを長谷部に取られるかどうかの瀬戸際!」
「まあ……。けどさ、僕らって、幼馴染じゃん? だからさ、プランなんてなくたって、退屈しないと思うし」
「アホ! バカ! 低偏差! あのなあ、お前はその場をやり過ごせればいいのか? 一日を無事安全に過ごせればそれでいいってか? 小学校の遠足じゃねーんだから。いいですか?」
「なんで急に敬語なんだよ」
「明日お前がするのは、デートなの。リピートアフターミー?」
「あしたおまえがするのはでーとなの」
「そっくりそのまま繰り返すなよ」
「リピートしろって言ったの、お前だろ」
うるせェ! と、再度、怒号。
「デートなの。デート。何度でも言うぞ。お前は、明日、好きな子と、デート!」
「……緊張するから、それ以上言うの、やめて」
「させてんだよ、ドアホ」
それから峰岸は、散々、僕を叱りつけた。叱りつけて、そして。
「ライブ会場は新伊月なんだろ? あそこなら、デートに最適なスポットも幾つかある。コースはお前に任せるが、とにかく、ライブ前の空いた時間に、そこへ楓ちゃんを連れて行け。いいか、お前がリードするんだぜ。分かったな?」
そう、アドバイスをした。
「楓ちゃんを、最大限、楽しませろ。そんで、だ。お前自身も、最大限、楽しめ」
その為のアドバイスだ。峰岸は、そう言った。
「やばぁ! めちゃデカじゃん! なんでもあるし!」
で、現在。
僕らは駅前のショッピングモールに来ていた。館内案内板を眺めながら、楓が嬉しそうにはしゃいでいる。
「ねえ、よーへい! 見て! 日本一のメロンパンだって!」
「昼メシ食べたばっかだろ?」
「バカだねぇ。メロンパンはおやつに入るから、昼食後に食べてもいいんだよ?」
「どーいう理屈だ、それは」
「それに、二人でシェアすればカロリーゼロだし」
「その理論は、流石に無理あるわ」
やれやれ、と呆れのポーズをとりながら、僕は内心、高揚していた。
目の前で、楓が、とても楽しそうに笑っているからだ。
行こう! と走り出す楓。後ろを付いていく僕。
控えめに言って、幸福だった。
地下一階。日本一を謳ったメロンパン屋で、メロンパンを一つ、購入。近くのベンチに隣同士座って、半分こ。あまぁ、と楓がとろけるような声を出す。僕も、一口。めちゃくちゃに甘い。……少し、僕には甘すぎるように感じた。けれど、隣で楓が幸せそうに食べているから、不満なんてなくて、むしろ充足感でいっぱいだった。楓の笑顔を見ていると、心なしか、徐々に丁度いい甘さに思えてきさえする。
食べ終わって、しばらく談笑して、僕らは館内をぶらりと散策した。
歩きながら、昨日の峰岸の言葉を思い出す。
「ショッピングモールは、まあ、外せないな。ぶっちゃけ、そこへ行くだけでも、余裕で時間は潰れるだろう。が、新伊月には、まだまだ魅力的なスポットが存在する」
ガイドブックみたいな口調で、彼は続けた。
「緑地公園だ。確か明日の予報は晴れだし、日曜日。賑わっているだろう。そこへ楓ちゃんを連れていくんだ。穏やかな昼下がり、都会の中にポツリと佇む自然に囲まれて、爽やかな初夏の風を浴びる。家族連れを眺めながら、将来の二人を思い浮かべたり、理想の夫婦像を語り合ったりして──」
一旦、以下割愛。この辺りから、峰岸の喋りが暴走していた気がするので。
が、確かに、緑地公園は良いと思った。楓は、アクティブに動き回るのが得意なタイプじゃないことを、僕は知っている。どこか、落ち着く場所で、ゆっくりと時間を過ごす。それは、楓にとっても僕にとっても、名案だと思った。
「楓──」
ショッピングモールの散策を始めてしばらくした頃。僕らは、二階の雑貨屋にいた。そこで、文房具を眺めていた楓に、声を掛ける。
「──ちょっとさ、行きたい場所があるんだけど」
僕は、峰岸のアドバイスに倣って、楓を緑地公園に誘ってみた。すると、彼女は目をキラキラと輝かせて、「サイコーじゃん! 行こうよ!」と言った。
公園は、ショッピングモールから徒歩五分ぐらいの場所にあった。しかもコンサートホールの目と鼻の先だ。ここからなら、ある程度時間を忘れて過ごしたとしても、ライブに遅れる心配は無さそうだ。
一面の芝生。風が吹き、木々が揺れる。芝生の外周に並ぶ木製ベンチに、空席を見つけて、僕らは腰を下ろした。そこからは、公園一帯が見渡せた。峰岸が言う通り、家族連れも多い。とても長閑で、多幸感溢れる光景が、目の前に広がっていた。
「……なんかいいね。こういうの」
楓が呟いた。
「平和、って感じ。なんか、安心するな」
そんな楓の横顔を、僕はじっと見つめていた。
嬉しかった。
安心。僕の隣で、楓がそう言ってくれたから。そして何よりも、僕も同じだったから。
僕も、安心していたのだ。
それは決して「デート」への緊張だとか、「楓をちゃんとリードできるか」というプレッシャーだとか、そういった類のものからの解放が理由じゃなかった。
隣に楓がいること。ただ、それだけのことに、安心していたのだ。
これまでの一年間。楓と別れて、僕の恋が一度終わってしまってからの一年間。思い返せば、僕は心のどこかで、彼女に対して壁を張っていた気がする。更には、長谷部から告白されたと聞いて、なお一層、その壁は厚くなった。楓との適切な距離感が、分からなくなっていたと思う。
けれど、今日、今この瞬間に、僕はふと思い出したのだ。楓と僕の距離。パズルのピースがカチッとハマるみたいな、違和のない居処。それを、楓との関係性の間に、もう一度、見つけられたのだ。
「よーへい」
楓が言う。
「なに」
僕が言う。
「……そろそろだね、ライブ」
「だな」
僕らはそれだけ言葉を交わして、ライブ会場へと向かった。
会場へ到着するまでの間、僕らは無言だった。
その無言の空気感が、何事もなく沈黙を継続できる雰囲気が、またしても、僕を安心させた。
楓にとっての「安心」も同じ意味があれば良い。
そう、思った。
そして、もし、出来ることならば確かめ合いたい。
確かめ合う。
即ち、だ。
「さ。あとは──」と、脳内で峰岸の声がフラッシュバックする。「──どう告白するか、だよな。陽平」
だな、峰岸。
僕は、今日、楓の気持ちが僕の気持ちと同じかどうかを、確かめるつもりだ。その決心はもう、ついている。
そう。
楓に告白する決意は、もう、できているのだ。
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