幕間
012 如月美紀
電話越しの、静寂。かれこれ数十分、堂々巡りの会話。の末が、現在だった。画面上に表示されている「通話時間」のカウントだけが進んでいく。
アタシはもう、いい加減、辟易していた。
彼の、鼻をすする音が、一度、聞こえた。それ以外の反応はなく、こいつは黙ったまま。「はい」も「いいえ」も言わない。めんどくせえ。
世界はいつも、どことなく、惜しい。
何か出来事を前にして、例えば「運命的」だとか、「ドラマチック」だとか思えることが、アタシにだってごく稀にある。ま、頻発していたら運命もくそもないから、そりゃあそうなんだけど。とにかく、自分が物語の主人公になったような気分になれることが、人生には起き得る。そういう時、アタシは常に思うのだ。世界は、決して悲観すべきモノじゃない。
しかし、時間が経てば、それが錯覚だと気づかされるのも常だった。結局、どこかでボタンの掛け違いや、些細なすれ違いが、アタシの目を覚ましてしまう。冷ましてしまう。
電話の向こうの彼は、中学時代のアタシが憧れていた同級生だった。
中学校の野球部で、レギュラー。勉強もそこそこ出来て、ユーモアもある。たまに抜けているところもあって、そこがまた愛おしい。そういう奴だった。だから、当然のようにモテていた。彼女もいたっけ。八ヶ月くらい付き合っていたとかなんとか。中学生の恋愛にしては、長い方だと思う。
まあ、そういういかにもスクールカーストのトップみたいな人間に、中流階級のアタシが惹かれていくのも、至極当然の成り行きだったろう。
結局、在学中に想いは伝えられなかった。それを少しだけ後悔して、アタシは高校生になった。彼とは別の高校。ま、新しい出会いをして、新しい恋でも、ささっとしてしまおう。
そう思って、日々を過ごしている最中のことだった。
去年の秋頃。アタシは、駅前でばったり、彼と再会をしたのだ。まさしく、運命的に。
いくつかの会話をして、意気投合して、その日は連絡先だけ交換して別れた。けれど、それが、アタシたちにとって、確実なキッカケとなったのだ。
キッカケ。親密になるキッカケ。
親密。つまるところ、男女交際への発展。
けれど、だ。
「…………ねえ」やっとこさ、彼が声を出した。
「なに」アタシが答える。
「もう一度、考え直してくれない?」
「……嫌だ。もう決めたことだし」
「勝手に決めないでくれるかな……」
「勝手に決めるくらいじゃないと、君がゴネるでしょ」
「だからさ、ちゃんと話し合って……」
「ほら、そういう風に。……ダメ。呑んで。……アタシと別れて」
「……」
だりぃ。
アタシは彼に聞こえるように、わざとらしく大きなため息をついた。もうこれ以上はメンドくさいから、さっさと折れてくんないかな。そういう事を伝える為のため息だった。
あーあ。
もしも彼が、潔くアタシの提案を呑んでくれたとしたら、幻滅することはなかったろうに。彼との良い思い出だけを残して、円満に別れることが出来たろうに。良い元彼だった、と胸を張って、次の恋に進めただろうに。
運命的な再会をしたところで、それから二人が燃え上がるような恋をして、劇的な交際を始めたところで、こうもグダグダな別れ方だと、やはり、思わざるを得ないな。
はぁ。
まったく。
この世界は、どことなく、惜しい。
***
「美紀!」
アタシの机を、ドンッ、と両手で叩きつけながら、彼女は言った。
「……なん」
「マジでさぁ! どゆこと!」
昨日の別れ話が尾を引きずって、未だ心にモヤがかったアタシを叱責したのは、楓だった。
その理由は概ね見当がつく。というか、一つしか有り得なかった。
「ライブのどたきゃん! 相談くらいさ、してよ!」
大当たりだ。
昼休み。さっきのこと。アタシは楓を「第二準備室」と名のつく物置部屋へと呼び出した。そこで、週末の約束を断る旨を、一方的に告げたのだ。代わりに幼馴染の陽平くんと行って来なよ、と付け加えて。
彼女は、その件に関して、ご立腹らしい。
「あーね。すまんすまん」
「もう……ほんと、テキトーすぎ! 最悪だよ、最悪!」
ぷんすか、というオノマトペが似合うような、プリティーチャーミーな怒り方だな、とアタシは楓を見て思っていた。この子、怒気よりも可愛さが勝るから、全然怖くないんだよなあ。
「けどさ、行く人、いて良かったじゃん」
「そーゆー話じゃなぁい!」
ありゃ、頬を膨らませていらっしゃる。小リスでも眺めてるような、穏やかな気分だ。
「じゃ、どういう話?」
あっけらかんと尋ねるように、アタシは言ってのけた。彼女と口論するつもりはない。単純な疑問ですよ、というニュアンスを込めたつもりだ。
「長谷部の方が良かった?」
追撃。
これも、真っ当な提案ですよ、というニュアンスを込めた。
「あ、……あのさ。美紀……」
楓が俯いて、肩を震わせていた。
すぐさま、
「ホント、許さないから! 先生に言いつけてやる!」
楓は、高校二年生にしてはダサすぎる文句を放った。
しかも、それ、どっかの誰かの発言と完全一致してら。
「……ははっ」
アタシはつい、笑ってしまった。
「な、なに笑ってんの!」
「いーや、別に。可愛いやつだな、と思って。楓」
「はっ、はぁ? バカにしてるでしょ!」
「違うっての。尊みを感じてるんだよ」
「ほらぁ!」
ぽこぽこ、というオノマトペが似合いそうな勢いで、アタシの肩を叩く楓。痛くも痒くもない。むしろ、叩かれたところからHPが回復していくような気さえする。
マジで、可愛いやつだ。癒されちまうな。
しかも、彼女はこれを天然でやってのける。そりゃあ、モテて然るべきですよ。長谷部も、陽平くんも、楓のことを好きになる気持ち、分かる。羨ましいくらい、分かった。
だからこそ、アタシは思うのだ。
彼女には、ちゃんとした選択をしてほしい。
常に天然で、無自覚に愛嬌を振りまく彼女だからこそ、もっと自覚的になって、この世界を生きていってほしい。
アタシは、強く、強く、そう思う。
「楓」
「なに! 土下座する気になった!?」
「しません。……あのさ」
「だから、なに!?」
「アンタ、ちゃんと、幸せになりなさいよ」
「……え」
「アタシには出来ないことを、アンタはやりそうだから。もちろん、いい意味で」
「なに、急に。全然意味わかんない」
意味、分かって欲しいけど、ま、この場はいっか。
「……そろそろ授業始まるぞ」
そう言って、アタシが立ち上がる。
「はい、出たー! 忍法、話そらし!」
アタシにとって、人生とは、完全にかみ合うことのない世界の歯車に、歯がゆい思いをするばかりの日々。
「なんじゃそりゃ」
はてさて、楓にとってはどうなんだろう。
人間関係に恵まれていて、性格や容姿に恵まれていて、嫉妬するくらいの魅力がある彼女の目に、世界はどのように映っているのだろう。
その景色はこれから、どう、移り変わっていくのだろう。
「とにかく、授業が終わったら、詳しく話を聞かせてもらうから!」
「はーい」
「ねえ、本気だよ? 私、マジガチだからね?」
どうか。
楓の目には、この世界が、完璧な形で見えますように。
「はいよっ」笑う。
アタシは、そう、心から願っている。
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