010「冗談だよ」「先生に言いつけてやる!」
「……なーんてね」
「……は?」
「冗談だよ。冗談。楓のこと、友達としては好きだけど、恋愛対象としては見てないっての。流石に」
思わず眉をひそめてしまった。
確かに先ほどまでは、彼女の口撃ひとつひとつを正面から食らい、その都度狼狽えてしまったけれど。
「…………」
この反応はそれとは違う。呆れて物言えないだけだ。
今の冗談に、一体何の意味があったというのだろう。これまでのソレとは、明らかに質が違った。その冗談、僕には、笑いどころも品性も見当たらないように思える。素直に、引いてしまった。
「マジで君、リアクション面白すぎ」
なのに、それをこう評されてしまうのは、不服以外の何物でもなかった。
「どう? 焦った? 新たなライバル出現だー、って」
「……ミキさん」
だから、僕は反撃に出ることにした。
「なぁに?」
「……アンタ……僕を散々バカにして……もういいです。完全に怒りました。謝ったって許しませんから。ミキさんのこと──」
人差し指を如月へと突き立てる。
それから、
「──先生に言いつけてやる!」
高校二年生の発言にしてはダサすぎる文句を放った。
***
如月は、スマホをいじっていた。他人を連れ出してきたくせに、それはないだろう、と溜息が出る。授業をサボっていたり、空き教室の鍵を不法に所持していたり、不良行為が目立っていたけれど、人としての道徳心も機能「不良」なのではなかろうか、と結構キツめの毒を、胸中で吐き出した。
「陽平くんはさ、」
ごめんね、の一言もナシに、スマホをポケットへしまい、顔を上げた。
「楓のこと、いつから好きなの?」
「……」
「幼馴染ってことはさ、だいぶ長いこと一緒なワケじゃん? 中学からとかじゃないでしょ? それは幼馴染って言わないもんな。ってことは、小学校から? 十年くらいも一緒ってこと? その間、ずーっと楓のこと好きなわけ?」
疑問符が多くて、どこから処理すればいいか分からなかった。元から、まともに取り合うつもりはないけれど。
「楓ってさー、マジで男の影ないよね。もしかしてアイツ、処女なんかな。陽平くんなら知ってるっしょ? その辺も」
「…………」
「ねぇ、答えてよ」
答えるわけもなかった。その必要がないし、答えたくもない。それに、楓が処女かどうかは、どっちかっていうと、僕が知りたい。多分そうだと思うけど、確信が欲しい。
って、そんなことを考えている場合か。
思考を切り替える。直前の質問を全て脳内で切り捨てて、僕は口を開いた。
「ミキさん」
「ん? なぁーに?」
「帰ってもいいですか?」
如月が黙った。
「不躾な質問が多すぎる。正直、気分、悪いです。別に用があるわけじゃないでしょ? なら……」
「まぁまぁ」再度、如月が声を出した。「落ち着きなよ」
僕は、充分落ち着いている。
「それに僕は、楓に会うために六組へ行ったワケで。ミキさんと話す予定は無かったし、話すべき事柄だってない」
「……けど、現に会話は弾んじゃったわけだし。この際だし、もうちょっと仲良くなろうよ」
「これ、会話が弾んでいる、って状態か?」
「アタシは楽しいよ」
ダメだ、コイツ。
何を言っても、彼女のペースは崩れない。めちゃくちゃに面倒臭い。
「それにさ、陽平くん──」
無言で、睨みつけるように如月を見る。
そんな僕の視線に物怖じすることなく、如月は、
「──楓なら、ぼちぼち、来るはずだよ?」
真顔でそう言った。
「……え?」
楓が来る? ここに? なぜ?
「アタシが呼んだからさ。さっき」
如月がポケットからスマホを取り出し、見せつけるように、それを小さく振った。
まさか、さっき、彼女がスマホをいじっていたのって、楓を呼ぶため?
「何度も言うけどさ。アタシは、陽平くんの都合を考慮して、振舞っているつもりだよ? だからさ、もうちょい、警戒、解きなよ」
「…………」
「安心しなって」
出た、「安心」。如月のいう「安心」はマジで信用できない。
けれど、如月が言う通り、楓はここにやって来るというのならば。
「……」
僕は、如月同様、古ぼけた机の上に腰を下ろした。
……楓が来るまでは、ここにいてもいいだろう。そう思ったのだ。
「お、やっと、信用してくれたんだ?」
「……そうじゃない。楓を待つことにしただけ」
「あ、そ」
「……ミキさん」僕はまた、如月を睨みつけるように。「僕の都合を最大限、考慮するんだったよな?」
「そーね。アタシは優しいから」
「じゃあ、いくつか質問に答えて欲しい」
「ん? どゆこと?」
「さっきから質問攻めで、とにかく居心地が悪い。だから、それを解消するために、いくつかの疑問点を払拭しておきたい。いいだろ?」
「……なるほどねえ」
如月が、右手を「どうぞ」と差し出した。
了解は得た。ならば、諸々、訊かせてもらおう。
「じゃあ、まず、僕を連れ出した理由は?」
「君が、長谷部と会いたくなさそうだったから」
即答だった。
すぐさま、僕は二つ目の質問を準備する。
「なら……僕をここへ招いて、呼び止めている理由は、何」
「楓との関係を訊きたかったから」
またしても、即答だった。
「それを訊いて、どうするつもり?」
「どうする? んーそうだな。別に、どうもしないけど」
今度は、反応速度こそ早かったけれど、曖昧な回答だった。
「答えになってないけど」
「んー、だね。じゃあ、ちょっと質問とはズレるかもしれないけど、アタシの都合、とやらを言わせてもらってもいいか?」
「ミキさんの、都合?」
「そ」
彼女の都合。先ほど、「楓のことが好きだから」と、ボケにもならない茶化し方をしたそれの、本懐。を、今度こそ言ってくれると言う。
僕は、頷いた。
「……サンキュー。まあ、アレなんよ。別に、さっき言ったことと、文字面としては変わんないんだ」
「……さっき言ったこと?」
「楓のことが好き」如月が笑う。「そう言ったでしょ」
ああ。僕は頷く。
「それは本心なんだよ。ただし、愛情じゃない。友情だ。こってこての、油多めの友情」
「……どういう」こと。表現が独特すぎて、意味がよく分からなかった。
「まーそうだな。もうちょっと砕いて言うならば──」
如月がそう言いかけた後、謎の間があった。彼女の顔に、考えている様子や迷いは見受けられなかった。だから、言うべきことは決まっていたのだろう。
しばらくして、彼女は、淡々とした口調で、言った。
「──楓を心配しているのさ」
瞬間、背後から扉の開く音がした。
僕は思わず振り返る。
そこに立っていたのは……まあ、言うまでもなく。
「お待たせ、美紀! ……って、アレ? よーへいも……?」
楓だ。
「おー!」如月の声が元気になる。「よく来たねー、楓」
「ん……あ、うん。そりゃ、呼ばれたからね。けど……」
楓の顔を見る。
「……二人は、こんなとこで、何してたの? てか、友達、だったんだ?」
彼女は明らかに困惑していた。
まさか、如月のやつ。僕がここにいることを、伏せていたな。それには、どういう意図があるんだ。何を企んでいるんだろう。
「まーね。アタシら、マブだからさぁ」
僕は如月に、明らかな敵意の眼差しを向けた。
コイツ、堂々とテキトーな嘘を吐きやがって。
「そう、だったんだ……」
「てか、楓」
「え、ああ。うん。なに?」
「今週末さ、アタシら、ライブ行く予定だったじゃんか?」
「うん。そうだね」
「それ、行けなくなった」
「え?」
僕の目の前で、身内トークが繰り広げられる。内容は、すべて初耳のことばかりだし、知らなくてもいい話題だった。女子同士の、休日の予定の、話。僕には一切関係がない。これが長谷部と楓との会話だったとしたら、激しく嫉妬もするだろうけど。
「だからさ──」
けれど。
「──それ、陽平くんと行ってきたら?」
「え?」
「は?」
突如、身内話の激流に、巻き込まれることとなった。
「チケット、余っちゃうでしょ? それは勿体無くない?」
話が読めない。全く、展開が分からない。
「で、いまさっき、陽平くんと話してたらさー、彼もそのバンド好きだって言ってて。だったら、ちょうどいいじゃん、って」
そんな話をした覚えはない。またしても、如月のテキトーな嘘だ。
「ま、そういうことだから」
如月が、立ち上がった。
そのまま歩き出し、僕の横を通り過ぎていく。
そのすれ違いざまのことだ。
「……上手くやれよ」
如月が、耳元で、そう小声で言った。
マジで、コイツ、何を考えている?
「じゃあ楓! また後でねー!」
如月が教室を出ていく。僕は、その背後に、駆け寄った。
しかし、すぐさま、
「よーへい」
楓の声に呼び止められ、僕は立ち止まる。
「……あの、さっきの話って……ライブのこと……」
振り向く。
「もう、話、ついてる感じ? 美紀の代わりに、よーへいが行く、って……」
黙る。なんて答えたらいいか分からなかった。
如月の思考回路にも、この急展開にも、正直、頭が追いつかない。何も分からなかった。
「はあ……。美紀、ああいうところあるんだよね。自分勝手、っていうか、自由に話を進めすぎ、っていうか……」
ただ一つだけ、分かることがあるとするならば──。
「……大丈夫? 日曜日だけど。空いてる?」楓が言った。
「……え、あ。ああ」僕は勢いに押されて、肯いた。
──僕はどうやら、日曜日、楓と出かけることになったらしい。
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