009「そこまで分かるの!?」「カマかけただけやが?」
くるり、如月と名乗る長髪女子が背を向けた。そのまま、空っぽの教室の中へと戻っていく。
初対面相手に、一方的に話をして、自分だけ自己紹介を済まして、それが終わると、そそくさと立ち去る……。そんな自由奔放すぎる彼女の行動を、ただただ呆然と見ていた。
今の行動全て、まさか独り言だったのではなかろうな。もしくは僕を人間と識別しなかったか。そう訝りたくなるほど、フリーダムな振る舞いだった。
彼女が元の席に戻り、椅子に座って、
「何してんの?」文庫本を開きながら言った。「楓を待ってるんでしょ? こっちきなよ」
「…………はぁ」
それは、一体全体、どういった類の気の使い方なのだろうか。胸中でつぶやいた。
「座りなってば」
呼吸を挟んで、口を開く。
「いや、僕は別に。……借りたものを返しにきただけだから」
ついでに、楓の違和感の正体を探りにきたのだけど、それは後回しでもいいかなと思った。
それよりも、楓が帰ってくるまでの間、この傍若無人ガールと二人きりを避けたい。そっちの方が、目下、優先事項な気がしてしまった。それくらい、如月美紀の第一印象は「苦手なタイプ」だった。
「あ、そ」如月が小説に目を落としたまま、返事。「なら預かっとくけど」
右手が僕の方向へ伸びる。視線はこちらへ伸びない。
「……じゃ、じゃあ」
そう言って、六組の教室へと足を踏み入れる。
その時だった。遠くから、男子のはしゃぐ声がした。如月がその声に反応して顔を上げる。
「あ、みんな帰ってきたっぽい。やっぱ、待ってなよ。すぐだし」
右手を引く如月。楓の復習ノートは僕の手に持たれたまま、行き先を失った。
「じゃあ……」
僕は二度目の、じゃあ、を発し、もう一歩踏み出す。如月の一つ前の席、椅子を引いて、腰を下ろそうとした。
けれど、僕はすぐさま「いや──」と前言を撤回した。
なぜか。
廊下、遠くの方から「長谷部〜」と名を呼ぶ男子の声が聞こえたからである。
「や、やっぱりこれ、代わりに返しといてよ」
焦りが声に出た。語気が強く、かつ早口で、ノートを無理やり押し付けるように、僕は言った。
そうだ。ここは楓の教室だが……長谷部の教室でもあるわけだ。
長谷部が帰ってくること自体は問題ないのだけれど──彼がいる教室で、楓にノートを返却し、いくつかの会話をするということになるのが、とても気まずく思えた。きっと、僕らのやり取りを長谷部は目撃することになるだろう。何を思うのか、それを考えただけでも面倒だし、楓だって居心地が悪かろう。気にしすぎかもしれないが……何よりも、もうすでにそういう考えに至ってしまっている僕が一番、居心地が悪い。
「……」
気づけば、如月の視線が僕に突き刺さっている。
「……なに?」
尋ねる。すると、彼女は視線を僕に──いや、僕を通り越して、遠くへと向けた。それから、何かを悟ったような表情を浮かべた。
「……なるほどねぇ」
一体、何を悟ったのだろう。
悪寒がした。
如月が文庫本を閉じて、立ち上がる。そして、
「わーった。おいでよ」
そう言って、僕の腕を掴んだ。
腕を掴んだ……ん、腕を掴まれている? なぜ?
「早くしなよ。長谷部が来ちゃう」
「え、は? え?」
「いーから」
強引に、僕の腕を引っ張る。抵抗出来ず、なすがままだ。
ちょっと待って、これ、どういう状況だ?
この傍若無人ガールは、僕をどうするつもりだ?
「……逃げよ。いい場所を知ってんだ」
「ちょっと、如月さん?」
「美紀でいいよ」
「み、ミキさん……?」
「わざわざ言いなおすなんて律儀だね、君。だいじょーぶ。安心して」
これほどまでに説得力のない「安心して」を僕は生まれて初めて聞いた。
この人、マジで、行動の全てに突拍子がなさすぎる。突然のゲリラ豪雨に打たれて為す術もない、という状況に近いな、と思った。
彼女に引きずられて教室をでる。そのまま、左折。廊下、突き当たりの扉の前に立つ。
それは屋外階段に繋がっている扉だ。しかし普段は、鍵が閉まっているハズだが。
「今日みたいにさ、意味もなく、学校遅刻して行きたいなーって思う時、だいたいこの扉から入るんよね、アタシ」
そう言って、如月がドアノブに手をかけた。回転。いとも容易く、扉は開いた。
「さ、行こう」扉が開かれる。僕はついていくしかない。「恋敵が来る前に」
如月は、そう言って、不敵な笑みを浮かべた。
***
彼女が連れてきたのは、校舎二階の、空き教室だった。表のプレートに書かれていたのは「第二準備室」。なんの準備をする教室かは全く定かではない。中は薄暗くジメジメとしていて、古ぼけた学校机と教材らしき書物が沢山散らかっている。確実に、普段使われている場所じゃなかろう。物置部屋、と表記を変えた方が良さそうだ。
や、そんなことよりも、だ。
「ミキさん、それ」彼女の手元を指差す。「何?」
「ん? ああ、これ?」
如月が、右手に持ったキーチェーンを掲げて言った。そこには、いくつか鍵がぶら下っていた。しかも、恐らく、あまり保有していてはいけなそうな、鍵が。
一つは、この空き教室の鍵。一つは、屋外階段へつながる扉の鍵。その他にも、三、四本はあった。
「先輩から貰い受けたんよ。この学校の、いろーんな場所に入れる、魔法の鍵たち」
「…………」
言葉を失う。
「便利よー? これがあれば、学校では大抵自由だ。サボってんのを見つかることもないし、遅刻しても教師の目をかいくぐれるし、バックれたい時も簡単に帰れる」
すごい。使用用途が全部、学校をサボるため、だ。
「それに、こうやって、会いたくないやつから逃げることだって出来る」
如月が、僕の目を見た。
「君さ、長谷部と鉢合わせんのが嫌だったんでしょ?」
「え、ああ、はい?」
如月の、突然の口撃に、つい情けない声が出た。
図星だった。
「正解だ」と如月がニヤケた。
「……いや、まあ。その」
「まー、そーかそーか。ってことは楓から色々聞いてんだ。長谷部とのこと」
「い、」少し怖かったけれど、続ける。「色々……って?」
色々。聞いてはいるが、それが如月の知る「色々」と一致しているか分からなかった。もしかしたら、僕よりも最新の情報を仕入れているかもしれない。例えば──もう二人は付き合っている、とか。
「ビビってんねー。奥手少年」
「なっ……」
「大丈夫。まだ、付き合ってないよ。長谷部が告っただけ」
その答えにホッと胸を撫で下ろした。
しかし──なんだ。この如月とかいうやつは。
僕が思っていることの全てに先回りしてきやがる。
「ハハ。やっぱりその様子じゃ、楓が好きなんだ? 君は」
「……いいいいいいいや、そんなんじゃ」
「それでまだ誤魔化せると思ってる浅はかさが愛しいよ、アタシは」
「……ぐぅ…………」
こ、降参だ。
マジで、なんなんだ、この女。
出会ってからこの瞬間まで、その短時間の出来事を回想する。
僕が言ったことは「楓に返したいものがある」とただそれだけ。だのに、彼女は、長谷部を呼ぶ男子の声を耳にするやいなや、僕を連れ出した。しかも、即時に長谷部を「恋敵」と表現し、鉢合わせるのが嫌だということまで見抜いた。
その理由が「僕が楓を好きだから」であることも、彼女にはお見通しだったという。
僕は思う。
……そんなにも、ボロを出したのだろうか、僕は。
「分かり易すぎるんだよ。いかにも、童貞って感じ」
「……なっ! 童貞ということまで……!」
「ゴメン、そこは一番簡単に分かった」
一生の不覚。
「あと、アダルトビデオは素人モノが好きなんだろうな、ってことも」
「そんなことも!?」
「……マジ? テキトーにカマかけただけなのに、当たっちゃったよ」
こ、このやろう!
「アハハ。君、面白いね。……てかさ」
「……なんだよ……」
「そいや、陽平くん、だっけ。名前」
「名前まで!?」
「……あのさ。名前ぐらいはフツーに楓から聞いてるから」
呆れたように、ロートーンで如月が言った。
それは、まあ、そうか、と恥ずかしくなる。
「で? どうなの?」
如月がまた、ハイトーンの声を出す。テンションが戻る。
「陽平くんは、楓のこと好きなんだよね?」
話題も、戻ってしまった。
「…………」
僕は、押し黙った。もうバレているとはいえ、そこは答えたくなかったのだ。
「なんだよ。答えてよ」
断固、嫌だった。
思えば、如月と出会ってからのことのすべてが、おかしい。どうして初対面相手に、恋バナを赤裸々に語らねばならないんだろう。普通に、言う必要はない。
「……ミキさんは、どーして僕をここへ連れてきたんすか」
しばらくして僕が口に出したのは、そういった内容だった。
「質問返し、か」
如月は俯いて、手元を見ながら、言った。
「だって、意味わかんないし。フリーダムすぎんでしょ。こっちの都合も御構い無しで」
「陽平くんの都合は最大限考慮したつもりだけど? だから、結果として長谷部と鉢会わさずに済んでる。違う?」
「…………」
そりゃ、そうだけど。
「……でも、確かにあの教室で、長谷部もいる前で、楓と話すのは気まずいけど……こんなところに連れてくる必要もないって言うか。なんと言うか」
「んーまあ、そりゃあ、そうかも。……うん、そうだね。ここへ連れてきたのは、陽平くんの為じゃない」
「え?」
「どっちかっていえば、アタシの都合だ」
如月の視線が上がる。
「アタシはね、君と話さなきゃって思ったんだよ。直感的に」
「……はあ?」
意味が分からなかった。
繰り返し言うが、初対面だぞ。僕ら。
「んーそうだな。単刀直入に言うか」
そう言って、如月は、埃の被った勉強机の上に、どんと腰を下ろした。両足を組む。右足を上げた瞬間、すらりと長く艶やかな脚につい見とれてしまう。ホント、モデルみたいな人だ。綺麗だ、と素直に思った。
性格に、相反して。
そんな僕の思考の合間を縫って、彼女は息を吸い、
「アタシはね──」
それから、
「──楓が好きなんだよ」
彼女は言った。
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